「ギリギリをずっと登ってきた」
2021年7月から8月にかけて行われた東京2020夏季オリンピックでスケートボードに出場した**平野歩夢**は、その半年後、北京2022冬季オリンピックの舞台に立ち、スノーボードで悲願の金メダルを首にかけた。
平野にとって銀メダルを獲得した平昌2018からの歳月は、自身でも「ギリギリ」だったと表現するほど「苦労の4年間」だった。4年間の戦いと、平野を支えたもの、そしてこれから……。平野が自身の言葉でOlympics.comのインタビューで語ったこととは。
孤独の戦い
ソチ2014と平昌2018で銀メダルを獲得した平野が「苦労の4年間」と語る理由のひとつは、新型コロナの影響で東京2020が1年間延期され、その結果、北京大会までの準備期間が半年になったことが大きい。
「今までのオリンピックと比べて、戦うものがふたつあった4年間で、世の中の状況から予定通りにいかず、時間が半年間しかなくなり、さらに厳しい状況になり、自分にとって苦労した4年間だったなって思います」
「オリンピックに出るまでのポイントだったりとか、スノーボードやれる時間もかなり限られた中で、ギリギリをずっと登ってきた」
平野は今大会でただ1人、高難易度の大技トリプルコークを決め、しかもそれを1度のみならず3度も成功させた。踏み切りから着地まで、いとも簡単にやり遂げているように見受けられたが、それは「孤独」の戦いを乗り越えてのものだったと振り返る。
「僕たち(スノーボーダー)は体を張る世界で生きていて、そこにはトップがひとりしかいない。技術レベルもどんどん上がってきて、トリプルコークとかも、ちょっと前ではあんなの死ぬとか言われているようなトリックが、今では可能になってる」
「(新しい技を)最初にやる人たちって、命がけの恐怖と戦っています。(技の)レベルが限界に近いとこまで来ていると思うんですけど、それと向き合うときになかなか楽しむ気持ちになれない。練習のときに、怖いとかやりたくないとか、いろんな感情が出てきて。でもやらなきゃないって、やりたくないけどやらなきゃ上に行けないって」
恐怖と向き合う過程は、孤独と向き合うことだったと語る平野は、自らを奮い立たせてきた戦いのクライマックスとなった決勝3本目で、最高得点をマークした。大会期間中は余計なことは一切考えず、「無感情」を保つという平野だが、このときばかりは感情の高ぶりを覚えた。
「さすがにオリンピックのあの一番最後のランとかは、『これはきた』っていう滑りを自分の中でも感じるぐらいの仕上がりを最後の最後で決められたので、(弟の)海祝と抱き合った瞬間とか、『これは来たでしょう』みたいな。俺以上に海祝はそうなってたようなところはあるんですけど」
幼き平野歩夢の夢
日々の練習の中で体を張って恐怖に立ち向かい、孤独と戦い続ける平野。彼を前へと進ませた原動力は一体何だったのだろうか。そんな疑問をぶつけてみると、平野は意外にも「原動力もモチベーションもなかった」と振り返り、「本当に孤独ですね」と語ったが、それでも唯一思い当たることとして、子どもの頃に抱いた夢を挙げた。
平野の「夢」は2006年、小学1年生の頃に始まる。当時、すでにスノーボードを始めていた平野は、トリノ2006オリンピックをテレビで観戦し、その世界に魅了された。
「テレビで見たオリンピックの景色だったりとか、戦っている人たちの姿とかみんながかっこよく見えて。自分もああなりたいなって」
オリンピックそしてその舞台での金メダルという夢を初めて抱いてから、北京2022でその夢を実現するまで16年。ひたむきに夢を追った期間を「長かった」と平野は語る。
「小さい頃の夢が現実的じゃなくなると違う夢ができてくると思うんですけど、僕の場合は、そこを諦めたくなくて。小さい頃の自分の、幼くてまだ何も考えてないときの夢を信じて、叶えたいっていう気持ちをずっと忘れられなくて。それが一番難しい部分ではあったんですけど。本当にようやくそのときの、若き自分の夢を叶えることができたなって。やっとの思いは多少あります」
そうした経験を含め、オリンピックでの自身の活躍が多くの人の目に留まることを期待する。
「オリンピックとかがないと、なかなかスノーボードの大会って、スノーボードを知らない人からは見られない部分がある」とした上で、オリンピックでの活躍を通して「スノーボードを広めていきたいし、見ている人たちの刺激になったらと思うし、自分の滑りで夢を与えられたらなっていうことを思っていて。(そう思うのは)小さい頃の見た景色を忘れられないようなところはあるのかなって思います」と語った。
平野歩夢らしさの追求
北京オリンピックのスノーボード男子ハーフパイプは、長年トップとして君臨したショーン・ホワイトの引退という意味でも注目を集めた。金メダルを3個獲得しているレジェンドの引退の舞台で、長年ともに競技に励んできた平野は金メダルを獲得し、多くの人の目には新たな継承者が誕生したかのように映ったことだろう。しかし、そんな状況でも平野は自分だけの道を築くことに専念する。
周囲からの期待を感じていると話す平野は、周りの声に左右されることなく、「自分は自分でありたい」と、その言葉に迷いはない。
自分のスタイルで「次の目標と、ストーリー性みたいなものを作り上げる」。その重要性を感じている平野は、「ずっとショーンと比べられるのもやっぱり何か。ずっと戦いが終わらないみたいな感じで自分も嫌なので。もちろん彼の挑戦する姿にリスペクトは持っていて、その上で彼と違うものでありたいとは思います」と、平野らしい静かで、しかし確かな口調で語った。
平野歩夢のこれから
オリンピックはこれから2024年のパリ大会に向かっていく。スケートボードとスノーボードの二刀流で戦う姿を見せてきた平野のパリでの活躍を私たちはどのくらい期待できるのだろうか?
「あんま期待しないほうが…(その方が)気は楽なんですけどね(笑)」
平野は爽やかな笑顔で答えを濁したが、それは競技の厳しさを知っているからに他ならない。
「周りに自信を持って(パリを目指すと)言えるほど甘くない世界というのを、前回出てみて実感しています。スケート人口ってスノーボード人口よりも多いし、これからどんどん盛り上がっていく競技のひとつで、オリンピックに向けてみんな今ものすごい練習をやっています。子どもたちも、大人たちも」
平野がスノーボードに全身全霊を注いでいたこの半年間もそれは変わらず、「みんな先に進んでいて、スケートボードのレベルも上がっています」。
「挑戦することには意味があると思うんですけど、やっぱり結果を求められる場所だったりするので」。こう話す平野の脳裏には、この4年間でスケートボードとスノーボードをやり抜いた苦労が浮かんでいたのかもしれない。
「簡単に決められない部分と、実際そんな簡単じゃないと感じている部分があるので、結構考えていて、迷っているというか。ふといきなりやる気になったらやるかもしれないです」
そう言って少しだけ期待させた平野は、「やんないかもしれないし、全然わかんないです」と付け加えて笑顔を見せた。パリ2024については未定だが、平野の中ではっきりと決まっていることもある。
「いろんな形で、いろんなもので戦い続けていきたいって気持ちはあります」
平野歩夢、23歳。ハーフパイプ王者の戦いはまだまだこれからも続いていく。