日本人選手が初めて冬季オリンピックのスキージャンプ競技に出場したのが、1928年のサン・モリッツ大会。初出場から表彰台までの道のりは長かったものの、1972年の札幌大会の男子ノーマルヒルでは日本勢が表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれた**笠谷幸生、金野昭次、青地清二**がスキージャンプ人気の原動力となった。
その後、1990年代には**船木和喜、原田雅彦、葛西紀明**らがスキージャンプ界を牽引し、1998年の長野大会では数々の名シーンを生んだ。
そして現在、日本スキージャンプ界を牽引する2人のアスリートがいる。ともに1996年生まれの**高梨沙羅と小林陵侑(りょうゆう)である。ここではオリンピックデビューとなった平昌大会の個人ノーマルヒルで7位に入賞して以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、北京2022オリンピック**での活躍が期待される小林の活躍を追ってみたい。
「今日も、ぶっ飛んでいきましょう!」
照れ笑いとともに 「今日も、ぶっ飛んでいきましょう!」のセリフで、小林陵侑のYouTubeチャンネルはスタートする。
東京オリンピックに沸いていた8月、小林は自身のチャンネルを開設した。その理由は、アスリートとしての「生」の姿や気持ちを伝えることでスキージャンプをより身近に感じ、ひとりでも多くの人に楽しんでもらいたいから。
その言葉通り、彼のチャンネルでは大会や練習の様子、スキージャンプについての思いが語られる。冬季スポーツのなかで人気が高い競技とはいえ、サッカーや野球とは異なり、知られていない部分も多い。例えば、11月21日のワールドカップ個人第2戦でスーツ違反で失格になったというニュースが流れ、「どういうこと?」と思った人もいるだろう。小林は失格の理由について「ベルトが体の規格より1センチ大きかったので失格でした、ロシアに来て食も細くなってたせいかな」と Twitterに投稿し、ジャンプスーツ規則の厳しさをファンに伝えた。
急成長を遂げた25歳
小林は1996年11月8日、クロスカントリーの指導者である父のもと、岩手県に生まれた。兄、姉、弟のきょうだい全員がスキージャンプに取り組み、陵侑も幼い頃から家族とともにスキーを履いた。中学の頃から好成績を残すようになり、後に5歳上の兄・**潤志郎**の影響を受け、本格化させる。
ワールドカップデビューは2016年1月のザコパネ(ポーランド)で、初戦にして7位入賞。2年後の平昌オリンピックでは日本代表に選出され、個人ノーマルヒルで7位、男子団体では6位となった。小林が世界で存在感を発揮し始めたのはこの平昌大会以降である。それまでワールドカップで勝利したことのなかった小林は、2018/2019シーズンに13勝を挙げ、年末年始のスキージャンプ週間(Four Hills Tournament)では史上3人目となる4連勝(日本人としては初めて)を達成するなど急成長を遂げた。
今季の勢いにも目を見張るものがあり、スキージャンプ週間では自身2度目となる総合優勝を果たすなど、ワールドカップで7勝を上げた。
車、音楽、スニーカー
勝てば勝つほどプレッシャーを大きく感じるのは、多くのアスリートにとって同じだろう。小林はメンタルトレーニングや脳波を測ってのトレーニングで改善を重ねてきた。
彼を安定させるのは趣味の多さにもあるのではないだろうか。音楽が好きで、車が好きで、スニーカーが好き。「次の大会で活躍したら、靴を買う」と、自分のモチベーションを高め、2021年10月のサマージャンプ優勝後、ご褒美に念願の靴を購入した。洋服への関心も高く、ファッション誌から取材を受けることも。日本のエースとしての矜持を感じさせる一方、どこか飄々としていて、同時に普通の20代らしい一面も覗かせる。こうした小林の姿に多くのファンが魅了され、スキージャンプファンを増やしているといっても過言ではない。
ライバルは?
小林の金メダル獲得が期待されるが、彼の前にはライバルも立ちはだかる。圧倒的な強さで2020/2021シーズンのワールドカップ総合優勝を果たした**ハウヴォル=エグナー・グランルード(ノルウェー)のほか、昨シーズン総合2位のマルクス・アイゼンビヒラー(ドイツ)、小林と同様に金メダル候補と目されるカール・ガイガー(ドイツ)、さらにマリウス・リンヴィク**(ノルウェー)らが表彰台を目指して大会に挑む。
北京オリンピックでの男子ノーマルヒルの決勝(最終ラウンド)は2月6日現地時間20:00、混合団体が7日、男子ラージヒルが11、12日、男子団体が14日。
スキージャンプをひとりでも多くの人に楽しんでもらいたいという思いを胸に、小林はより遠くへ、そして美しく「ぶっ飛んで行く」。