堀米雄斗2連覇、決勝5本目のあの瞬間…表彰台では「(涙を)こらえました」パリ2024スケートボード金メダル・インタビュー
パリ2024オリンピックのスケートボード男子ストリート決勝から一夜明けた7月30日。堀米雄斗を礼賛する美しい朝日が堀米の部屋を明るく照らし、堀米の新たな1日そして新たな章が幕を開けた。
東京2020オリンピックから続く2つ目の金メダルを獲得した7月29日の決勝。スケートボーダーの堀米雄斗は、暫定7位で挑んだ最後のトリックで「ノーリーバックサイド270ブラントスライド」を成功すると、同日最高得点となる97.08点をマークして首位に浮上。そのまま優勝を決めた。
「オリンピックが終わって、その日の夜は本当に夢かと思うぐらいずっと信じられなくて、ずっと友達とかと連絡取ったりとかしてて、寝ようとしてもあんまり寝れなくて」
「たぶん4時ぐらいに寝て。でも6時ぐらいに朝日で目が覚めました。窓を開けたまま寝ちゃってたんで。でもその朝6時ぐらいに起きたときの朝日がめっちゃ綺麗で、いい目覚めでした」
堀米はその美しい朝日を写真におさめ、自身のソーシャルメディアに投稿した。
堀米雄斗、家族や仲間に見守られての金メダル
決勝の直後に行われた表彰式で、堀米は自身の名前が呼ばれると感極まった様子で表彰台にのぼった。その目は涙を湛えているようにも見えた。
「泣きそうにはちょっとなったんですけど、こらえて…」
「今までのやってきたこととか、そのプロセスとかがすごいフラッシュバックして、本当に色々思うことがたくさんありました」と、Olympics.comのインタビューで堀米は語った。
堀米は東京2020からパリ2024の期間、自身の葛藤、周囲の変化の中で、暗闇を歩いていた。一時はオリンピック出場も危ぶまれたが、家族や仲間のサポートを受け、少しずつ自分を取り戻していった堀米は、オリンピックの舞台となるパリに家族を呼んだ。
「今までいろんな大会出てきているけど、自分から(家族を)呼んだことは1回もなくて。でも東京オリンピック終わってから3年間、本当にいろなことを乗り越えてここまで来れたので、オリンピック行けない可能性の方が高かったし、そういうのを色々考えたときに、やっぱこのオリンピックに立ててることって普通じゃないし、次、出られるかも分からないし、どうなるか先は分からないなって思って」
「オリンピックは自分にとってスペシャルな舞台ではあるから、家族を呼びたいなって思って今回初めて呼びました」
堀米雄斗、決勝ベストトリック5本目のあの瞬間
家族や仲間が見守る中で迎えた決勝。堀米は最も重要なタイミングで、最大限の力を発揮した。それはハッピーエンドの映画のシナリオ、いやそれ以上に完璧なものだった。
ラン2本とベストトリック5本で構成された決勝。暫定4位でランを終えた堀米は、ベストトリック1本目で94.16点を残したものの、2本目から4本目まで失敗し暫定7位。残り最後1本のチャンスにかけることとなったのである。
「あの5本目はもう…」
ベストトリック5本目。堀米の順番が回ってくると、パリ中心部のコンコルド広場に詰めかけた観客から一際大きな歓声が上がった。「堀米ならやってのけるかもしれない」「いや、Yutoとはいえそんなミラクルは起きないだろう」「もしかすると…」。さまざまな思いが観客やテレビを通じて観戦していた人の脳裏に浮かんだことだろう。
堀米は何度か大きく息を吐き出し、最後のトリックに向かって左足で静かにそして軽く地面を蹴った。
