冬季オリンピックを振り返る:マレーシア・南国からの冬季デビュー

雪も降らない南国の選手が、冬のオリンピックに出場したことがあると思いますか? 驚くかもしれませんが、答えは、イエス。その国は、マレーシア。実は、開幕迫る北京2022とも深い関わりのあるマレーシアについて、同国の歴史的な冬季オリンピックデビューとともに過去大会を振り返ってみよう

1 執筆者 Yukifumi Tanaka/田中幸文
Malaysian delegation marched in the Opening Ceremony in PyeongChang 2018
(2018 Getty Images)

多民族国家 “マレーシア” で人気のスポーツといえば、バドミントンやサッカーを思い浮かべる人がほとんどではないだろうか。赤道付近に位置する常夏の国で、ウィンタースポーツを連想する人は、ほぼいないだろう。しかしながら、平昌2018で、マレーシアはオリンピック史上初の冬季大会出場を果たし、彼らのアイコニックな国旗が、開会式だけでなく、スケートリンクやスキーコースの観客席から大きな声援とともに揺れていたのだ。

この歴史的快挙を成し遂げたのが、フィギュアスケーターのジュリアン・イーと、アルペンスキーヤーのジェフリー・ウェブのふたりだ。

ジュリアン・イー

ジュリアンは、マレーシアの首都・クアラルンプール出身で、ふたりの兄と母親と共に、4歳の時からフィギュアスケートを始めた。マレーシアでは普通のことなのだが、ショッピングモールの中にあるスケートリンクで、ジュリアンは練習に励んでいた。リンクのサイズはオリンピック基準の3分の2ほどで、フィギュアスケートには欠かせないジャンプのトレーニングをするには十分とはいえず、決して恵まれた環境ではなかった。

それだけではなく、コーチとの練習は、モールの開店前や閉店後にしかできず、時にはまだ夜も明けない深夜3時から、スケートをすることもあった。それでも、ジュリアンはコーチと共に、YouTubeあるいは遠征先で録画した有名スケーターのビデオを何度も見て、分析し、練習に取り組んでいた。

海外の国際大会に参加した時には、マレーシアがどこにあるのか知らないと言われることもあった。

オリンピック出場の夢を叶えるため、ジュリアンは活動拠点をカナダに移すことを決断する。2017年の秋、平昌2018の最終予選となる国際大会で、ジュリアンは26人中6位となり、マレーシア初となる冬季オリンピック出場権獲得という歴史的快挙を成し遂げた。

「オリンピックはすべてのアスリートの夢。でも、本音をいうと、常夏の国から冬のオリンピックに出場するなんて無謀だと、自分でも思っていました」

2018年2月9日、平昌オリンピック開会式において、ジュリアンは選手団の旗手として、マレーシアの国旗を大きく揺らし、大観衆のなかを行進した。

(2018 Getty Images)

この歴史的な出来事を実現したオリンピックイヤーの暮れ、ジュリアンはマレーシアに自身のスケートアカデミーを立ち上げ、ヘッドコーチ兼アカデミーディレクターとして、東南アジア地域のフィギュアスケートの振興や有望アスリートの育成に情熱を注いでいる。そして、北京2022の2大会連続出場も見据えている。

「マレーシアでは、スポーツが国民をひとつにします。肌の色は関係ありません。人と人をつなげるのにスポーツは最適です。そして、たったひとりの人間でも、国をひとつにすることができるのです。僕にも少しはそれができたのなら、最高の気分です」

ジェフリー・ウェブ

アルペンスキーヤーのジェフリーは、マレーシア人の母とアメリカ人の父の間に生まれ、5歳になるまでクアラルンプールで育った。その後は両親と共にアメリカ・ワシントン州シェランに移り住み、地元のスキーチーム(Mission Ridge Ski Team)に参加するようになった。その理由を、単にチームジャケットが好きだったからと、ジェフリーは語っている。

スキーを続けていたジェフリーは、10代になると北米地域のスキー大会へ出場するようになり、2017年には、札幌で行なわれた冬季アジア大会に、初めてマレーシアの国旗を背負って出場した。

さらに、国際大会でのポイントを積み重ねて、ジェフリーは平昌オリンピック出場枠を獲得し、スラロームとジャイアントスラロームの種目で、オリンピック初出場を果たした。

(AGENCE ZOOM)

期待の冬季アスリート

マレーシアと冬季オリンピックの歴史について語るなら、もうひとり忘れてはいけないフィギュアスケーターがいる。それが、カイシャン・チューだ。カイシャンは16歳の時に、平昌2018よりも前の、リレハンメル2016冬季ユースオリンピックに、マレーシア代表として出場しているのだ。

カイシャンは、姉の影響で4歳の時からフィギュアスケートを始めた。2015年の世界ジュニア選手権大会におけるジュリアン・リーの成績よって、マレーシアは同国初となる冬季ユースオリンピックの出場枠を獲得。大会の年齢制限により、ジュリアンが出場できなかったため、国内ジュニアランキングで2位だったカイシャンが代表選手として選ばれた。

ユースオリンピックに向けて、カイシャンは1年間休学し、パフォーマンス向上を目的にトレーニング拠点を日本に移した。そして、彼もまた、来年の北京オリンピック出場を狙っている。

さらに、ローザンヌ2020冬季ユースオリンピックでは、ショートトラックでふたりの若手選手ショーン・エオディオン・タンがマレーシア代表として出場している。

このように、才能に溢れる若い南国のマレーシア選手たちが、様々なウィンタースポーツに挑戦しているのだ。将来のオリンピックでの、彼らの活躍に期待したい。

マレーシアの首都で中国の首都の旅が始まる

来年の冬季オリンピック、北京で開催することは、クアラルンプールで決まったということを知っていますか?

2015年の夏、マレーシアの首都で開催された第128回IOC総会で、IOC委員による投票の結果、北京が2022年冬季オリンピックの開催都市として選出された。これにより、北京は、夏季と冬季の両オリンピックを開催する初のホストシティとして、新たなオリンピックの歴史を刻むことになった。そして、この歴史的な旅のマイルストーンは、実はマレーシアから始まっていたのだ。

北京2022冬季オリンピック大会は、来年2月4日に開幕する。

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