凄すぎる。
凄すぎて、言葉を失ってしまう。いったい、彼の進化はどこまで続くのだろう。
2022年1月8日にアメリカ・マンモスマウンテンで行なわれた、スノーボード男子ハーフパイプのワールドカップ第2戦で、**平野歩夢**が優勝した。
それだけじゃない。
その翌週(1月15日)、平野は渡欧し、スイス・ラークスで行なわれたワールドカップ第3戦に出場し、再度表彰台のてっぺんに上る。
ソチ2014と平昌2018で、2大会連続のオリンピック銀メダルに輝く平野は、昨夏の東京2020ではスケートボードの日本代表に選出され、日本人では史上5人目となる夏冬両季のオリンピック出場を果たした。
東京2020の1年延期により、**北京2022**までの準備時間は、わずか半年。
誰も選択しない茨の道を、平野は一心不乱に突き進む。
そして、北京2022日本代表として選出され、3度目の冬季オリンピック出場を決めた。
冬の平昌から夏の東京、そして冬の北京という、極東アジアで繋がれるオリンピックの大冒険を、この地球上で唯一、平野だけが歩むことのできる特別な旅路を辿ってみた。
最年少記録
父と兄の影響で、4歳からスノーボードとスケードボードに取り組んでいた平野は、その才能を早くから開花させていた。
2011年3月、まだ小学6年生の12歳の時に、平野はプロアスリートとしてスノーボードの国際大会へ初出場する。そして、海外選手との戦いを通じて、多くの経験を積み、そのスキルに磨きをかけていく。
2013年1月、14歳で出場したXゲームで銀メダルに輝き、一気に世界の注目を集める。この時、金メダルに輝いたのが、トリノ2006とバンクーバー2010の男子ハーフパイプで2連覇を達成していたレジェンドスノーボーダーで、後に平野の最大ライバルとなるショーン・ホワイト(アメリカ)だった。
さらに同年8月、ソチ2014を控えるオリンピックシーズン開幕戦のワールドカップ(ニュージーランド・カードローナ)に、平野は初出場を果たす。中学3年生になった平野は、この初出場のワールドカップで初優勝という快挙を成し遂げ、その知名度をさらに高めた。
こうした実績により、ソチ2014の日本代表に選出され、オリンピック初出場を実現するのだが、平野は怪我により大会直前までパイプでの実戦練習ができず、オリンピックの舞台でぶっつけ本番をすることとなった。
平野は40名中2位で予選を通過する。上位12名による決勝では、1回目のラン(滑走)で90.75の高得点をマーク。さらに、最後のチャンスとなる2回目のランでは、自身のスコアを上回る93.50を記録して、銀メダルを獲得した。15歳という年齢で、冬季オリンピックのメダルを獲得するのは、日本人選手としては最年少の記録となった。
「オリンピックを目標にして小さいころからやってきて、最年少メダリストという歴史に残るようなことができました。それは今後の自信にもつながると思いますし、自分のためにいい経験になったと思います」
- 平野歩夢
あと1cmずれていたら
2度目のオリンピックに向けて、平野は再び歩みはじめる。しかし、その道は決して平坦なものではなかった。
平昌2018開幕まで1年を切っていた2017年3月、アメリカでの国際大会に出場していた平野は、パフォーマンス中に空中でバランスを崩してしまい、パイプの縁に当たって、激しく転倒してしまう。意識はあり、競技を続けようとするも、周囲の猛反対を受け、病院へ救急搬送されることとなった。手術は免れたものの、肝臓が内部で破裂しており、左膝の内側側副靱帯(ないそくそくふくじんたい)も損傷する重傷で、集中治療室で2週間過ごすことを余儀なくされた。全治3ヶ月と診断された大怪我は、「あと1cmずれていたら、命を落とすことになっていたかもしれない」と、現地のドクターに言われた。
一命を取り留めたものの、人生初の大きなアクシデントに、平野はハーフパイプが怖くなって、自信を失いかけていた。
しかし、強靭なメンタルで、彼は前を向く。
「動けない時に何をするか。人一倍考えられるこの時間を使って、『怪我をしてよかった』と思えるようにならないといけないと思った」
- 平野歩夢・朝日新聞より
2017年5月、平野はスノーボードを久々に履いて、地元・新潟のトレーニング場の傾斜をゆっくりと、でも確実に滑っていく。リハビリ中に、何度も見ていたビデオでイメージしていた通りに、怪我をする前以上の高みを目指していた。
平昌オリンピックまで半年を切った2017年9月、4年前に初優勝を果たしたワールドカップの会場、カードローナに平野はいた。オリンピックシーズン開幕戦かつ深傷からの復帰戦で、平野は2位となり表彰台に上る。さらに、同年12月には、ワールドカップ2大会で連続優勝を果たした。
平野、完全なる復活劇を成し遂げた。そして、2大会連続のオリンピック出場権を手に入れたのだ。
自分らしく
2018年2月13日、平野は韓国・平昌の雪上に立っていた。
30名がエントリーした男子ハーフパイプ予選において、平野は2回目のランで96.75の高得点をマークし、全体3位で通過する。
そして、翌日(2月14日)に行なわれた決勝には、平野を含む上位12名が進出。合計3回のランができ、そのうちのベストスコアでメダルが争われた。
予選を1位で通過し、平野の最大ライバルと目されていたホワイトは、1回目のランで94.25というハイスコアをいきなり叩き出す。一方の平野は、1回目で転倒してしまうが、2回目のランで爆発させる。
