冬季オリンピックを沸かせた最年少アスリートたち。13歳ながらも金メダル!

冬季オリンピックの歴史において、数々の若きアスリートが大会に花を添えている。普通と違った少年少女時代を過ごし、世界を舞台に活躍した最年少アスリートたちを紹介したい。

1 執筆者 Ilya Yashynin
Fun on ice

14〜18歳を対象に開かれるユースオリンピックは、夏季オリンピックが2010年にシンガポールで、続いて冬季オリンピックが2012年にインスブルックで初めて開催されたばかりで、その歴史はまだ浅い。ではこれより以前の少年少女アスリートはどうしていたのだろうか?

オリンピックの長い歴史において、彼らは大人たちを相手に挑み、中には好成績を残した選手もいる。冬季オリンピックを沸かせた才能あふれる最年少アスリートの活躍を追ってみよう。

スコット・アレン(アメリカ)

オリンピックデビュー:14歳355日
オリンピックでの成績:銅メダル(インスブルック1964)

スコット・アレン(1949年〜)はスウェーデンで優れた成績を残したフィギュアスケーター、ソーニャ・フールマンの元に生まれた。フィギュアスケーターの母親の元、フィギュアスケート全盛期を迎えていた1950年代のアメリカで育ったアレンは、わずか9歳のとき、ニュージャージーで開催されたアメリカ選手権の新人カテゴリーに出場し、銀メダルを獲得した。

12歳を迎えた1961年、アレンのコーチはプラハで開催予定だった世界選手権の観戦旅行を計画する。世界中のトップスケーターの滑りを、コーチはアレンに見せようと思ったのだ。ところが、コーチの急な事情により観戦旅行は直前でキャンセルされる。このドタキャンがアレンとコーチの命を救うことになるなど、誰が予想しただろうか。

彼らが乗る予定だったサベナ航空548便はブリュッセルの空港近くで墜落事故を起こし、72人の乗客すべてが犠牲となった。同機にはアメリカのフィギュアスケートチーム全員が搭乗していた。

3年後、アレンは**インスブルック1964**でオリンピックデビューを果たし、男子シングルスで銅メダルを獲得。冬季オリンピック同種目における史上最年少のメダリストとなり、亡くなった同胞スケーターをたたえた。アレンは19歳で引退した後、ハーバード大学を卒業し、のちに服飾会社の役職に就いた。

キムユンミ(韓国)

オリンピックデビュー:13歳86日
オリンピックでの成績:金メダル(リレハンメル1994、長野1998)

韓国出身の**キムユンミ(1980年〜)は、オリンピック・ショートトラックの歴史に名を刻んでいるスケーターだ。13歳の若さでリレハンメル1994に出場したキムは、3000mリレーで金メダルを獲得し、最年少金メダリストに輝いた。この記録が塗り替えることはおそらくないだろう。その理由は、リレハンメル1994の後、国際スケート連盟は出場資格を15歳以上と定めたからだ。つまり彼女は半永久的にオリンピック・ショートトラックの歴史に名を残すことになる。
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4年後の**長野1998**では再び同種目で金メダルを獲得。韓国チームはオリンピック新記録(当時)を樹立した。

故障を理由にソルトレークシティ2002には出場せず、学問の道へと進み、現在はコーチとして後進の育成にあたっている。

アラン・ジレッティ(フランス)

オリンピックデビュー:12歳161日
オリンピックでの成績:4位(コルティナダンペッツォ1956、スコーバレー1960)

オスロ1952の話題をさらったのは当時12歳だったフィギュアスケーター、アラン・ジレッティ(1939年〜)だ。開会式ではフランスの旗手を務め、氷の上では大人たちと堂々と肩を並べた。1930年代に活躍したフランスのフィギュアスケーター、ジャックリーヌ・ヴォードクラヌの言葉を借りて言えば、「若いスケーターは大きな競技会でも伸び伸びとしている」のだろう。

ジレッティのオリンピックデビューは7位、次のオリンピック2大会は4位という成績で、とうとう表彰台にのぼることはなかった。しかし、彼が当時最も有力なフィギュアスケーターのひとりだったことは間違いない。フランス選手権を10度制し、欧州選手権で9個のメダルを獲得。さらに兵役休暇中に参加した1960年の世界選手権で優勝を収めた。

ソニア・ヘニー(ノルウェー)

オリンピックデビュー:11歳295日
オリンピックでの成績:金メダル(サンモリッツ1928、レークプラシッド1932、ガルミッシュ・パット1936)

ノルウェーフィギュアスケート界の女王として、ソニア・ヘニー(1912〜1969年)は最年少となる11歳で**シャモニー1924に出場した。デビュー戦では8位という結果に終わったものの、この結果が若きアスリートの夢を奪うことはなかった。4年後のサンモリッツ1928**から3大会連続で金メダル(女子シングルス)を獲得し、10大会連続(1927〜1936年)で世界選手権を制覇した。

へニーは個性的な衣装でも観客を魅了し、彼女が白いスケート靴を身につけたことでそのスタイルが確立。競技にダンスの振り付けの要素を組み込むなど、ヘニーの活躍によりフィギュアスケート人気が高まった。1936 年以降はカリフォルニアへと拠点を移し、女優業に転身。20世紀フォックス(現在の20世紀スタジオ)と契約し、「銀嶺セレナーデ」などの作品に出演した。

セシリア・カレッジ(イギリス)

オリンピックデビュー:11歳73日
オリンピックでの成績:銀メダル(ガルミッシュ・パット1936)

アスリートの情熱はさまざまな形で観客に伝播していく。セシリア・カレッジ(1920〜2008年)はロンドンで開催された1928年のフィギュアスケート世界選手権で優勝を飾ったソニア・ヘニーに憧れ、スケートを始めた。そして4年後、憧れの選手は競争相手へと変わる。

**レークプラシッド1932でオリンピックデビューを果たしたカレッジは、15人中8位で大会を終えたものの、冬季オリンピック史上最年少アスリートとしてのヘニーの記録を更新。ガルミッシュ・パット1936**ではヘニーの経験に及ばず、カレッジは8ポイント差で銀メダルとなった。

翌年、カレッジは世界選手権で優勝し、彼女のキャリアは頂点を迎える。しかしオリンピック金メダルの夢は第2次世界大戦によって奪われ、戦時中は救急車の運転手として働き、負傷者の手当てにあたった。

競技面おいては、女子スケーターとして初めてダブルサルコウを成功させ、初めてレイバックスピン、キャメルスピンなどの要素を取り入れ、1980年には世界フィギュアスケート殿堂入りした。

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