**北京2022フィギュアスケート団体戦で、日本のホープ・鍵山優真**が大活躍した。
団体戦男子シングルのフリースケーティングに出場し、初出場となるオリンピックの大舞台という緊張感が漂うなか、自信に満ち溢れた堂々たる演技で、自己ベストを更新する208.44を記録し、日本の銅メダル獲得に大きな貢献を果たした。
昨シーズン、シニアへクラスアップしたばかりの彼に、世界が今、大きく注目している。
**ローザンヌ2020冬季ユースオリンピックで金メダルを手にした鍵山は、そのわずか1年後には、初出場の世界選手権で、銀メダルをその首にかけた。彼をインスパイアし続ける、オリンピック2大会連続金メダリストの羽生結弦と、タイトル3連覇を成し遂げたネイサン・チェン**と並んで、表彰台へ上ったのだ。
「自分が思っている以上に、自分に対する期待は大きいなっていうのは、すごく感じます」
2021年10月下旬、初参戦するグランプリシリーズのイタリア戦への出発直前、多忙であるにもかかわらず、Olympics.comのインタビューのために、貴重な時間を用意してくれた。単独インタビューの間、鍵山はひとつひとつの質問に丁寧に答え、弱冠18歳とは思えない冷静かつ謙虚な姿勢、さらに今季プログラムにも取り入れている「スマイル」がとても印象的だった。
「今シーズン序盤は、かなり不安な状態でした。新しい4回転だったり、結果とか、内容とか、点数とか、去年の自分を超えなければならないっていう。去年、シニアデビューの年が、いきなり自分でも想像つかないぐらい、いい結果が出たので。だけど今は、本当に不安になっている場合じゃないって。新しい4回転(ループ)も、いい感じに跳べてきているので、安定させて、目の前のことに集中して取り組んでいきたいと思います」
フィギュアスケートとの出会いから、ユースオリンピックでの経験、そして、オリンピアンであり、コーチでもある父と共に目指すオリンピックへの思いなど、存分に語ってもらった。
父であり、コーチであり
「運命」と言っても、過言ではないだろう、鍵山がフィギュアスケートを始め、オリンピックの舞台を夢見ることは。
なぜなら、鍵山のコーチは、父である鍵山正和、アルベールビル1992とリレハンメル1994で、2大会連続日本代表を務めたフィギュアスケーターなのだから。
そんな父に連れられ、鍵山は3歳の時に初めて氷の上に乗り、5歳で滑り始めたというから驚きだ。父子であり、師弟の関係でもあることについて、メリットしかないと鍵山は語る。
「(父は)もともと選手をやっていたので、現役時代の話だったり、技術のことだったり、スケートのことを細かく教えてくださるので、難しいところはないです。強いて言うなら、調子が悪かった時に、家でも気まずくなってしまうところかな(笑)」
ふたりの信頼関係は強い。なぜなら、鍵山は父の言葉にいつも奮い立たされていると続ける。
「1位を目指さなければ、2位も3位も無いよっていう父の言葉が、今でもすごく印象に残っています」
一生に一度
2020年1月、鍵山はオリンピックの首都と呼ばれる街、スイス・ローザンヌにいた。15歳から18歳までが出場できる冬季ユースオリンピックの日本代表として、フィギュアスケート男子シングルに出場、開会式では日本の旗手も務めた。
ショートプログラムでは3位に沈むも、気持ちを切り替えて臨んだ最終滑走のフリースケーティングで、166.41というスコアを叩き出し、合計得点239.17で、逆転優勝を果たした。これをきっかけに、世界中のフィギュアスケートファンが、次世代の注目スケーターとして、鍵山の名前を覚えることとなった。
「逆転優勝っていうと、すごくカッコいいですけれど、自分の中ではショート(プログラム)から1位を守り抜いて、そのまま優勝したかったっていう気持ちだったんです。ショートは、ちょっとスピードを出しすぎて、フルサイズじゃなかったリンクの大きさに、調整することができなくて。それで、壁にぶつかってしまったっていう。本当にしょうがないことなんですけど。それでも、他の部分はとても良かったと思います。フリー(スケーティング)も、かなりいい演技をすることができて。あの時のガッツポーズの瞬間は、今でも忘れられない思い出です」
ユースオリンピックでの経験を経て、鍵山はオリンピックへの思いを、より強く抱くようになる。
「ユースオリンピックは、人生に一度しかない大切な試合で、もう、いろいろ、その試合には思うことがあって。それから、『オリンピックってどういう感じなんだろう』っていうのも、経験することができました。ユースオリンピックに出たことで、(次は)オリンピックに出たいっていう意志がもっと強くなったっていうのが、すごく大きかったんじゃないかなって思っています」
世界のゲームチェンジャーへ変貌
ローザンヌ2020を終えてすぐ、世界がCOVID-19のパンデミックに襲われる。