「(決勝)最初のライン(ラン)1本目はうまくいって、2本目は結構攻めて最後の技でミスっちゃって。ベストトリック(1本目)で、新しいトリックで高得点を取れて、あの時点で次やることを考えたときに、金とか関係なくメダルを取りにいく滑りをしたいなって思った。でも(白井)空良(そら)とかナイジャ(ヒューストン)とかジャガー(イートン)とかがどんどん技を決めてるのを見て、その滑りでいったらもう絶対に勝てないなって思ったし、すごい後悔するなと思ったから、最初の作戦とは違うけど、トリックをかえた」
「ブタペスト(大会)のときにやったトリックなんですけど。そのトリック、今回のレールはちょっと長いから自分の苦手な感じが少しあって、練習もあんまりうまくいかないことが多かった」
「(ベストトリック)4本目ぐらいまではすごいプレッシャーを感じた。乗れなくて焦ってたし、プレッシャーに感じてたんですけど、5本目はそういうのも全部吹っ切れて、本当にここまで来るのにもういろんなことがあって、なんかそういうのもちょっと思い出しちゃって」
「泣いても笑っても最後の1回でもう終わりってことに、一瞬だったけど嬉しい気持ちも少しあったりとか、なんかわかんないけどすごい楽しめた感覚も少しあって。でもその中でも自分の世界観にちゃんと入れた」
「自分を信じきれたことが最後の乗れた鍵になっていると思う」と堀米は続けた。
「単純な遊び」が「夢と勇気」に
堀米をコース脇で見守った早川大輔コーチは決勝後、長年付き添ってきたスケーターの活躍に涙を抑えることはできなかった。
「2回目だし、泣かないでいようと思ったんだけど、なんかもう抑えられなかった」(Olympics.comのインタビューより)
堀米にとってつらかったこの数年。早川コーチにとってもそれは戦いだった。
「いろいろ悩んでたと思うんだけど、1年前ぐらいからそれに気づいて、ちょっとずつ距離を詰めて、どうやって引っ張ろうかなって考えてたんで、自分にとっても結構チャレンジングな、ずっと考えてた1年だったから。いい結果が出て嬉しいですね。シンプルに、スケートボードが好きなだけのスケーターに戻してやろうと思った」と続ける。
そしてその堀米が、自身の葛藤を乗り越え、困難に挑戦し、オリンピックの舞台で最高の演技を披露した。「(堀米は)単純な遊びのスケートボードをこうやってたくさんの人に夢と勇気を与えてくれてるものにしてくれてる」と早川コーチは誇らしげに語る。
後日その言葉を堀米に伝えると、彼は照れたような笑顔を見せてこう続けた。
「スケートボードを自分が始めたときは、ただ単に楽しくて。お父さんがスケートボーダーだったので、お父さんがよく地元の小松川公園に滑りに行ってて、それに最初はついていってて、スケートボードに乗るっていうよりは、その普通の公園で遊んでいた。スケートボードが近くにあったから、その上に乗って遊んだりとか、座って乗ったりしてたんですけど、そこから少しずつスケートボードに乗り始めていて、楽しくなっていって」
「スケートボードを始めたときとかを考えると、遊びで、遊びだけどすごい本気で。その本気になった分きついけど、でもそこにまた新しい楽しさがあると感じてて」
そうしたスケートボートの魅力は、東京2020以降、新たに多くの人に伝播した。日本では各地にスケートパークが新設され、若き才能がどんどん開花している。堀米はその動きの中のど真ん中にいる。
「それがみんなの夢とか希望になっているんだったらすごい嬉しいです」と堀米は続ける。
2連覇を達成した今、堀米が魅せるスケートボード、そしてその先の未来に期待したくなるのは、彼を支えてきた両親やコーチ陣、仲間たちだけではないだろう。堀米に対する期待や自身が抱く葛藤はこれまでの数年とは比較できないくらい大きく膨らむのかもしれない。あるいはこれまでの経験を味方に、堀米はもっと伸び伸びと自分らしくスケートボードの可能性を模索するのかもしれない。
いずれにしても決勝の翌朝に堀米を照らした美しき光は、堀米にとってそして多くの人にとって光となることだろう。