北京2022のオリンピックシーズンがいよいよ始動し、代表の座をかけて、各国選手同士の熾烈な戦いも動き出す。日本の注目スポーツといえば、やはりフィギュアスケートだろう。女子では、前回の平昌2018の2枠から、2大会ぶりに最大となる3枠を獲得。言うまでもないが、このオリンピック出場チケットをかけた争いから、わたしたちは目を離せない。若手スケーターも台頭するなか、注目すべきは、平昌大会を経験し、2大会連続出場を目指す**宮原知子と坂本花織**のふたりだろう。
この週末、フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズが開幕し、第1戦はアメリカ・ラスベガスで行なわれる。実は、4年前の平昌大会を直近に控えたGPシリーズ・アメリカ戦でも激突しているこの2人が、またも北京大会のオリンピックシーズンで、アメリカという場所で顔を合わせることになるのは、単なる偶然なのだろうか?
大会をもっと楽しく観戦するために、彼女たちのオリンピックまでの足跡をいま一度、振り返ってみよう。
怪我からの復活
平昌2018の前シーズン(2016/2017)、宮原は怪我と故障に悩まされ、四大陸選手権や平昌オリンピックの枠取りのかかった世界選手権を欠場するなど、思うような活動ができなかった。日常生活にも支障を来してしまうような痛みまで現れ、およそ1ヶ月、アイスリンクから離れることを余儀なくされた。スケート人生で初めて、こんなにも長い期間、氷に立てないという苦汁を飲まされた。
2017年10月、平昌オリンピック出場の2枠をかけた国内の争いが本格化する。しかし、宮原の怪我はまだ完治していない。焦りが募る。だけれども、時は無情にも待ってくれない。師事する濱田美栄コーチからは「(平昌ではなく)5年後(北京2022)に向けて練習しましょう」とまで言われた。絶望してしまいそうだが、この言葉のおかげで逆に楽になれたと、後に宮原は語っている。
11月中旬、およそ1年ぶりとなる実戦復帰のNHK杯へ出場。日本中の注目を浴びながら、結果は5位に終わる。表彰台は逃したものの、日本人最上位という意地を見せつけた。そして、なにより、前向きだった。なぜなら、大好きなスケートリンクに戻ってこられたのだから。
「スケートを楽しむことができました。元気に滑れることに感謝して、滑るということができました」
そして、NHK杯からわずか2週間後の11月末、アメリカへ渡り、レークプラシッドで行なわれたGPシリーズ最終戦に出場。ショートプログラム(SP)を首位発進、さらにフリースケーティング(FS)でもシーズンベストのスコア(143.31)を叩きだして1位、合計214.03で圧巻の完全優勝を飾る。宮原、復活の瞬間だった。
「今までで1番うれしい優勝」
オリンピック出場枠のかかった全日本フィギュアスケート選手権は、例年とは違った緊張感が伝わってくる。それだけ、オリンピックという場所が、アスリートにとって、目標であり夢の舞台である証拠だろう。
全日本3連覇中の宮原も同じだった。平昌オリンピック出場のためにも、ここで「優勝しないわけにはいかない」と意気込んでいた。
SPで2位発進となったが、FSではノーミスの演技を披露し、1ヶ月前のGP最終戦の自己ベストをさらに上回る147.16をマークして、合計220.39で逆転優勝、全日本4連覇という偉業を成し遂げた。
普段は感情をあらわにしない彼女も、FSの演技後には大きなガッツポーズを頭上に高くあげた。こうして宮原は、平昌行きのチケットを手に入れたのだ。
「今までで1番うれしい優勝。この試合に合わせて頑張ることが目標でした。しっかり絶対やるという気持ちを実現できました」
― 宮原知子・朝日新聞より引用
シニアデビュー年の快挙
2016年リレハンメル冬季ユースオリンピックで日本代表を務めた坂本にとって、翌年の平昌オリンピックのシーズン(2017/2018)は、シニアデビューを果たした年であり、GPシリーズに初参戦したシーズンでもあった。
2017年10月、モスクワで行なわれたGPシリーズ第1戦のロシア杯に初出場した坂本は、SP4位、FS5位、最終5位で終える。シニアのレベルの高さや国際大会の壁を痛感する、ほろ苦いスタートで始まった。しかしながら、坂本の快進撃は、ここから始まる。
それから1ヶ月後のアメリカ・レークプラシッドにて、宮原と共にGPシリーズ最終戦に登場。宮原のスコアに1.32及ばないものの、自己ベスト69.40をマークして、SPを2位で終える。続くFSでも、自己ベストの141.19(2位)を記録し、最終順位は合計得点210.59で2位につけ、優勝の宮原と一緒に表彰台に並んだ。大会直後のインタビューで坂本は、「やってやろうという気持ちだけだった。初めてショートとフリーでパーフェクトの演技ができた。ここで決められたのは大きい」と語っている。
ジュニアからシニアへ、クラス変更したばかりの彼女の言葉通り、平昌オリンピック候補として坂本への期待がここから一気に膨らんだ。
17歳のシンデレラ
そして迎えた2017年末の全日本選手権。坂本は、SPでほぼノーミスの演技を披露し、73.59をマークして首位に立つ。驚きながらも、喜びが爆発する。しかし、油断はできない。2位の宮原との差はわずか0.36だった。
坂本にとって、全日本初優勝だけでなく、平昌オリンピックの切符をかけて臨んだFS。大きなミスはなかったものの、冒頭の3回転フリップ - 3回転トーループで後半部分の回転不足などが響いてしまい、思うように点数が伸びず、4位(139.92)に沈む。それでも、合計得点213.51で2位となり、全日本の表彰台の上で初めてメダルを首にかけることができた。
そして、上り調子の勢いが評価され、当時17歳の坂本は、国内ライバルたちとの熾烈な代表権争いを勝ち抜いて、オリンピック初出場のチケットを手中に収めた。シンデレラ・ストーリーのようなオリンピック出場を実現した坂本だが、代表会見では、たくさんの祝福メッセージを受け取っていることに「おー、ヤバイこれって」と笑いを誘いながら、10代とは思えない責任感の強さや、他のアスリートへのリスペクトを覗かせた。
「選ばれた限りは、他の人が行きたかった中で自分が行くので責任がある。その責任の中で、しっかり自分の演技ができたらいいかなと思っています」
―坂本花織
ふたつの夢が交差する
あれから、4年。
平昌オリンピックを経て、なおも続くパンデミックにより、十分な国際大会の機会にも恵まれないなか、北京2022に向けて、宮原と坂本は2度目のオリンピック出場を目指して、トレーニングに励んでいる。
奇しくも、ふたりにとってマイルストーンとなったアメリカという国で、4年前と同じようにそれぞれの夢が交差し、新たなチャプターが始まろうとしている。
復活を遂げた場所、弾みをつけられた場所。
ストーリーは異なるけれども、目的地は同じだ。今度は、どんな展開が待っているのだろう。今季も、ふたりから目が離せない。
フィギュアスケートGPシリーズ第1戦(アメリカ・ラスベカス)は、10月22日より開幕する。