いよいよ、夢見た場所へ。
空に高く舞いながら、息を呑むような超人的パフォーマンスが魅力のハーフパイプを楽しみにしているスノーボードファンにとっては、今か今かと、その戦いが待ちきれないことだろう。**北京2022冬季オリンピック**のボルテージも、初日から振り切れてしまいそうな感覚だ。
そして、この北京2022女子ハーフパイプのメダル候補としても呼び声が高いのが、日本の**小野光希**だ。
「いま、自分に足りないのは、滑りの完成度。もっとたくさん、練習の量を増やすことが大切だと思っています」
小野は、スノーボード世界ジュニア選手権のハーフパイプ種目で、2018年と2019年、2年連続で優勝する。さらにその翌年、弱冠15歳で出場した**ローザンヌ2020冬季ユースオリンピック**においても、表彰台の一番高い所に上り、その名をさらに世界へ知らしめた。
「こんな大きい素晴らしい大会で、優勝できたことをすごく嬉しく思います。今まで、やってきたことが実ったと思います。あと、たくさんの人の応援が、すごく力になりました」
これは、ローザンヌ2020における競技直後のOlympics.comインタビューで答えた小野の言葉だ。当時も今も、彼女は、感謝の気持ちを忘れていない。
「とくに、両親には、改めて感謝を伝えたいです」
大学受験を終え、本格シーズンの海外遠征に向けた最終準備の真っ只中の2021年11月上旬、小野はOlympics.comのためにインタビューの時間を用意してくれた。17歳の高校3年生とは思えない、丁寧かつハキハキとした受け答えと、あどけなさが残る笑顔の奥で、時々、頂を目指すアスリートの芯の強さが見え隠れする眼差がとても印象的だった。
「考えたこともないです(笑)」
「スノーボードが無いなんて、想像がつかない。いい時も悪い時も、全部、スノーボードが私のそばにいました。なんだろう、双子のような存在(笑)」
スノーボードとの出会い、8歳で夢見たオリンピックへの冒険、そして命懸けで取り組むハーフパイプへの情熱など、飾り気なく語ってくれた17歳の熱き想いに、心が揺さぶられた。
心、奪われて
小野は埼玉県出身。幼少期、両親が新潟のゲレンデへよく連れて行ってくれた。そんな両親と姉の影響もあって、小野は3歳から、スノーボードを始めたという。すなわち、彼女のスノーボード歴は、まもなく15年を数えることになる。
そして8歳の時、バンクーバー2010のスノーボード・ハーフパイプをテレビで観てから、小野はすっかり、そのスポーツに心を奪われてしまったと言う。
「バンクーバーオリンピックを観て、ハーフパイプに興味をもって、『これ、やりたい』って思って。それから、オリンピックは将来の夢として、ずっと目標にしてきました」
オリンピックの夢路を歩みはじめた時から、ずっとサポートしてくれる両親への感謝を、彼女は一度も忘れていないと、語気を強めた。
「『オリンピックに出たい』って言ってた頃は、まだ全然、ハーフパイプも始めていなかったんです。(それなのに)小さい時から、『がんばって』って言ってくれて、両親はずっと応援してくれていました」
「まだ現実味のない時点から、オリンピックへの夢を応援してくれていたので、両親のことを尊敬していますし、すごく感謝しています」
冬のオリンピックを控える今季の大事な節目で、小野は両親だけでなく、サポートしてくれる全ての人へ、改めて感謝を伝えたいそうだ。
「コロナで、活動が限られていた中で、海外で練習できる環境を用意してくれた人たち、スポンサーの方や、両親と家族、周囲の方々全員へ、すごく感謝しています」
応援される選手
世界ジュニア選手権での2連覇を達成した翌年にあたる2020年1月、小野はオリンピック・キャピタルと呼ばれる街、スイス・ローザンヌに聳えるアルプスの雪嶺で舞っていた。ローザンヌ2020冬季ユースオリンピックの日本代表として、スノーボード女子ハーフパイプに出場、95.33というハイスコアをマークし、2位となった鍛治茉音とは10点も突き放して、圧勝の金メダルを獲得した。
なかでも、特に思い出に残っていることは、街の中心部で開催された、メダルセレモニーと閉会式だと振り返る。
「規模が大きくて。地元の観客の方とか、スタッフの方とか、いろんな国の選手も集まっていて。メディアの数には驚きました。こんなに大きい大会に、今まで出たことがなかったので。全部が初めての経験でした」
