羽生結弦: 2個の金、3度目の舞台、4回転アクセル - この夢は、世界にただひとつ

羽生結弦が、帰ってくる。前人未到の4回転アクセルを成功させるため、3度目となる冬のオリンピックへ、2個の金メダルを獲得した誇りと共に。彼だけが叶えられるこの夢の道のりは、決して平坦なものではなかった。怪我に悩まされ、迷いながらも、応援する人々に支えられ、覚悟を決めた。揺れ動く絶対王者の声に耳を傾けながら、開幕迫る北京2022の出場権を掴み取った全日本選手権の激動の1週間を振り返る

1 執筆者 Yukifumi Tanaka/田中幸文
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(2018 Getty Images)

**羽生結弦**が、覚悟を決めた。

**北京2022**を控えた今シーズン(2021/2022)序盤、練習中の転倒で、右足関節靭帯損傷と診断されたことにより、羽生はシーズン初戦となるグランプリ(GP)シリーズ第4戦のNHK杯の欠場を発表する。

「NHK杯にむけて全力で取り組んできましたが、たった一度の転倒で、怪我をしてしまい、とても悔しく思っています。ここまで、最善の方法を探し、考えながら練習してこられたと思っています。今回の怪我からも、また何かを得られるよう、考えて、できることに全力で取り組みます。今は少しでも早く、氷上に立つことを目指し、痛みをコントロールしながら氷上でのリハビリをし、競技レベルに戻るまでの期間をなるべく短くできるように、努力していきます。どんな状況でも、応援してくださり、いつも暖かい気持ちになっています。本当にありがとうございます。皆さまの応援の力をいただきながら、さらに進化できるように、頑張ります」

嫌な予感がした。なぜなら、4年前の平昌2018の時と状況が酷似しているからだ。2017年11月、同じくNHK杯の公式練習中に、羽生は転倒してしまい、右足関節外側靱帯損傷と診断され、急遽出場を取りやめた経緯があった。

予感が的中する。NHK杯から2週間後に予定されていたGPシリーズ第6戦のロシア杯についても、欠場を発表。しかし、不安視されていた怪我の状態は、快方に向かっている様子を示唆した。

「応援してくださり、本当にありがとうございます。 応援の声や想いに応えられるよう、全力で頑張っています。 動きによっては痛みが出てしまいますが、日常生活では、痛みの影響がなくなってきました。 まだスタートラインにはたどり着いていませんが、着実に前に進んでいきます。 これからも、よろしくお願いいたします。がんばります」

羽生は、どちらも「がんばります」という前向きな言葉で締めくくっていた。

羽生の動静に世界が注目するなか、新たな知らせが届いた。北京2022日本代表の最終選考会となる全日本フィギュアスケート選手権2021のエントリーリストに、羽生の名前があったのだ。

そして、2021年12月22日、羽生は全日本選手権の開会式に出席し、久々にその姿を公の場に見せた。その後のインタビュー(FNNより)で、羽生は4回転アクセル(4A)と、北京2022への想いを語った。

「まぁ、全日本の結果次第なので、僕がどうこう言ってオリンピックが決まるわけではないので、なんとも言えないんですけど。まぁ、4A次第ですけどね、最後まで諦めないですけど。ただ獲りにいけるのであれば、獲りにいきます」

「ストレートに表現することが凄く難しいので、なんと言えばいいかわからないですけど、前からずっと言っていたように、4Aの習得への道がオリンピックに繋がっているのであれば、全力でここを獲りにいかないといけないですし。ここで4Aを諦めているわけじゃないんですけど、でも、本気でオリンピック狙ってもいいのかなって思っています」

「まだ(気持ちが)変わったのは昨日なので、自分の中で。まだふわふわしてるんですけど、でも今のところ、譲る気はないです」

選手権の直前まで迷いながら、羽生は覚悟を決めて、前人未到の4回転アクセルを携えて、冬季オリンピック選考の舞台へ立ち向かった。その激動の1週間を振り返る。

2個の金

初日(12月22日)の公式練習には姿を現さなかったものの、翌日の23日、羽生は会場のアイスリンクに登場して、氷の感触を確かめるように滑っていた。そして、4回転アクセルのトレーニングの様子をメディアの前で披露する。

COVID−19の影響により、羽生は活動拠点をカナダから日本へ移して、師事するブライアン・オーサーコーチの指導はリモートで受けてきた。そして、コーチ不在のまま、ひとりでオリンピック選考会場の氷を滑っていた。1ヶ月前の右足首の怪我も、不安に思わせない貫禄のスケーティングだった。

「本当は自分の中で、このぐらいのアクセルでもいいんじゃないかっていう思いもあります。クリーンな判定ではないと思いますし、GOE(出来栄え点)もプラスつかないかもしれないですけど、でも形として4Aになってるので。だからよくがんばったんじゃないって(笑)。4Aに向かって3年、特にこの2年間ですかね、かなり練習をして向き合ってきた中でこのぐらいなので。だから、もういいんじゃないっていう風に思う気持ちもあるんですけど」