オリンピック史上初となるダブルコーク1440を連続トリックで決めて、会場を沸かす。そして、95.25というスコアで、暫定トップへと躍り出た。
最後のチャンスとなる3回目のランでも、平野はさらなる高得点を狙って滑り出したが、着地に失敗し、スコア更新はならなかった。しかし、誰も平野の得点を上回ることができないでいた。
そして、迎えた最終滑走のホワイト。前回ソチで4位に沈んだ王者の気迫は凄まじいものがあった。そして、氷点下の寒空にもかかわらず、観客席のボルテージも、むんむんと高まっていく。
勢いよく滑り出したホワイトは、ダブルコーク1440の連続トリックの間に、ロデオ540を決めるなど、計5のトリックをクリーンに決める。そして、97.75というスコアで、オリンピックチャンピオンに返り咲いた。平野は、ホワイトにわずか2.5及ばず、2大会連続の銀メダルとなった。
ドラマティックな逆転優勝で歓喜に酔いしれるホワイトを称えながら、平野の表情は険しくも、納得の笑顔を見せた。
「悔しさは残っているが、今自分ができる範囲の中で、全力でやれたと素直に思う」
そして、平野はふたたび、前を向いていた。
「この結果を生かして、またリベンジとして、4年後に出られればと思います」
彼は、どこまでも慎ましく、自分らしかった。
「自分のこだわっているものや勝ち方にこだわりながら、またがんばっていきたいなと思います」
- 平野歩夢
二足の “ボード”
東京2020の新種目に、スケートボードが追加決定されたのが2016年8月のこと。
平昌2018が閉幕したその年の晩秋、平野は誰も踏み入れたことのない茨の道を歩むことを決めた。そう、冬から夏へ、もうひとつの “ボード” で、母国開催のオリンピックを目標に活動することを発表した。
「スケートボードは、スノーボードと同じタイミングではじめた。オリンピックの正式種目となった以上、スルーするわけにはいかない」
またしても、彼の選んだ道のりは簡単なものではなかった。
2020年3月、COVID−19による地球規模のパンデミックにより、東京2020の1年延期が決定する。それでも平野は、スケートボードへの挑戦を続けていた。
渡航制限が緩和された頃、平野はスイスへ渡り、スノーボードのトレーニングも並行して取り組むようになった。延期になった東京2020と、次の冬季オリンピックである北京2022までの期間は、わずか半年しかないのだ。まさに、二足の “ボード” を履いて、平野は夏と冬のボードスポーツに励んでいた。Olympics.comの単独インタビューで、平野はこのチャレンジの難しさについて、正直な心情を吐露していた。
「これからのことを考えると、すごいハードで、気持ちもどっちに切り替えたらいいか。常に見えない方向に向かっているという、そういう戦いをしている」
2021年4月、平野はスノーボード・ハーフパイプの全日本選手権に出場し、2位という成績を収める。
その翌月の5月、今度はアメリカに渡り、東京2020の最終予選となるスケードボードの国際大会に出場。決勝競技には進出できなかったものの、日本人でランキング最上位となり、夏季オリンピック出場を確実にした。
そして、2021年8月、平野は東京2020スケートボード男子パークに出場。青く広がる夏の空へ、高く華麗に舞った。
結果は予選敗退だったが、平野の表情は清々しかった。
「3年前にこの挑戦を始めた時には、この舞台に立てるとは思ってはいなかった。それが現実になって、大きな舞台で楽しめたというのが一番強い。この場に立たせてくれた人、周りの人に感謝しかない」
人跡未踏の旅路を歩む平野は、誰よりも強い。
「ほかの人がやっていないチャレンジを選んで、スケートボードをやってからは、楽しいだけ、納得いくことだけではなかった。それはスノーボードではあまり感じない部分だった。スケートボードが、自分自身を強くしてくれた」
彼には、先を急ぐ理由がある。なぜなら、次の目的地が決まっているのだ。
「ここからはスノーボードとしっかり向き合いたい。やっていない期間が長いので、今のスノーボードのレベルに追いつけるようにしたい。半年しかないが、そこをしっかり目指して、『また挑戦が始まる』という気持ちで準備していきたい」
平野の冒険は、季節を変えて続いていく。
一歩一歩、夢へ歩む
この冬のオリンピックシーズンを前に、平野は「少ない時間のなかでは順調に進んでいる」と、北京2022への自信を覗かせた。
「自分にとって、かなり大きい、特別なオリンピックになってくると思う。大きいチャレンジだと思うし、その中でどこまでいけるか、自分自身と向き合っていきたい」
2021年12月、平野はアメリカにいた。4年ぶりのワールドカップに出場した平野は予選を1位で通過。決勝では4位となり、惜しくも表彰台を逃してしまう。
しかし、その2週間後に行なわれたプロ選手だけが参加できる国際大会 "デューツアー" では、大技のトリプルコーク1440を公式戦で史上初めて成功させ、世界を唸らせた。
そして、冒頭のとおり、平野は4年ぶりにワールドカップ表彰台の頂点に立った。
そういえば、最年少でオリンピックメダルを獲得した際、平野は人生の目標について、こんな言葉を残している。
「ひとつ目標をもって、それに向かって一歩一歩、歩んでいく」
そう、平野はいつだってひたむきに、自分を信じて、一歩一歩、夢へ向かって歩んできたのだ。
彼は、準備ができている。わたしたちも、準備をしなければならない。
さぁ、見届けよう。この地球上でたったひとつの冒険物語の行く末を。