スケートボード・吉沢恋「オリンピックで1位取れたよ」/パリ2024金メダリスト

執筆者 Chiaki Nishimura
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写真: Getty Images

「1回目のオリンピックなんですけど、今まで1回出てきたくらいの気持ちで、やっと表彰台に乗れてホッとした気持ちです」

パリ中心部のコンコルド広場に流れた日本国歌「君が代」。表彰台で目の前で日本国旗が掲揚されるのを見ながら、14歳の吉沢恋(ここ)はそんな気持ちを抱いていた。張り詰めていたものが一気に解け、表彰台からパリの街並みそしてエッフェル塔を眺めつつ、ようやくパリにいることを実感した。

パリ2024オリンピック競技2日目となった7月28日午後5時、コンコルド広場に設けられた特設会場で、スケートボード女子ストリート決勝が始まった。

会場ではブラジルのスター、ライッサ・レアウを応援する大勢のファンがブラジル国旗を掲げ、ときに「ライッサ」コールが響く。吉沢はその戦いの舞台に立っていた。

パーク内を45秒間で自由に滑走する「ラン」2本、シングルトリックを行う「ベストトリック」5本で競われた決勝。初出場となったオリンピックながら、予選を「楽しく笑顔で」滑った吉沢は、決勝のラン1本目で他の7人全員が失敗する中、唯一クリーンなランを成功。暫定2位で迎えたベストトリックでは、4本目で「ビックスピンフリップ・フロントサイドボードスライド」を決めて同日最高となる96.49点をたたき出し、首位に浮上した。

吉沢はどのくらい金メダルを予想していたのだろうか。

「(金メダルを)想像してると、もしダメたったらって考えちゃうところがあって。でも4本目を乗れたときに、もしかしたら1位になれるかなって、やっと想像しました」

4本目の得点により表彰台がぐんと近づくと、吉沢は感極まったような表情を浮かべた。他のスケーターが最終トリックを終え、残りはともに戦い暫定2位に立っていた赤間凛音(りず)と吉沢。唯一トップを狙える位置にいた赤間だったが最終5本目のトリックで失敗し、その瞬間、吉沢の金メダルが決まった。

金メダルを獲得した14歳の吉沢(右)から、初めて国際大会に出場した12歳の自分(左)へのメッセージ。「オリンピックで1位取れたよ」

写真: R: Getty Images

2022年ローマへ。初の海外そして国際大会デビュー

パリ2024オリンピックに向けた予選は、2022年夏にローマで始まった。各国のスケーターたちは各大会でランキングポイントを重ね、2024年6月のブダペストの大会までの成績でオリンピック出場者が決まるという予選方式だ。

1戦目となった2022年のローマ大会は、吉沢にとって初めて親元を離れた旅で、初めての海外。しかも日本を代表してのスケートボードの国際大会である。

「初めて親元を離れて海外まで来て、正直、飛行機もまったく乗ったことがなかったので、ちょっと緊張してたんですけど、楽しく滑ることができてよかったです」。吉沢は2022年6月当時、ローマ大会をこう振り返っている

2009年生まれの吉沢は、「7歳くらいのときにスケートボードを始めた」。2021年に日本を沸かせた東京オリンピックが行われたとき、その存在をどこか遠いもののように感じていたという。「まだそのときは、ここ(ローマ大会)に出るのも夢みたいだったので、いつかそういうところに出られたらなって思いながら、(東京オリンピックを)見ていました」。

しかし、東京2020オリンピック以降、日本では2021年12月に日本選手権、2022年4月に日本オープンが行われ、そこで好成績を残した吉沢は、東京大会からおよそ1年後、このローマ大会の選手リストに名を連ねた。吉沢、12歳のことである。

「6年生になったら終わりっていうことを言ってたんですけど、6年生の終わりに日本で結果を出して、(その結果、ローマでの)大きい舞台に立てたので嬉しいです」(Olympics.comのインタビューより

「大会に出ていなかったら、6年生で(スケボーを)やめてたかもしれない」

「怪我しちゃうと滑れなくなるし、滑れなくなると自分が辛くなっちゃうので、その部分が嫌だなって思う部分でもあるけど、大きな大会でみんなと滑ってみると、やっぱりスケボーは好きです」

時は流れて2024年。14歳となった吉沢は、パリオリンピックの舞台で金メダルを首にかけた。

「早かったなと思います。いろんな波もあったから。一昨年の話ですけど、つい最近の話なんじゃないかと思うくらい。みんながレベルアップするのが早すぎて、2年前とか3年前とかの話じゃないように思います」と振り返る。

ローマ大会で決勝進出を果たしたものの、2戦目の世界選手権(アラブ首長国連邦)では19位で準々決勝敗退、3戦目のローマ大会では9位で決勝進出を逃すなど、世界の舞台で成績を残すことは決して容易ではなかった。

しかし、第4戦となったスイス・ローザンヌ大会で、吉沢は久々に決勝進出を果たして4位。第5戦の東京での世界選手権でも再び決勝に進出して5位に入り、表彰台に限りなく近づいていた。

オリンピックイヤーとなった2024年。いよいよその時が訪れる。

第6戦のドバイ大会で初の表彰台、3位。優勝した赤間と抱き合って喜びを分かち合い、涙を流した。続くオリンピック予選シリーズ(OQS)上海大会でも3位、OQSブダペスト大会では初の頂点に立ち、吉沢はオリンピック出場を決めた。

「精神的な面もあるし、技術面もあるし、もういろんな部分で自分がこの2年間成長できたなって思います。2年前のローマから(始まって)、親がいない状態で海外に来て『ラン』を組んで大会に出るという今まで未知な世界だったんですけど、そこに慣れて自分でも楽しいと思っていけるようになっていって。 そういう風に不安から楽しみに変えられたのが一番成長できたところかな」と吉沢は分析する。

そしてパリ2024オリンピックでは、笑顔で楽しむスケートで頂点に立つこととなった。2年前のローマの大会に挑んだあの日の自分に、金メダリストとなった吉沢は何と声をかけるのか?

「今戦っている舞台で勝ち上がってオリンピックで1位取れたよって言ってあげたいです」。