公式練習を終え、ショートプログラム(SP)を翌日に控えた記者会見で、羽生は平昌2018で2連覇を達成して以降、ずっと向き合ってきた4回転アクセルの難しさに言及した。

「でも、最後の練習の時に、ぎりぎりまでふんばって1時間半ぐらいずっとアクセルを跳んだ上で跳べなかった時に、せっかくここまできたのになっていう思いと、疲れたなって思いと、色々ぐちゃぐちゃになりながら」

前人未到の4回転アクセルは、絶対王者という名をほしいままにしている羽生までも追い込んでしまう高難度エレメンツなのだ。

「でもやっぱり、僕だけのジャンプじゃないなって。跳ぶのは僕なんですけど、結局言い出したのも僕なんですけど、でも、みなさんが僕にしかできないって言って下さるのであれば、それを全うするのが僕の使命なのかなって思いました」

彼の夢は、彼のものだけではなくなっていた。

「(北京2022については)まぁ、わかんないですよ。ここで降りちゃったら満足するのかもしれないですし。それは諦めてはないんです、ここ(選手権)で降りること自体は。だから今日も、今日できること、今日やるべきことを積み重ねたと思ってます。明日はショートなんでアクセルの練習はする気はないですけど、またショートの後日の練習とか、フリーの当日だとか、本番で降りるかもしれないですし、望みを捨てずに、諦めずにしっかりやっていきたいなと思います。ただ、延長線上に北京はあるかもしれないなっていうことを、腹をくくってここまできました」

12月24日、男子シングルSPが行なわれ、羽生は32名中24番目に出場する。

羽生自身、昨シーズン心が折れて辛かった時に愛聴して、「生きる活力」になったと話すピアニストの清塚信也氏が編曲を手掛けた「序奏とロンド・カプリチオーソ」のSPプログラムが初披露される。

物憂げな伴奏のイントロで始まり、主旋律が奏でられると、その時を待っていたかのように、両手を広げ勢いよく正面に振り返る。それは、まるで覚悟を決めた闘士が、バトルフィールドへ向かう勇ましい姿のようだ。冒頭の4回転サルコウを鮮やかに成功させると、つづくコンビネーションジャンプでも、美しいピアノの音色に合わせて華麗に決める。さらに点数の高くなる後半部分では、アイスリンク全体を使って、難度の高いステップやスピンを組み合わせて観客を魅了し、諦めずに戦うことを選択した人が感じる絶望と希望を、躍動感たっぷりに表現する。そして、ラストのコンビネーションスピンで、低音から高音までの幅広いオクターブで演奏される情感に溢れた短調の調べにシンクロして、最後の最後に右拳を頭上に突き上げたと同時に、音楽が鳴り止む。

観客席は総立ちとなり、感嘆の吐息と称賛の拍手で会場が揺れた。

羽生は、自身の演技を通じて、いつも応援してくれている人々へメッセージを届けている。まさに、「スポーツの力」を体現できるトップアスリートのひとりだ。

「物語はもちろんいっぱいあるんですけれども、最後のところで、一心不乱に戦いながら、何かを掴み取るというイメージでやらせていただきました。皆さんにとっても、今、暗闇がまた始まったり、色々なつらいことがまた起きたり、生活の中で色々あると思うんですけど、ちょっとでもなにか、がんばる活力になればなって思いました」

今シーズンの初戦とは思えない、かつ1ヶ月前に怪我をしていたとは想像できない圧巻の演技で、111.31というハイスコアを記録し、羽生は暫定1位につく。

そういえば、怪我から復帰した最初の大会が平昌2018というオリンピックの舞台だった4年前も、SPで一抹の不安も感じさせない圧倒的なパフォーマンスで、111.68という "1" が3つ並んだぞろ目の得点を叩き出して、世界をあっと驚かせた。そして、2個目となるオリンピック金メダルを獲得したのだ。

(2018 Getty Images)

3度目の舞台

1日あけて12月26日、決勝のFS。羽生は、昨季に続いて「天と地を」をFSの楽曲に選択した。

最終滑走の出番となった羽生は、選手紹介のアナウンスの後、静まり返る会場の中央で、クルクルと回転し、4回転アクセルに向けた最終の確認をする。スケート靴のブレードと氷面の摩擦音だけが響き、緊張感が高まる。肩を上げて、呼吸を整える。指定のポジションにつくと、静かに構えた。

