**髙橋大輔**が、戻ってきた。
2018年夏のはじまり、電撃的な現役復帰を発表し、5年ぶりにその年の全日本選手権に出場した髙橋は、さらにその1年後の2019年9月、村元哉中とペアを組んで、アイスダンスへ転向するという、これまた前人未到のチャレンジで世間を驚かせた。
そして、今年11月に行なわれたフィギュアスケートグランプリシリース(GP)NHK杯で、結成わずか2年の "かなだい" は、アイスダンスで日本の歴代最高点(179.50)を叩き出す。
さらに、その翌週には、ポーランドへ渡り、ISU(国際スケート連盟)公認大会のワルシャワ杯に出場。前週の疲れを見せるどころか、圧倒的なパフォーマンスを披露し、自分たちで自分たちの最高記録を塗り替えるスコア(190.16)をマークし、銀メダルに輝く。
度肝を抜くような成長を「超進化」と表現する村元・髙橋ペア。オリンピックを経験しているふたりだからこそ成し遂げられる、常人の想像を遥かに超えた急成長が可能なのかもしれない。
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2度目のオリンピック出場となるバンクーバー2010で、歴史的快挙となる銅メダルを獲得した後は、髙橋にとって決して平坦な道のりではなかった。心も体もボロボロに傷つきながら、3度目のオリンピックとなるソチ2014を目指していた。
絶望から希望へ昇華させたソチ2014の半年後、現役引退を発表。髙橋は一度、表舞台から姿を消すこととなる。しかし、そのまた4年後、現役復帰を果たし、戦いの氷上へ再び戻ってきたのだ。
「また、真ん中に立ちたい」
復帰からまもなく4年が経過しようとする今、まるでオリンピックサイクルに合わせるように、髙橋は村元とともに、新たな扉を抉じ開けようとしている。
大一番となる全日本フィギュアスケート選手権大会の開幕を前に、絶望の淵から勝ち獲ったソチ2014、現役引退から現役復帰、そしてアイスダンスへの新たな挑戦という、彼の激動の旅路を辿ってみた。
快進撃が止まらない
日本初・アジア初のオリンピックメダルを獲得したバンクーバー2010の閉幕から僅か1ヶ月後の2010年3月、髙橋はオリンピック初出場を果たしたトリノ2006のアイスリンクに戻ってきた。シーズン締めくくりとなる世界選手権に出場し、オリンピックの疲れや燃え尽きた様子など微塵も見せることなく、オリンピックメダリストらしい堂々たる演技を披露して、ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)両方で首位のスコアを獲得し、完全優勝を果たす。
バンクーバーでの快挙に続いて、またしても、日本人かつアジア人で初となる男子シングル世界王者に輝き、新たな歴史を刻んだ。
「本当に楽しく滑ることができました。これがすごくいいきっかけになって、日本男子全体が盛り上がっていけばいいと思います」
- 髙橋大輔
また、同大会では、バンクーバー2010女子シングルで銀メダルを獲得した浅田真央が2度目の世界王者に輝き、髙橋と共に日本人チャンピオン同士の笑顔に溢れたパフォーマンスをエキシビジョンで披露し、華やかにオリンピックシーズンの幕を下ろした。
怪我の悪夢、ふたたび
髙橋は、3度目のオリンピックとなるソチ2014に向けて、新たな4年のオリンピックサイクルへ舵を取っていた。
全日本選手権では3季連続して表彰台(2010年・銅、2011年・金、2012年・銀)に上り、世界の舞台でも2011年四大陸選手権の金メダルをはじめ、ソチ2014会場でテストイベントとして開催された2012年GPファイナル大会でも、金メダルに輝く。前年(2011)の同大会では銀メダルを獲得していたことから、2季連続のファイナル表彰台の成績を収めたことになる。それだけでなく、このGPファイナル大会の金メダルは、またしても日本人・アジア人として男子シングルにおける初快挙となり、髙橋は再度その名を歴史に刻んだのだった。
2013年11月上旬に出場したGPシリーズNHK杯では自身5度目となる優勝を果たし、3季連続のGPファイナル大会出場権を獲得していた。
