「ひとりの人間として」サーファー五十嵐カノアについて知っておきたい5つのこと

執筆者 Hirotaka Hikoi
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写真: 2024 Getty Images

パリ2024オリンピックサーフィン競技は、7月27日から8月4日までの期間内の4日間にわたり、パリから約1万5千km離れた伝説のサーフスポット、フランス領ポリネシア・タヒチ島チョープーにて行われる。

オリンピック史上初開催となった東京2020で銀メダルを獲得した五十嵐カノアは、さらなる高みを目指してチョープーの壮大な波に挑む。

果たして五十嵐は、2大会連続となるメダル獲得を果たすことができるだろうか。ここでは、五十嵐カノアについて知っておきたい5つのことを紹介する。

世界のトップサーファー五十嵐カノア、パリでの金を目指す

日本人の両親の影響でサーフィンを始めたという五十嵐カノア。「子どもの頃は、サーフィンでオリンピックに出るなんて夢にも思わなかった」とOlympics.comのインタビューで話した五十嵐は、2021年7月、東京2020オリンピックに出場しただけでなく銀メダルを獲得し、今や世界を代表するトップサーファーのひとりだ。

2022年9月、国際サーフィン連盟(ISA)ワールドサーフィンゲームズ(WSG)ハンティントンビーチ大会(アメリカ合衆国カリフォルニア州)では初優勝。日本代表チーム「波乗りジャパン」の男子団体優勝にも貢献した。2023年6月には、同エルサルバドル大会で4位、アジアでは1位という好成績を残している。

「パリでの目標は、金メダルを取ること」と、Olympics.comのインタビューで語った五十嵐。パリ2024サーフィン競技では、世界のトッププロが主戦場とするワールドサーフリーグ(WSL)チャンピオンシップツアー(CT)の2022年、2023年の年間王者フィリペ・トレド(ブラジル)、2024年WSGプエルトリコ大会5位のアロンソ・コレア(ペルー)と同組となり第1ラウンドを戦う。

これまでの五十嵐とトレドの対戦では、2017年5月のリオ・プロ(ブラジル)、2019年10月のリップカール・プロ(ポルトガル)で五十嵐がトレドを破っている。五十嵐は、リップカール・プロでは3位になった。トレドは、東京2020ではブラジルチームのリザーブ選手として登録されており競技には出場していなかった。しかし、2023年6月のサーフシティ・エルサルバドル・プロの準々決勝で、五十嵐はトレドに敗れ5位。同年7月のコロナオープンJベイ(南アフリカ共和国)の準決勝でも、五十嵐はトレドに敗れ3位になっている。東京2020金メダリストのイタロ・フェレイラでさえパリ代表の座を逃すほど代表争いが激しかった強豪ブラジルチームのトレドは、五十嵐にとって最強のライバルのひとりとなるのは間違いない。

五十嵐は、2024年2月のCT第2戦ハーレープロ・サンセットビーチ(ハワイ・オアフ島)で準優勝を飾ると、その後も転戦を続けながら、7月27日から始まるパリ2024の舞台タヒチ島チョープーを目指している。東京2020の頃とは明らかにひと回り大きい筋肉をまとった五十嵐。「(東京での銀メダルは)特別なものなのでありがたい気持ちはある。自分でもよくがんばったと思うが、もっとがんばって金メダルを獲りたいと思えるモチベーションになった」とテレビ番組の中で話した。

体力も技術もメンタリティもさらに成長した五十嵐が、果敢にチョープーの波にテイクオフする姿を日本中のファンは期待している。

五十嵐カノアの東京2020オリンピック

「東京2020を振り返って、どんなことが思い出されますか?」と、2023年6月のWSGエルサルバドル大会の後、Olympics.comは五十嵐に尋ねた。「オリンピックは素晴らしいものでした。僕は母国のために銀メダルを獲得することができました。これは最高の感覚でした。間違いなく自分の人生を変えるものになりました」と五十嵐は答えている。また、東京2020を「多くのことに気づかされる経験でした。僕が育ってきたライフスタイルや子ども時代がどれほど特別なものだったのかを本当に認識したのはこの経験があったからでした。世界の中のひとりの人として自分自身を意識した経験でした」と続けた。

「オリンピンクメダルというのはとても特別なものです。おばあちゃんにメダルを見せたら、おばあちゃんが泣いてくれた。オリンピックの力をそういうところで感じて、本当に特別だと思いました」と、2023年秋、五十嵐はOlympics.comのインタビューで話した。五十嵐は、東京大会の後、日本に住む祖父母、いとこ、親戚たちと銀メダル獲得の喜びを分かち合うことができた。いちばん印象に残っていることはと尋ねると、「家族と一緒にオリンピックに行ったこと」と答え、家族や周囲のサポートのもと、みんなと一緒にメダルを獲得したことの価値をかみしめた。

「オリンピックには多くの国が集まり、共通する言語はスポーツです。オリンピックは本当に多くのことを僕に気づかせてくれました。国や文化、スポーツにかかわらず全て人間としてそこにいるのです」と話す五十嵐は、オリンピックのもつ価値についても確信している。

パリ2024ではどんな素晴らしい経験が五十嵐を待つのだろうか。彼がまた私たちといろいろな思いや体験を共有してくれることが待ち遠しくてならない。

五十嵐カノアにとって怖かったチョープーの波

チョープーは、南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシアの島(フランスの海外準県)、タヒチの南西海岸の村。島の美しさもさることながら、チョープーは世界で最も壮観な波乗りの舞台のひとつとして有名だ。ガラスのように美しいチューブを巻く波は、通常2~3mの高さだが、7mの高さに達することさえある。

