**クラウス・ユンブルス・ロドリゲス**は、エクアドル代表選手として国際大会に出場することを夢見ていたが、その舞台は冬季オリンピックではなかった。その理由は、自国の選手が冬季オリンピックに出場したことがないことや、エクアドルに冬季スポーツ連盟がなかったことだけではなく、ただ単純に、エクアドルでは雪が珍しかったからだ。
前例のないことを成し遂げるためには、固い決意が必要だ。例えるならば、朝起きて交通量の少ない高速道路でローラースキーを使ってトレーニングをするような強い意志と行動力だ。妻が車で練習する夫の後ろを徐行して、他のドライバーに練習中であることを教えることもしばしあった。
このような揺るぎない決意は、ひとつのチャンスを逃しても、新たなチャンスを得ることができる機会を与えてくれる。ユンブルスの場合、重量挙げの選手としてトレーニングを積んでいたが、膝の大怪我が原因で競技の転向を余儀なくされた。そして、人生で情熱を傾けてきたことに代わるものを探しているうちに、スキーに出会ったのだ。
高速道路でローラースキー
ユンブルスは、5年間ヨーロッパに住んでいたことがある。チェコで理学療法を学び、ノルウェーで生理学とスポーツ科学の修士号を取得した。そこで、膝の故障と診断されたが、同時に新しいトレーニング方法を見つける。
「ヨーロッパに留学していたとき、クロスカントリースキーについて学びましたが、実際にトレーニングはしていませんでした。エクアドルに戻ることになったとき、そのトレーニング方法が気に入り、ローラースキーを持って帰ってきたんです。私がローラースキーで練習をはじめたのは、それからです」とOlympics.comに語った。
クロスカントリースキーは、彼の関節に負担をかけずに運動することができたが、練習環境の条件は整っていなかった。エクアドルでは、海抜4,500mのところでしか雪は見られないので、彼のトレーニング場所は、高速道路やグアヤキルの大通りだけだった。多くのスキーヤーは夏場にローラースキーを使って練習するが、彼の場合はそれ以外の選択肢がなかったのだ。
あなたは、雪に順応するのに苦労しているスキーヤーの話を聞いたことがあるだろうか?
「初めて雪の上で滑ったとき、それまで練習していたローラースキーとの根本的な違いに気づきました。雪上でスキーをするには、ローラースキーでは練習することのできないたくさんのことを習得しなければならなかったんです」と彼はOlympics.comに語る。
「不安なく満足のいく状態で競技に挑むことができると考えられるようになるまで、2年かかりましたよ」エル・ウニベルソ紙の別のインタビューでは、難しい課題を克服するためのトレーニングには時間と忍耐が必要であることを説明している。
ユンブルスは雪上での環境に慣れるために、少なくとも年に一度は妻の母国であるイタリアに渡り、トレーニングを行った。そこで元オリンピッククロスカントリースキー選手の**ローラ・ベッテガ**(イタリア)に彼が連絡を取ったことをきっかけに、コーチとして彼の挑戦をサポートすることになったベッテガは、のちに平昌2018の開会式でエクアドル代表選手団のユンブルスの隣を一緒に行進することになる。
エクアドルのウィンタースポーツの道を切り開く
ユンブルスの最初のオリンピックの経験はリオ2016で、スポーツ選手としての参加ではなく、当時働いていたエクアドルオリンピック委員会(COE)の理学療法士の立場で、エクアドル代表団の一員としてオリンピックに参加した。
この夏が、彼の冬季オリンピック出場への岐路となる。それ以前は、エクアドルにはスキーや冬季スポーツの連盟がなかったため、ユンブルスは代表になることができなかった。しかし、その年、クロスカントリースキー仲間であるホセ・ガブリエル・チャンとともに、同国のオリンピック委員会を説得し、連盟を設立させる。
彼の初めての公式大会出場は2016年10月で、平昌2018まで1年を切った2017年2月には、世界選手権に初出場した。しかし、計り知れない挑戦が彼の前に待ち受けていた。家族とともに海外に移住し、スキーの技術を習得しながら冬季オリンピックの出場権を得るための十分なポイントを獲得しなければならなかったのだ。
ユンブルスは2017年の夏からオーストラリアに移住し、サンシャインコースト大学で運動生理学の博士号取得を目指した。雪に関しては、エクアドルとほぼ同じ条件だったため、ローラースキーでの練習に頼り続けることになる。
そんな中でもオーストラリア、チリ、アルゼンチンでの大会で好成績を収め、2017年10月、ブラジルのサンカルロスで開催された2つのローラースキー大会の成績でオリンピック出場を確定させた。
さらなる成功事例を生み出す
ユンブルスは、オリンピックの大舞台に備えるために、平昌2018に先立ち、コーチのベッテガと出会ったイタリアに渡り、数週間のトレーニングを積んだ。そして事前に競技会場で雪に適応するため、早めに韓国へ渡航する。
平昌オリンピックスタジアムで行われた開会式では、エクアドル史上初となる冬季オリンピック代表選手として旗手を務め、入場行進した。その時の思いについて聞くと、「言葉で言い表すことが難しいです。ただ、私にとっても、すべてのエクアドル人にとっても、非常に誇らしい瞬間でした」とOlympics.comに答えた。
平昌大会ではクロスカントリー15kmフリースタイルで108位に終わり、金メダルの**ダリオ・コローニャ**(スイス)とは20分差という結果だったが、彼のオリンピック出場は、ある意味での偉大な勝利となった。
「目標を達成したければ、たとえそれが困難であっても、手の届かないはるか遠くにあったとしても、挑戦し続けるしかないのです。これは、私の家族や子供たちだけでなく、エクアドルでスポーツを極めようとしている人たちに、私がロールモデルとして体現してみせたかったことです」と米ABC放送に語っている。
ユンブルスのさらなる成功への道のりはまだ続いており、2022年の北京大会で2度目のオリンピック出場を目指している。2021年の世界選手権では、エクアドル代表の枠を確保することはできなかったが、2021/2022シーズンで出場枠を獲得するために、彼は全力で挑戦し続けている。