堀米雄斗は、スケートボードの楽しさに突き動かされ、その可能性を追求するひとりのスケーターである。それは東京2020オリンピックを通じて多くの人が目にした競技の側面だけではなく、カルチャーとしての領域もである。
東京オリンピック金メダリストの堀米は、スケートボード人気の高まりとともに活動の幅を広げてきた。そしてそれはパリ2024オリンピックが近づくにつれて一層の厚みを増してきたようにも見える。Olympics.comが昨年2月に行ったインタビューで堀米は、「スケートボードは無限の可能性があると思っていて、まだまだみんなの知らない未来がある。その未来を少しずつ作っていけたら」と語っていた。
あれから1年以上が過ぎ、2023年12月には東京でストリートの世界選手権が実施されるなど、競技としてのスケートボードがますます認知度を上げる中、スケートボードに潜む無限の可能性を自ら模索するように、堀米は競技面そしてカルチャー面での活動に全力を注いできた。
2024年3月。オリンピック予選第6戦のために訪れていたドバイで、堀米は特設されたスケートパークを見下ろしながら、Olympics.comのインタビューで彼の現在地、そして5月16日〜19日に控えているオリンピック予選シリーズ上海大会への意気込みを語った。
堀米雄斗の思うスケートボードカルチャー
堀米は昨年、スケートボードの魅力を自らの活動を通じて多くの人に伝えてきた。
2023年1年間だけでも、東京、ローマ、ローザンヌ、シドニー、カリフォルニアなど世界各地で行われたおよそ10大会に出場し、4大会でその頂点に立った。大会では、板を前脚で跳ね上げて270度回転し、板の先端部分で背中側のレールを滑り、さらに270度回転して着地する「ノーリー・バックサイド270ノーズスライド・270アウト」という複雑かつ難しい技に成功。その一連の動きを、自身の名を冠した「ユウトルネード」と命名するなどして、にわかファンに親近感を湧かせることにも成功した。
その一方で、ファッション界をはじめ各方面とコラボしたほか、トークイベントにも参加するなどしてメッセージを発信し、さらにはスケーターとしてのこだわりのひとつである映像作品を制作・発表した。
スケートボードのカルチャーをあえて言葉で表現するとするならば、堀米からはどんな言葉が返ってくるのだろうか? そんな思いで尋ねてみると、少し間を置いた後、堀米は外からは見えづらいコミュニティの中で起こる化学反応のようなものを言葉にした。
「スケートボードのカルチャーには色んな要素が詰まっていて、ヒップホップだったりとか、アートだったりとか色々ある中で、スケートボードひとつで色んな人たちとつながれたり、そこからまた新しい考えだったりとかアイディアとかもどんどん出てくるもの。だから、すごく自由なものだと自分は思っています」
それはスケートボードの本質と言えるものなのだろう。堀米はこう続ける。
「もともとスケボーは遊びから始まって、自分も始めたときはすごく自由だったし、何も考えずに友達と楽しくスケボーしていた。楽しいだけではない部分もあるんですけど、それを超えた先に楽しさとかもあったりする」
「去年(2023年)は、自分のカラーウェイの靴を出したり、ビデオパート(映像作品)とかも自分の地元東京で残して、それを世界に向けて発信できた。小さい頃からやりたかったことでもあったので」と堀米は落ち着いた口ぶりで話す。
「オリンピック後、注目度とかスケートボードに対する印象もすごく変わって、スポーツの方では認められている部分はあるんですけど、自分がもともとやって来たことだったりとか、スケートボードに対しての思いだったりとかは、やっぱりまだ新しいスポーツでみんなに共感してもらえない部分とかもあったりする。その中で自分の葛藤とかもあって。でも自分のやりたいことをちゃんとやって、それを形にできたことがすごく嬉しい」
「ひとりではやっぱり実現できなかったので、サポートしてくれた友達とかスポンサーみんなにはすごく感謝しています」と続ける。
