オリンピックのレジェンドは語る : 原田雅彦・スキージャンプ「言葉にできない」空飛ぶ感覚

北京2022冬季オリンピック開幕に向け、Olympics.comでは各競技で成功を収めたレジェンドたちへの独占インタビューを通し、全15競技の知られざる魅力に迫る。今夏の東京2020の熱狂のように、20年前の長野の雪上で、挫折から栄光を掴んだ日本人スキージャンパー・原田雅彦が語る、開催国代表の幸せと「言葉にできない」オリンピックへの想いとは。

文: Yukifumi TANAKA/田中幸文
写真: Frank Peters/Bongarts/Getty Images

スキージャンプは冬のスポーツの中でも、見ていてドキドキが止まらないスポーツのひとつではないだろうか。ものすごいスピードの滑走で勢いをつけて、ジャンプ台から飛び出し、空中で体を微動だにすることなく、できるだけ遠くの地点へ着地するまでの、その距離の長さとポスチャーの美しさを競う。世界最高記録の飛距離は、なんと250mを超えるというから驚きだ。スキージャンバーたちは、刻一刻と変わる風や雪という過酷な自然条件を見極めながら、時には味方に、時にはそれに泣かされながら、スタートゲートを飛び出している。

この超人的なスキージャンプに、5大会連続でオリンピックに出場した日本人アスリート原田雅彦が、「オリンピックのレジェンドは語る」連載インタビューに登場。すべての質問に時間をかけてじっくりと考え、彼のアイコニックな優しいスマイルと共に、何度も発した「言葉にできない」という回答が印象的だった。

刹那の空飛ぶ感覚や、挫折から4年を経て迎えた自国開催の長野1998での団体金メダル。20年以上経過した今でも、「言葉にできない」想いを抱いて、スキージャンプの魅力、オリンピックへの感謝、そして開催まで半年を切った北京2022の見所を語ってくれた。

Olympics.com(OC): スキージャンプに夢中になったきっかけと、プロとしての道を歩むことにした理由について聞かせてください。

原田: 生まれ育った小さな町で、10歳からスキーを始めて、その横でスキージャンプ台から飛んでいる姿を見て、あのジャンプ台から飛んだら、一体どんな気持ちになるのかなっていう好奇心。ただ、それだけです。初めて飛んだ時は、やっぱり怖かったですよ(笑)最初は、ずっとスタートできなかったのを覚えていますけども、いざ飛んだら非常に気持ちよかったなっていうのも覚えています。

野球だったりサッカーだったり、スポーツはたくさんやったんですけど、すぐにできちゃって、飽きちゃうところがあったんです(笑)でも、スキージャンプだけは未知の世界でした。家族にもスキー経験者はいないですし、スキージャンプがどんなものか教えてくれる人が身近にいなかったので、その未知なる世界に非常に興味がありました。

初めて飛んで、言葉では表現しにくいフィーリングが生まれたんですよね。あの言葉にできない感覚をもう一度味わいたくて、もっと飛びたいと思うわけです。その気持ちが、スキージャンプにのめり込むきっかけになったんです。

スキージャンプがただ楽しくて、もっと遠くへ飛ぶために距離を伸ばす努力をしていただけなんです。距離が伸びていくのが感じられて、空を飛ぶ感覚が楽しくて仕方がないという思いがずっと強かったです。そして、国内競技会で1位になることが増えてくると、だんだんオリンピックへの意識が芽生えてきて、大好きなスキージャンプでオリンピックへチャレンジしたいって思ったのが、20歳前後のことだったと思います。

OC: 今もスキージャンプをされているのでしょうか? 引退後、どんな変化がありましたか?

原田: 2006年トリノまで現役で、そのまま所属していたチームから未来の選手たちの指導にあたってくださいというオファーをいただきまして、監督になりました。任命されてもう10年以上経ちます。

今は、現役選手と同じ行動をとっていますから、午前中はジャンプ台に行って、ビデオを撮りながら選手のトレーニングをサポートして、午後はジムに行って選手と一緒に筋トレしたりコンディションを整えたりしています。なので、現役時代とほぼ変わらない生活を今も送っています。

OC: 影響を受けたアスリートや尊敬するレジェンドはいますか?