五十嵐が、そのチョープーの波を初めて体験したのは12歳。その時は、「もう2度とタヒチの波ではサーフィンをしたくないと思った」と、五十嵐は今年6月のフジテレビのニュース番組で話した。「波がとにかく怖かった」と子どもの頃を振り返るそんな五十嵐も、今では「(チョープーは)世界の中でも、僕の好きな場所のひとつです。とてもピュアな場所で、子どもの頃を思い出させてくれ、人生がとてもシンプルに感じられるんです」とOlympics.comのインタビューで話している。

五十嵐は、2022年8月CTタヒチ・プロで5位となり、CT年間ランキングで自己最高の5位に入った。その直後のインタビューで「(勝敗を決めた)最後の2、3分は(東京)オリンピックに似たプレッシャーだった。トレーニングや練習の甲斐があった。(チョープーの波に乗るには)ハードワークが本当に大切」と話した。また、「波に勝つというより、自分の中の怖いと思う気持ちに勝つことが必要。毎年通って5%ずつうまくなっていった」と明かした。

「あのチョープーの波に挑むには精神力を高めなければなりません。初めて行った子どもの頃はとても怖かったですが、何度も通いテクニックを磨きました。今ではチョープーの波は自分にぴったりだと確信しています。家族のため国のために金メダルを獲得したいです」と、五十嵐はOlympics.comに抱負を語っている。

ハーバード大学ビジネススクール生、五十嵐カノア

五十嵐は、2023年のオフシーズンにアメリカ合衆国の名門ハーバード大学ビジネススクールで勉強を始めた。今年6月のフジテレビのニュース番組では、「ハーバードに行っているだけでなく、よい成績を出す努力をして毎日がんばっています。どうにかして成功するように努力する力と勉強時間を大切にすることは、サーフィンとよく似ていると思います」と話した。

「(家庭では)宿題をちゃんとできたらサーフィンに行っていいよ、というルールだったから、自分も意外とおとなしかったのかな。(だから)早く勉強を終わらせて、サーフィンに行くという感じだった」と、五十嵐は子どもの頃のエピソードをOlympics.comに明かしている。「宿題をちゃんとやっていないと、いつもお母さんに怒られた。でもやっぱり怒られたからこそ、自分も本当に学校の大切さを感じた。サーフィンも大切だけど、勉強することもすごく大切」と、五十嵐は納得したという。

何ごとも「波優先」の考え方が世界のサーフィン文化を象徴しているかもしれない中で、トップアスリートとしての五十嵐の気づきは多くの反響を呼ぶだろう。そして、若いサーファーたちに限らず、次世代のアスリートたちを鼓舞する貴重なメッセージとなるはずだ。

五十嵐カノアが胸に抱く日本人としての誇り

五十嵐は、2022年WSGハンティントンビーチ大会で個人優勝を果たし日本代表チーム「波乗りジャパン」の男子団体優勝に貢献。また翌年6月には同エルサルバドル大会でアジア1位となったが、自らはCTランキングで出場枠を獲得したことで、結果的に男子3人が日本代表として出場枠を獲得することができた。それに触れて五十嵐は、「僕は、できるだけ多くの日本人が国を代表するのを見てみたいのです。オリンピックがどれだけ人の人生に影響を与えるかを理解しているつもりです。仲間が喜ぶ姿を見たいのです。だから僕は全力で日本チームをサポートします」とOlympics.comに打ち明けた。

「日本チームはみんな家族」と語る五十嵐にとって、日本人の両親をもちカリフォルニアで生まれ育った自らをどう感じていたのだろうか。「学校や日常生活の中で、時々、僕は自分自身がよそ者だと感じることがありました。それは、僕がアメリカ文化の中の日本人であり、日本人として異なる考えやライフスタイルを持っていたからです」

しかし、五十嵐は続けた。「海は僕を仲間として迎え入れてくれました。海では、誰もが同じ人間なのです。人種が何であろうと、どこから来たのであろうと、海の中では誰もがひとりひとりの人なのです。僕は、日本人であることの違いを受け入れ始めることができました」と振り返る。

「僕にとって(日本)チームはみんな家族です。だから僕はチームを全力でサポートしたいんです。家族として成長したいです」と話す五十嵐。「自分の国、日本を代表してオリンピックに出場して、またメダルに挑戦できることは僕にとって大きな意味を持ちます。(家族だけでなく多くの人に)1年中サポートしてもらって、サーフィンを知らない人でも日本人だからサポートする。そういうファン(の存在や力)を感じて、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした」と、五十嵐は東京2020の直前の思いをOlympics.comに語った。

2023年9月の日本オリンピック委員会(JOC)のインタビューでは、「アスリートとして海に入っているだけで嬉しいが、みんなで一緒にメダルを見て幸せを感じたい」とパリ2024に馳せる思いを語り、「オリンピックのチャンピオンになることも大切だが、その前にひとりの人間としてがんばることのほうが大切」と強調した。

日本を代表するアスリートとして、そしてひとりの人間として、3年前の東京2020で見せた姿からひと回りもふた回りも成長した五十嵐をパリの舞台で見て、感謝の気持ちを伝えたいのは私たちのほうかもしれない。

五十嵐カノア(いがらし・かのあ)

  • 名前:五十嵐カノア(いがらし・かのあ)
  • 生年月日:1997年10月1日(26歳)
  • 出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州
  • オリンピック歴:東京2020銀メダル
  • スタンス:レギュラー
  • ソーシャルメディア:XInstagramFacebookYoutube

※年齢は2024年7月26日パリ2024オリンピック開会式当日を基準とした。