「大会」と「映像作品を撮ること」のバランス
多くのスケーターにとって「ビデオパート」と呼ばれる映像作品を残すことは自らの存在を示す重要な要素でもある。しかし制作に要する時間を考えると、大会で成績を残し続けることとの両立は容易ではない。
「映像を残すとなると、海外に行ったりとか、地方に行ったりするので、大会とかいろいろあるスケジュールの中で映像を撮っていかないといけない。そこに関してはすごく難しいし、スケートボードをしていて、あんま考えたくはないんですけど、やっぱり怪我とかもつきものではあるので、そういったことがあると練習とかもできなくなるし、もちろん映像も撮れない」と、堀米は説明する。
だがその上で、両方に取り組む理由をこう語る。
「2つやっていくのはすごく難しいことなんですけど、スケートボードをしていてモチベーションや『楽しい』っていうのを感じられないと、スケートボードをやっている実感が得られないし、自分の中でスケートボードをやっている意味がなくなってしまう」
「大会に出るまでの準備だったりとか、そのマインドだったりとか、体の調整とか」大会に出場するにあたっては簡単ではない要素もあるとした上で、堀米は「いい滑りができたときと、結果がそこでついてきたときに嬉しかったりとか、友達や家族、色んな人がサポートしてくれているので、そういった人たちを喜ばせられたときに、嬉しくて楽しいっていう感情がある。その楽しさとか喜びを得るために、もちろん自分のためにもなんですけど、そのために大会で滑っている」と続ける。
「大会をやっていって(成績を残すにつれて)新しくできることも増えたし、そのチャンスや場所をくれたのはやっぱオリンピックだったので、これからももっと自分を成長させていって、自分のやりたいこととか新しい夢に向かって頑張りたいです」
「パリオリンピックに出られるチャンスはある」
堀米はスケートボードの可能性をさらに模索するため、再びオリンピックの舞台に立つための戦いの中にある。そしてその戦いは佳境を迎えている。
パリ2024オリンピック予選期間の第1フェーズが3月のドバイ大会で終了し、世界各地から集まったスケーターの数は各種目44人(各国6人まで)に絞られた。5月に行われるオリンピック予選シリーズの上海大会、6月のブダペスト大会を通じておよそ半数となり、各種目22人がパリに向かう(※)。
だが、トップで活躍するスケーターを多く有している日本代表においては、1種目につき各国3人までという条件が、その戦いを一層厳しいものとしている。ストリートのオリンピック予選全6戦の結果だけを見てみても、第5戦となった2023年の世界選手権で白井空良(そら)が世界王者に輝き、第6戦のドバイ大会では根附海龍(ねつけ・かいり)が優勝した。
一方、堀米は先日行われたプロスケーターが出場する「Tampa Pro」で2連覇を達成しているものの、オリンピック予選を兼ねた大会では表彰台に立った回数も限られ、現在、白井、根附、小野寺吟雲(ぎんう)に続いて日本男子ストリートで4番手に立つ。
「ここ2年ぐらい、(国際統括団体)ワールドスケートの方(の大会)では結果がめちゃめちゃ悪いところから始まっていて、今、少しずつ立て直している」。堀米は現状を受け止めた上で、次のオリンピック予選シリーズに向けて、全力を注ぐ。「パリオリンピックに出られるチャンスはあるので、悔いの残らないように自分の精いっぱいベストを尽くして、最後まで滑り切りたいです」。
オリンピック予選シリーズは、まずは5月16〜19日に上海で行われ、6月20日〜23日には会場をブダペストに移して戦いが繰り広げられ、オリンピック予選が幕を閉じる。堀米は最後の2戦でどんな戦いぶりを見せるのか。彼の活躍を見届けたい。
※オリンピック各国代表の編成に関しては国内オリンピック委員会(NOC)が責任を持っており、パリ2024への選手の参加は、選手が属するNOCがパリ2024代表選手団を選出することにより確定する。