Olympic Winter Games Garmisch-Partenkirchen 1936
ガルミッシュ・パルテンキルヘン1936
オリンピックについて
スキーインストラクター論争
アルペンスキーがオリンピック競技として初採用されましたが、これが大きな争いを招くことに。国際オリンピック委員会(IOC)は、スキーインストラクターはプロであるため出場資格を持たないと判断。これに反発し、オーストリアとスイスのスキーヤーがこの競技をボイコットしました。一部のオーストリア人アルペンスキーヤーはドイツ代表として参加しました。
アイスホッケーでの波乱
イギリスはアイスホッケーでカナダを破るという波乱を起こしました。当時、イギリスの選手数名は国籍を変えずにカナダに住んでいました。
記憶に残るチャンピオン
初期の冬季オリンピックで最も偉大なスピードスケート選手のひとりに挙げられるノルウェーのイバール・バラングルートは、この大会で500m、5000m、10000mで金メダル、1500mで銀メダルを手にし、オリンピックメダル獲得総数を7個としました。
フィギュアスケートのスター
ノルウェーのソニア・ヘニーはフィギュアスケート女子でオリンピック3連覇を達成。大会後はプロに転向し、スペクタクルなアイスショーで世界を魅了。特にアメリカで人気を博しました。
**参加国数:**28
**参加選手数:**646(女子80、男子566)
**競技種目数:**17
**ボランティア:**N/A
**メディア:**N/A
1936年大会の開催都市選定
1931年のバルセロナ・セッションでベルリンが第11回オリンピック夏季競技大会の開催都市に選ばれました。この時、ドイツ・オリンピック委員会はIOCの当時の規則で認められていた、同年に冬季オリンピックを開催する権利を行使すると発表しました。その後、ドイツのIOCメンバーは大会名称をガルミッシュ・パルテンキルヘンとし、IOCの同意を得ました。
冬季五輪で初めて象徴の火を点火
オリンピック冬季競技大会史上初めて、大会中に象徴の火が点火されました。
スペクタクルな閉会式
閉会式では花火が打ち上げられました。
新競技
オリンピック新競技としてアルペンスキーが男女ともに複合方式(滑降と回転)で実施されました。
公開競技
アイスシーセン(カーリングに似た競技)が公開競技として採用されました。ミリタリーパトロールも公開競技として3度目の実施となりました。
メダル獲得数
出場チームと獲得メダルの一覧はこちらから。
注目アスリート
リプレイ:
ガルミッシュ・パルテンキルヘン1936
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ブランド
ビジュアル・アイデンティティは、各オリンピックごとに作成されるブランド
メダル
オリーブ冠に始まり、メダルのデザインも年々進化メダル