管楽器のダイナミックなメロディーが特徴のイントロが始まると、斜め下を見つめていた視線を正面に移し、鋭い表情に変えて勢いよく滑り出し、その軌道に入る。そして、4回転アクセルのテイクオフ。転倒はなかったものの、両足着氷となって、ダウングレードの評価となる。特徴的な和楽器の音色がオーケストラに加わり、壮大な戦国のストーリーが展開するなか、羽生はつづく4回転サルコウやコンビネーションジャンプなど、数々のエレメンツを優美に決めていく。後半部分に入っても、衰えるどころか、ますます力が漲るように、パワフルかつ美しいジャンプを連続して成功させ、GOEで加点の評価を得る。ドラマティックに盛り上がる音楽に合わせて、ステップやイナバウアー、足換えスピンが随所に散りばめられ、目を奪われる。デクレッシェンドしていくクライマックスのサウンドのなかで、琵琶の弦が力強く弾かれ、戦う人間の決意と孤独を際立たせる。最後の音の残響にシンクロして、両手を天へ伸ばし、ぴたりと静止する。

その瞬間、会場は大きな響めきと拍手に包まれた。

「正直、ほっとしています」

競技直後のインタビューで、羽生は涙を堪えながら、上擦る声で、言葉を振り絞る。

「もうなんか、正直6分間練習前から泣きそうで。あと何回こういう景色が見られるだろうとか、今までがんばってきたこととか、いろんなことを思い出して」

「かなり苦しかったので、本当にほっとしています」

羽生はFSで211.05を記録し、合計得点は322.36を獲得。SPとFSの両方で1位となり、完全優勝を果たした。こうして、羽生は北京2022冬季オリンピック日本代表の座を射止め、3度目の舞台へ出場することを決めた。

(2021 Getty Images)

4回転アクセル

全日本選手権の全ての競技スケジュールが終了した夜に開かれた北京2022日本代表内定会見で、羽生は3度目のオリンピックと4回転アクセルへの想いを、包み隠さずに語った。

「正直言って、僕にとってはあまり考えていなかったオリンピックです。ただここに来るまでの過程、ここに来るまでに支えてくださった方々への想い。また、現在も支えてくださっている方々への想いを含めて、出ることを決意しました。そして全日本で勝ち取りました。(北京2022に)出るからには勝ちをしっかりと掴み取ってこられるように、また今回のようなアクセルではなくちゃんと武器として、4回転半を携えていけるように精一杯がんばっていきます。応援よろしくお願いします」

彼を突き動かす原動力は、応援し、支えてくれている人々だ。いつだって、羽生はその感謝の気持ちを忘れない。

「もちろん1位を目指してやっていきたいと思います。ただ自分の中では、このままでは勝てないのは分かっています。もちろん4回転半というものへのこだわりを捨てて、勝ちにいくのであれば、他の選択肢もいろいろあるとは思います。ただ、自分がこの北京オリンピックというものを目指すその覚悟を決めた背景には、やはり4回転半を決めたいという想いが一番強くあるので、4回転半をしっかりと成功させて、その上で優勝を目指してがんばっていきたいと思います」

彼の夢は、4回転アクセルの人類初成功だ。そして、その舞台は、まもなく開幕する北京2022だ。

「正直言って、3連覇というものをあんまり考えずに過ごしてきました。ただ僕が今置かれている状況だったり、僕が今挑んでいる技だったり、また、いろんな年齢でオリンピックに向けて全力でがんばっている、いろんな選手たちの姿を見て、フィギュアスケート男子シングルで3連覇の権利を有しているのは僕しかいないので、もちろん夢に描いていたものではなかったかもしれないですけど、その夢の続きへしっかりとまた描いて、あの頃とはまた違った、前回と前々回とはまた違った強さで、オリンピックに臨みたいと思っています」

彼の夢は、彼だけにしか叶えられない。だけれども、この夢は、やはり、彼だけのものではなくなっていた。

この夢は、世界にただひとつ

羽生結弦は、覚悟を決めた。

前人未到の4回転アクセルの成功に向かって、それを実現する場所として、3度目となるオリンピックを選んだ。2個のオリンピック金メダルを獲得している誇りと共に。

「オリンピックって、やっぱり発表会じゃないんですよ。やっぱ勝たなきゃいけない場所なんですよ、僕にとっては。やっぱり2連覇してることもあるので。2連覇は絶対失いたくないし、だからこそ、また強く決意をもって、絶対に勝ちたいなって思いました」

- 羽生結弦(2021年12月27日)

諦めずに戦い続ける彼の言葉や姿に、これまで何度、勇気をもらってきただろうか。

こんな時代だからこそ、「スポーツの力」が必要だ。

世界の期待を一身に背負って、世界にただひとつの夢を実現させるため、精一杯「がんばる」彼のために、精一杯応援しよう。

この声も、この想いも、海を越えて、届くはず。

そして、それぞれの世界にただひとつの夢に向かって諦めずに戦い続ける全ての人たちにも、きっと届くはず。

さぁ、前へ進もう。

みんなで共に。

#StrongerTogether

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