冬季オリンピックを振り返る:ひとつのメダルが輝く3ヶ国
オリンピックへの出場は一生に一度の挑戦。メダル獲得となればさらに大変だ。史上初そして唯一のメダルを母国にもたらした3ヶ国8人のアスリートたちが築いた、彼らの歴史を紹介しよう!
2月4日に開幕する**北京2022冬季オリンピック**で、世界最高の冬季アスリートたちが再びその主役となる。
北京のゲレンデや氷上に姿を表すのは、オリンピック初出場の選手や、自身のメダルコレクションに新たなメダルを追加しようとする選手らのほか、自国の歴史に名を刻もうとする選手たちもいる。
冬季オリンピックの歴史において、メダル獲得数が1個にとどまる国内オリンピック委員会(NOC)は3団体。果たして彼は、北京2022でその数を増やすことができるのだろうか。
ウズベキスタン(フリースタイルスキー、1994年)
**リナ・チェリャゾワ**は、リレハンメル1994冬季オリンピックのフリースタイルスキー・エアリアル種目の金メダル候補として会場に到着した。金メダル候補というにはわけがある。彼女は、世界選手権の当時のチャンピオンであり、ワールドカップで5連勝という成績を収めていたのだ。
しかし、スポーツは時に予測不可能なもの。女子エアリアル種目が初めて正式種目となった同大会の公式トレーニングランの途中、チェリャゾワは転倒し、意識を失ってしまった。どうにか回復して予選に挑むと、12位で決勝進出を果たした。
決勝では、優勝候補としての力を見せつけることに成功する。彼女は1ポイントという僅差で優勝し、ウズベキスタン代表選手として初めて(そして現在のところ唯一)となる冬季オリンピックのメダルを獲得し、女子エアリアルの初代オリンピックチャンピオンに輝いた。
デンマーク(カーリング、1998)
北欧のデンマークが冬季オリンピックで獲得したメダルがたったの1個ということを意外に思う人は多いだろう。
デンマークが冬季オリンピックにデビューしたのは1948年のサン・モリッツ大会で、その50年後に女子カーリングで初めてメダルを獲得した。その舞台となったのが1998年の長野大会。前年の欧州選手権での優勝をはじめ、過去2大会の世界選手権で準優勝、3位に輝いて長野にやってきたデンマーク・チームは、ヘレナ・ブラッハ・ラウルセン、マルギット・ポートナー、ドルテ・ホルム、トリーネ・クヴィスト、**イェーネ・ビストルップ**のメンバーで挑み、銀メダルを獲得。カーリング競技が74年ぶりにオリンピックのメダル競技に復帰した大会でのことだった。
1998年以来、デンマークはオリンピックのカーリング競技の表彰台から遠のいているが、北京オリンピックでは女子チームが出場権を獲得しており、2つ目のメダル獲得のチャンスとなる。
ルーマニア(ボブスレー、1968)
1968年のグルノーブル大会で、**ニコラエ・ネアゴエとイオン・パントゥラ**は、ボブスレー2人乗りで銅メダルを獲得し、ルーマニアにとって最初で唯一の冬季オリンピックメダルを獲得した。ふたりは4人乗りでも銅メダルが目前に迫っていたが、最終的にコンマ1秒差で4位となった。
ネアゴエがオリンピックに出場したのは1968年のグルノーブル大会のみ。一方、ドライバー(パイロット)を務めたパントゥラは1964年のインスブルック大会、1972年の札幌大会、1976年のインスブルック大会に出場したが、メダル獲得とはならなかった。