原田: オリンピックに出場した人たちみんな。他の競技でもそうですけど、とにかくオリンピックまでには、それぞれいろんなドラマを乗り越えて、オリンピックの舞台に立っている。メダリストに限らず、オリンピアン全員に敬意を感じます。

OC: スキージャンプをひと言で表すと、どんな競技ですか?

原田: 「空を飛ぶ」という感じですね。世界中でスキージャンプしている人ってごく限られていると思うので、数少ない経験をしているひとりだっていうふうに誇りをもっていますね。特殊なスポーツですけど、大好きです。

原田雅彦・スキージャンプ男子個人決勝=アルベールビル1992
写真: © 1992 / International Olympic Committee (IOC) - All rights reserved

1分でわかるスキージャンプ

  • 基本ルール: 2回のジャンプの合計ポイントで勝敗が決まる。ポイントは、飛んだ距離の「飛距離点」と、空中での美しさや着地姿勢などを審判員に採点された「飛型点」で構成される。また近年は、風の条件やスタートゲートの高低も数値化された、ウィンド/ゲート・ファクターシステムもポイントの一部となっている
  • オリンピックでの歴史: スキージャンプ は、冬季オリンピックが始まったシャモニー1924から実施されている。男子の団体戦はカルガリー1988、女子ノーマルヒル個人はソチ2014より、採用されている。北京2022では、混合団体戦が新たに実施される
  • オリンピック強豪国: スキージャンプ発祥国であるノルウェーは、当然のように最多のメダル獲得を誇っており、これまで金11を含む計35を記録。そして、オーストリア(計25、うち金6)、フィンランド(計22、うち金10)とヨーロッパ諸国が続く
  • オリンピック最多メダリスト: 男子では、フィンランドのマッティ・ニッカネンが、金4を含む計5個のメダル獲得で最多。また、スイスのシモン・アマンが計4個(すべて金メダル)で次点。女子では、直近のオリンピック・平昌2018で優勝したのが、ノルウェーのマーレン・ルンビ。また、日本の高梨沙羅(平昌2018銅メダリスト)は、ワールドカップで通算60回優勝という、男女通じての歴代最多を記録中

OC: スキージャンプのどんなところが好きですか? また難しい点は?

原田: やっぱり、距離が出るときですね。鳥のようにいつまでも飛んでいることはできないんですけども、人間の限界、どこまで飛べるのかっていうことに挑戦して、その成果が出たとき。ラージヒルだと、140メートルに達するようなジャンプをするんですけど、ものすごく気持ちがいいんですよ。これは飛んだ人にしかわからない気持ちよさがあるんです。よく聞かれます、「飛んでいるときはどんな気持ちですか?」って。なかなか、うまく伝えることができないんですね。 うまく言葉にできないんです(笑)それほど、飛んだことでしかわからない気持ちよさがあります。

でも、スキージャンプは実力どおりに、うまくいかないんです。いつもの練習のように、イメージしたように、飛び出すんですけども、自然、突然の風の向きの変化に左右されるんです。不利な風が吹くと、距離を落とすことになるんです。選手としては非常に悔しいところですね。たくさんの準備をして、いいジャンプで飛び出したはずなのに、その実力どおりに結果が出ないのが非常に難しいところかなと思います。

原田雅彦・団体金メダルを逃し意気阻喪で頭を抱える=リレハンメル1994
写真: Shaun Botterill/ALLSPORT/GettyImages

OC: スキージャンプで成功するために必要なスキルは何ですか?

原田: ある程度、バカになることが必要です(笑)というのも、スキージャンプは奥が深すぎて、考えすぎて突き詰めていっちゃうこともあんまり良くない。うまく飛んでも、自然の所為でうまくいかない場合もある。 これを理解しながら、いろいろ受け止めていくのはストレスのかかることで、とても難しいんです。だから、どこかで線引きをして、スキージャンプってそういうものなんだって考えすぎない、これができないと成功しないと思います。

OC: スキージャンプにおいて日本が成功している理由は何だと思いますか?