TEAM JAPANの一員として、日の丸が刺繍された公式ユニフォームを身に纏いながら、ローザンヌ2020では多くのことを学んだと、小野は続ける。
「国の代表として大会に参加するので、自分自身の意識も高まりますし、周りからの期待とか、注目度も高いので、気持ちが引き締まりました」
「トップアスリートになるには、ただ競技力があるだけじゃダメだなって感じました。応援される選手になりたいので」
次の冬季ユースオリンピック、江原道2024を目指す次世代のアスリートたちへ、経験者としてのアドバイスを聞いた。
「まずは、自分の競技を楽しんでやること。それから、周りへの感謝の気持ちを忘れずにいること。そうしたら、自然と結果もついてくると思います」
あえて、何も考えない
感動的なクライマックスで幕を閉じたローザンヌ2020の閉会式の直後、世界はCOVID−19のパンデミックに襲われる。小野は、国内最初の緊急事態宣言が発令された2020年春から、その夏の終わりまで、従来のトレーニングができなかったと話す。
「一番大変だったことは、練習に行けなかったことです。県外に出るのも控えていたので、自宅でしかトレーニングができないっていうのは、すごく焦りを感じていました」
そんな困難な状況下で、自分の気持ちやメンタルに変化が現れたと、小野は続ける。
「コロナになって、大会の数も減ってしまったので、1回1回の大会に対する思い入れが、前と比べて強くなりました。より少なくなった機会を、より大切にしています」
「いろいろ考えすぎてしまうことが、昔からよくない癖だったので、最近は、大会前は、何も考えない。いいイメージしか考えないようにしています」
「逆に、大会じゃない時は、悪いパフォーマンスの動画を見ています。いい時の動画と照らし合わせて、分析をする機会は、増えたかなって思います」
スノボで学ぶ古の教え
昨夏行なわれた東京2020で、ある場面に小野はインスパイアを受けたと話す。
「女子のスケードボードのパークで、岡本碧優ちゃんが、最後決めきれなくて。でも、その時に、周りの選手が、彼女に駆け寄って、かついであげたシーン」
「お互いリスペクトしながら、滑っているのを見て、スポーツをこういうふうに楽しんで、できたらいいなと思いました」
類似の友愛関係は、スノーボーダーの間にもあると、小野は教えてくれた。
「そこまで、ライバルっていうふうに、バチバチはしてないですね(笑)大会前は、みんな集中してて、関わることは少ないけれど、終わった後は、たとえば、勝った選手に声をかけに行きますし、滑りでアクシデントがあった選手にも、声をかけに行きます。国籍とか年齢は、関係ないですね」
そんなスノーボーダーの中でも「すべてが別格」だと仰ぐ、平昌2018王者の**クロエ・キム**は、トリックだけでなく、彼女の振舞いもチャーミングだと、小野は憧れる。
「クロエは、会う時はいつも明るい感じが伝わってくる人当たりのいい選手ですね。トップだからといって、高くとまっているわけでもなく、全員に平等に明るく接していて。トップアスリートとして、自分もそういう選手になれたらと思います」
小野は今、キムが歩んだ足跡を辿ろうとしている。キムは、リレハンメル2016冬季ユースオリンピックにおいて、ハーフパイプ金メダルを獲得し、その僅か2年後の平昌オリンピックでも、金メダルを獲得しているのだ。しかし、小野のロールモデルであり、最大のライバルとなるキムと、北京2022で互角に戦うためには、キャブ1080の習得がマストだと強調する。
「クロエが平昌オリンピックでやっていたルーティンを全部、今、練習中です。でも、同じ技をするだけじゃ勝てないので、もう少し進化したトリックを覚えたいです」
「フロントとキャブの1080を連続でつなげた技を、初めてオリンピックで、クロエが平昌で成功させたので、今、私もそれをできるように練習しています」
最後に、好きな言葉を尋ねたら、意外な回答が返ってきた。
「好きな言葉は、『好きこそ物の上手なれ』ですね」
「ことわざとかを、小学校で勉強した時に、一番にいいなと思ったのがそれで(笑)後々、自分が大きくなってから、意味とかについて考えていると、やっぱりスノーボードは好きじゃないとできないなって。危険なスポーツでもあるので」
「大袈裟になっちゃうんですけど、命かけてスポーツできないなって、好きじゃないと(笑)」
クスッと微笑んだ瞳の奥で、スノーボードへの情熱と、17歳の並々ならぬ決意が迸るような、胸を突き動かされた瞬間だった。