ソチ2014に向けて一路順風に歩んでいた矢先の11月下旬、髙橋は練習中に突然、右脚に異変を感じる。精密検査の結果、右脛骨(けいこつ)骨挫傷と判明、およそ2週間の安静が必要と診断された。会場が日本・福岡で、ホームの観客が楽しみにしていたオリンピック前哨戦と位置付けられるGPファナイル大会を、無念にも髙橋は欠場することとなった。
そして、この時点で、ソチ2014最終選考の全日本選手権まで、残り1ヶ月もなかった。
12月下旬、万全ではない状態で迎えた全日本選手権。
SPではジャンプのミスが響いて4位、続くFSでは冒頭のジャンプで転倒してしまう。また、その転倒した際に氷面へ手をついた右手からは血が流れ、痛々しい姿で演技を続けるも、髙橋は笑顔を絶やさなかった。その勇姿に、場内からは大きな拍手と歓声が轟いたが、スコアは伸びず、総合5位に終わる。
「たぶん僕のスケート人生で一番苦しかった全日本選手権だと思います。その厳しい壁を乗り越えられなかった自分自身に対して、もっとできる自分がいるんじゃないかという気持ちもあるんですけど、それができなかった」
満身創痍の髙橋から、本音が零れた。
「オリンピックは、もうないんだろうな」
絶望の淵からの希望
全ての競技スケジュールを終えた選手権最終日(12月23日)、ソチ2014日本代表が発表される瞬間がやってきた。ペア、アイスダンス 、女子シングルの代表選手が発表されるごとに、会場からは拍手が送られる。
そして、いよいよ男子シングル3名のコール。羽生結弦、町田樹に続き、一呼吸おいて最後に呼ばれた名前に、しんと静まり返っていた会場の静寂が、割れんばかりの歓呼で打ち破られる。
「たかはし、だいすけ」
その後の代表選手発表会で、髙橋は涙を堪えるように、ときどき言葉に詰まりながら震える声で、観客席からの祝福に笑顔で応えた。
「正直、昨日までは絶望していたのですけれども、ここにいられて、本当に嬉しく思います。生ぬるい自分ではなく、追い込んで、追い込んで、日本代表としてオリンピックまで一生懸命がんばっていきます」
- 髙橋大輔
継続は力なり
2014年2月、髙橋はテスト大会で経験済みの、ロシア・ソチのスケートリンクへ戻ってきた。右脚は100%の回復ができておらず、不安を抱えていたが、気持ちは準備万端だった。
「自分が思っている以上のことを期待せずに、今の自分にできることを、今までやってきた自分を信じて臨みたいと思います」
そして、迎えたオリンピック本番。
2014年2月13日に行なわれたSPでは4位につけ、表彰台の射程圏内についた。そして、翌日(2月14日)のFS決勝、最終グループ2番目で滑走した髙橋は、ジャンプ転倒のような大きなミスはなく、音楽にシンクロした情感たっぷりの美しい演技で、会場の隅々まで髙橋の色で染めていく。演技終了直後、髙橋はやり切ったように満面の笑みで、日の丸を掲げて声援する方方へ、何度も礼をした。そして、キスアンドクライへ向かい、コーチ陣とともに、清々しい表情でスコアの発表を待つ。集計にはいつも以上に時間がかかり、観客席のあちらこちらから、拍手と歓声がわき起こって、その瞬間を今か今かと待つ。
「スコア プリーズ」のアナウンスで、会場が一気に静まり返る。
髙橋はこの時点で暫定4位(最終成績6位)となり、メダルの可能性は消滅してしまう。目を細めながらスコアボードを見つめて、だけれども、髙橋は悔しい様子を一切見せず、最後まで笑顔を絶やさなかった。
「『バンクーバーでやめた方がよかった』と思う人がいるかもしれないけど、続けてよかった。最後まで諦めずに、精一杯やることはできた」
- 髙橋大輔
2014年10月14日、去就が注目されていた髙橋は、生まれ故郷の岡山にいた。
「この街に生まれなければ、僕はフィギュアスケートというものに出会っていなかったと思いますし、多分、違うところでスケートを始めたのであれば、早くにやめてしまったかもしれません」
髙橋は、現役引退を発表した。
「最後だと思っていたソチが万全の状態ではないというか、満足のいく結果、気持ちの上でも、すっきりやり切ったという演技や結果ではありませんでした。そういったところで、また(次の4年)それができるのかというと、もし現役を続けたとしても、頑張れる自分がいるのか。今までソチに向かうにあたって、モチベーションを保つのがすごく難しいと感じながらやっていた部分もありました。それがまだできるのかと考えた時に、今のこの僕では不可能だなと感じた部分はあった」