原田: やっぱり選手それぞれの個性を伸ばしているところが日本の強さで、今後の復活のカギでもありますね。とにかく選手の一番いいところを伸ばしていこうっていうのが日本の強みです。そのスタイルが非常にうまく、最近の選手の成長に繋がってきているので、これからが楽しみです。それから、私の頃は、女子のスキージャンパーが少なかったのですが、高梨沙羅選手の活躍のように、彼女もまた自分のいいところを伸ばして、スキルを磨いているっていうところが、日本が世界で活躍している要因だといえますね。

OC: 現役時代の思い出トップ3を教えてください。

原田: それは、もう、どうしても、長野オリンピックになりますね。自分の生まれた国で行われたオリンピックに出場できる、その時に現役でいられたということが、もう完全に奇跡ですよね。しかもメダルを狙おうとするアスリートとして出場できたことが、本当に幸せというか、(幸せを)飛び越えていますよね。そしてたくさんの仲間と共に、金メダルを取れたということがまた奇跡ですし、もう語り尽くせないですね、本当に。

1994年のリレハンメルから長野までの4年間は、私自身としては、人間として非常に成長できた時間だったなと思います。アスリートとしてキャリアを積んでいくと、そこからプレッシャーというものを感じるようになりました。「競技会で結果を出すんだ」「メダルが欲しい」という思いもどんどん強くなるし、その反面、競技の怖さがプレッシャーとなって、たくさんのしかかってきて、それを克服するのに、人として成長したんじゃないかなと思います。私の場合、たくさんのドラマがありすぎたんですけども(笑)、そのおかげでアスリートとして成長できて、大好きなスキージャンプの奥深さといったものをたくさん感じることができたなと思います。 そして、長野オリンピックでの金メダルに繋がって、なんとも言葉にできないくらい幸せだなと思いますよ、自分でも。

原田雅彦・喜びを地元の観客と分かち合う=長野1998
写真: Ruediger Fessel/Bongarts/Getty Images

それから、初めて出場した1992年のアルベールビルも印象的でしたね。とにかく、なんのプレッシャーもなく、オリンピックに出るんだっていう、ノリだけで行ったのをよく覚えています(笑)街を歩いてても、オリンピックのマークだらけで、選手村の壁にもオリンピックのマークがいっぱいだし、食堂へご飯食べに行ったらお皿にまでオリンピックのマークがあるっていうのが驚きで、「オリンピックに来たんだな」っていうふうに感じて、楽しかったことを今でも覚えていますね。

OC:オリンピックの出場は、どんな意味がありましたか?

原田: やっぱり、目標でしたからね、オリンピック。最初はオリンピックに出るということが目標だったのですけども、今度はオリンピックで結果を出すことに変わっていき、さらにメダルの獲得に変わっていくのですが、今振り返っても、メダル以上にたくさんのことをいただいたので、オリンピックに。いろんなことを得られるっていうことがオリンピックに出る価値じゃないかなって思いますね。言葉では、もう、表せないです。もちろん、メダルを獲得するのは、アスリートとして一番の目標ですけど、 それ以上のたくさんのことを得られることがオリンピックの一番素晴らしいところだと思います。 いや、もう、とにかく、すべてをオリンピックからいただいて、 ありがたいなと思えることばかりです。私は、オリンピックに育てられたと思っています。

日本チーム・男子スキージャンプ、メダルセレモニーにおいて笑顔で表彰台から手を振る=長野1998
写真: © 1998 / Kishimoto/IOC - All rights reserved

OC: 北京2022ではどんな展開が期待できると思いますか?メダル候補者は誰ですか?

原田: 中国で行なわれるスキージャンプの国際大会はこれが初めてです。ワールドカップクラスはないですし、コロナの影響でオリンピック・プレ大会もできませんでした。とにかく未知の北京で、スキージャンプがどんな風に中国の方の目に映るのか、非常に楽しみにしています。スキージャンプの魅力が中国の方に伝わって、世界中の方とスキージャンプで共になれるのが、この北京オリンピックだと思いますから。

日本チームには、団体戦での金メダルをやっぱり期待してしまいますよね。長野から20年以上も経ちますから、また新しい歴史をぜひ北京で、今の日本人選手たちに作ってほしいなと思っています。男子の小林陵侑選手とか佐藤幸椰選手、女子の高梨沙羅選手や伊藤有希選手といった若手アスリートの笑顔を表彰台の上で見たいです。そして、オーストリア、ドイツ、ポーランドというヨーロッパのスキージャンプ強豪国と共に、鎬を削る姿を非常に楽しみにしています。

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