活動自粛により、鍵山は2ヶ月近くも、アイスリンクから離れることを余儀なくされる。その期間は、メンタルの面でもフィジカルの面でも、衰えてしまうことが不安だったと振り返る。
「(自粛前は)毎日練習していたので、1日でも本当に逃したくなかったんです。でも、2ヶ月近く滑れない状況になって、どのように過ごしていいか分からなくて。スケートができなくなって、どうしようって、すごく不安でした」
それでも、鍵山は前向きだった。筋肉トレーニングに取り組みながら、さらに新たなツールで自分と向き合うようになる。
「自粛中、自分の今までの動画を振り返って、自分の課題を見つけ出すようになって。おかげで、絶対にうまくなってやるっていう強い思いを、忘れることはなかったので、それは大きかったかなって思います」
「それから、他の選手の動画を見る機会も増えました。自粛前はそんなに見ることがなかったんです。自粛を通して、人の演技を見るのが大好きになって。そこから自分の研究心が、すごく大きくなって。今でも、同じ動画を何度も見ています。たとえば、ジャンプに注目して見たら、次は表現に注目したりだとか。すごく楽しくて、趣味みたいになりました(笑)」
2020年の大会中止を経て、世界フィギュアスケート選手権が2年ぶりに戻ってきた。
鍵山にとって、昨季(2020/2021)は、世界選手権に初出場したシーズンというだけでなく、シニアクラスへ参戦する最初の年でもあった。そんな初めてづくしの鍵山に、世界が驚嘆する。小学生の頃、ソチ2014をテレビで見た時から刺激され続けている羽生をおさえ、世界選手権という舞台で銀メダルに輝く。
そんな偉業を、決して奢ることなく、鍵山は冷静に振り返る。
「世界選手権は表彰台よりも、自分が世界のトップ選手と戦って、どこまで行けるかなっていう、そういうところにすごく興味がありました。ノーミスの演技をしたいっていう気持ちが、一番大きくて。自分がどこまで攻め切れて、どれぐらいの点数を出せるのかっていうのが目標でした。表彰台に上れたことは、自分でもびっくりしています。フリーが終わって、キスアンドクライでメダルが確定した時は、今までにないぐらいの喜びを爆発させてしまいました」
「フリーは本当に緊張しました。(自分の出番の)目の前で、ネイサン選手がノーミスの演技をしたので。本当に圧倒されました。観客がいなくても、ネイサン選手はその会場を支配していたので。 もう本当に、飲み込まれずに、がんばろうって、ただそれだけの気持ちでした」
世界のゲームチェンジャーとなった快挙も、ひとつの通過点として、鍵山はオリンピックを控える今シーズンの戦いに集中している。
「世界選手権の演技が、かなり良かったので、その試合の気持ちの向き合い方だったり、ウォーミングアップだったり、世界選手権のためにやってきたこと全てを、自分のルーティンにして今も取り組んでいます。成功する時って、必ずなにか共通している部分があると思うので」
「スマイル」で諦めない
この独占インタビューのわずか1週間ほど前、中華人民共和国・北京で開催されたアジアンオープントロフィー2021で、鍵山はまたひとつ、金メダルのコレクションを増やす。北京2022と同じ会場で開かれた同大会を振り返ってもらうと、「(代表選手に)選んでいただけたこと自体、すごくありがたいと思っています。いつも応援してくださるファンの皆様や、自分に関わっている人すべてに感謝したいです」と、自身の競技活動を支える人たちへの感謝を口にした。
「オリンピック会場ということもあって、(北京に向けて)すごく貴重な経験ができたんじゃないかと思います」
グランプリシリーズ初参戦にあたり、4回転ループや3回転アクセルを含む今季のプログラムについて、注目のポイントを自らの視点で教えてくれた。
「ショートは、タイトルと歌詞にもある通り、『スマイル』がテーマのプログラムです。表情やステップシークエンスに注目していただけたらと思っています」
「フリーは、映画『グラディエーター』の曲を使っているので、力強い表現だったりとか、ふとした時の優しい表現だったりとか、そういう強弱のメリハリを感じていただけたら。テーマは戦いなんですけど、その裏にある主人公の家族への思いだったり、希望を表している振付けがあるので。あと、諦めないっていうところ。すべて伝えることができたらいいなと思っています」
インタビュー終盤には、北京2022の目標も語ってくれた。
「ショートもフリーもノーミスの演技。毎シーズン思っていることですけど、しばらく達成できていないので、本当にそこを一番の目標としたいです」
「(そのためにも)ひとつずつ、課題をクリアしていきたいと思っています」
鍵山の急成長は、ひとつずつ、自分と正面から向き合う姿勢と感謝の心をもった謙虚さ、弛まぬ努力、そして「スマイル」で諦めない、オリンピックへの強い決意と信念が支えているのだろう。