この時の引退会見で、髙橋は未来の現在地を予感させるような発言を残している。
「正直、現役に未練がないわけではないので、チャンスが全くなくなったわけではなく、また復帰できるということもあって、本当に競技に戻りたいのか、全然違う道を歩むのか、また違ったスケートの道を歩むのか、と今は思っています」
「戻ると言っても、戻りにくいかもしれないですけれど(笑)」
引き際でも、やっぱり笑顔だった。
人前で滑り続けたい
引退発表後、髙橋はニューヨークでの語学とダンスの留学を経て、プロスケーターとして数々のアイスショーをこなしていく。特に2017年、歌舞伎とフィギュアスケートを融合させた新感覚エンターテイメントに、歌舞伎俳優の市川染五郎と、トリノ2006金メダリストの荒川静香と共演した舞台は大成功を収める。これだけにとどまらず、平昌2018では、現地より生中継のテレビキャスターを務めるなど、その活動はジャンルを超えて幅広いものだった。
平昌オリンピック閉幕からわずか4ヶ月後の2018年7月、髙橋は突如、現役復帰を発表する。
「引退してから4年間、ニューヨークに行ったり、テレビのお仕事をさせてもらったり、いろいろな方にお会いして、第一線でやっている方たちの姿を見ながら、自分の中で『これが本当に自分のやりたいことなのかな』と、そうした思いが徐々に膨れ上がってきました」
髙橋、32歳の決断だった。
「2017年の全日本選手権で、オリンピックに向けて戦う選手たちの姿や、個人個人がそれぞれの思いや目標をもってやっている姿を見ました。僕は現役のときに世界を目指して、世界で戦うためにやっていましたけれど、皆が全日本選手権で結果を残すために自分自身を追い込んでやっていく姿に、僕自身も感動したというのがありますし、そういう戦い方もありなんじゃないかと思いました。これまでは勝てないんだったら現役をやるべきではないと思っていたのですが、それぞれの思いの中で戦うというのもいいんじゃないかと思いました」
まずは、全日本選手権への出場権獲得からだ。
「全日本選手権を目指して、近畿ブロック、西日本選手権を通過したいです」
「不安な気持ちもありますが、楽しみな気持ちもすごくあります。チャレンジャーとしていくので、勝てなくて当たり前ですし、勝てれば儲け物くらいです(笑)。全日本選手権の最終グループに入って、(現在のトップ選手たちと)6分間練習や公式練習をしたいなという気持ちはあります」
待ちに待った、高橋の5年ぶりとなる全日本選手権。
ブランクを感じさせない貫禄の演技でSP2位となり、宣言通りに決勝FSの最終グループに入る。そして、平昌2018銀メダリストの宇野昌磨や、代表を務めた田中刑事らと共に、6分間練習で氷の感触を確かめた。そして、総合成績2位となり、笑顔で銀メダルをその首にかけた。
「ますます自分のスケートというものをもっと上達させていきたいな、向上させていきたいなと思った。今シーズンを通じて『こんな自分に変われるんだ』と改めて気付かされた。スケートをやり続ける、人前で滑り続けたいという気持ちはより一層強くなったので、常に毎日準備をしておきたい」
もう一度、真ん中へ
2019年9月、髙橋は村元哉中とペアを組み、アイスダンスへ転向することを発表する。
そして、2020年2月より、活動拠点をアメリカ・フロリダに移して、シングルスケーターからアイスダンサーとしての歩みを始めた。
髙橋にとって、ソチ2014以来7年ぶりの海外での国際大会出場となった前述のワルシャワ杯で、記録を塗り替えるスコアで銀メダルを獲得した後も、"かなだい" のふたりは、あの場所を目指して滑り続ける。
「一日一日を大切に悔いの残らぬよう頑張っていきたいと思います」
- 髙橋大輔
ふたりが目指すあの場所は、ただひとつ。そう、表彰台の真ん中。
そして、その先に待つ最終目的地については、未来に委ねることとしよう。
異なる分子と分子が合わさった「超進化」の化学反応は、いったいどんな結論を導き出すのだろうか。オリンピックシーズンの全日本は、やっぱり今回も見逃せそうにない。
北京2022代表出場枠を懸けて、90回という節目を迎える全日本フィギュアスケート選手権大会は、12月22日(水)より開幕する。