「どこかに行くとか、何かするときも声をかけられることが多くなったし、SNSとかでもインスタのフォロワーが急激に多くなったりとか、オリンピックの影響ってすごかったなと思います」
9月22日に15歳の誕生日を迎える吉沢恋(ここ)は、パリ2024オリンピックで新たな肩書きを手にした。オリンピック金メダリスト。だが、スケートボードに向かう気持ちは変わらない。
世界選手権のためにイタリア・ローマを訪れていた吉沢は9月中旬、Olympics.comのインタビューで今の思い、ここまでの成長、そして未来について語った。
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吉沢恋のスケボー熱を掻き立てた東京2020
コロナ禍の影響で1年延期して行われた東京2020オリンピック。この大会でスケートボードがオリンピックデビューを果たし、女子ストリートでは吉沢の2歳上の西矢椛が初代金メダリストに輝いた。スケーターたちが生み出した軽やかな空気感は、13歳の日本史上最年少オリンピック金メダルという驚きとともに日本全土を駆け巡った。
このときすでにスケートボードに励んでいた吉沢は、テレビでその様子を観戦していた。
「最初は、全然オリンピックとかスケートボードで行けるとか思っていなかったし、そういう風な気持ちを持ってスケートボードもやっていなかった」
「たまたまスケートボードがオリンピックの競技になるって知って、テレビで見てたっていうだけで…」と言葉を続ける。
東京2020が行われた2021年の年末には、ワールドスケートジャパン強化指定選手の選考を兼ねた日本スケートボード選手権が実施され、当時12歳だった吉沢は決勝で5位に入賞。強化指定選手に選ばれ、2022年の国際大会出場が決まった。
吉沢の前に現れた世界、そしてオリンピックへの扉。東京2020からおよそ1年後の6月には初めての海外、ローマでの大会に出場し決勝進出を果たす活躍を見せた。
「(オリンピックとは)何の関連もなかったところから、約1年、いろんな成長もあったと思うし、いろんな壁もあって、でもそういうのを乗り越えてきて、その1年後に、こういう風にローマに立てたので、やっぱり自分としてはその1年は大きな成長になったと思う」と、吉沢は振り返る。
「東京2020のオリンピックは、自分の中でスケートボードをもっとやりたいなっていう風に思えたきっかけでもあったかなと思います」
吉沢は2022年のローマ大会以降、世界ランキングで着実に順位を上げ、オリンピック日本代表枠最大3枠という狭き門を潜り抜けてパリの舞台に立つと、パリでは表彰台の頂点から日の丸が一番高い位置に上がるのを見届けた。
吉沢恋、パリ2024「金メダル」で変わったこと、変わらないこと
あれからおよそ2ヶ月。多くの人に声をかけられ、テレビに出演し、生活は大きく変化した。それは大会に臨む際も同様だ。9月14日終了したスケートボード・ストリート世界選手権では、オリンピックメダリストとしてシードが与えられ、予選は免除。吉沢が紹介される際には「オリンピック金メダリスト」という肩書きが添えられることとなった。
だが、そんな状況を吉沢は冷静に受けとめている。
「どんな大会に出ても、自分の名前の前に多分パリオリンピックの金メダリストって出てくると思うんですね」
「自分がそういう風に呼ばれるなんて思ってもなかったので、慣れないし、自分で聞いててもちょっと恥ずかしくなっちゃうこととかあって…」
「自分の中では緊張しないようにって思っても、やっぱりどっかではプレッシャーで緊張して、今まで通りには滑れなかったりとかすると思うんです」
「でも金メダルを取る前と取った後、変わらずに自分らしく滑れたらいいなと思います」と吉沢は笑顔を見せる。
世界選手権ではプレッシャーを感じさせない滑りで決勝進出を決め、表彰台には届かなかったものの4位で戦いを終えた。そして20日から始まる日本開催のXゲームズに出場する。
吉沢はそうしたプレッシャーも感じながら、スケーターとしてこれからも成長を続けていく。
金メダルを手にした14歳の今、どんな未来を思い描いているのか。
「やっぱり目指すは(オリンピック)2連覇したいなっていうのもあって」と4年後に控えるロサンゼルス2028に向けた想いを語った上で、競技以外の夢も教えてくれた。
「自分の心のどこかで、スケートボードっていうスポーツをやっている上で、自分のプロモデル、デッキを出したいなっていうのとか、大会も出るけど、ストリートで撮影して自分のビデオを作ったりとかっていうのもしていけたらいいなと思います」。