**北京オリンピックを前に、決して表彰台に姿を表すことのないスタッフたちの奮闘を追うシリーズ「栄光の舞台裏」。ローラン・ダイノーさんの仕事ぶりに迫った「カナダ代表ショートトラック技術者のブレード愛」、リッコ・グロスさんの「バイアスロン界のレジェンドがオーストリア国民を魅了する」、ピーター・ハーベル**さんの「スポーツ心理学者に学ぶメンタルヘルスケアの秘訣」に続き、今回Olympics.comは、ロシアのサンクトペテルブルクで最も高級な仕立て屋のひとつである「That's me」のオーナーに話を伺った。その人物とは、マリア・エフスティグニエワ(Maria Evstigneeva)さん。トップフィギュアスケーターらの衣装を手がける人物だ。
彼女が語ってくれたのは、衣装のアイディアから氷上での初披露に至る制作の全プロセス。このプロセスにおいてひとつ明らかなことは、オリンピアンと一緒に仕事をする上で、オリンピックへの強い思いが必要であるということだ。
揺るぎない決意
サンクトペテルブルク出身のエフスティグニエワさんは、幼い頃から自分の進みたい道をしっかりと認識していた。どんなことが起ころうとも彼女の強い意志は揺らぐことはなく、同地にあるスティーグリッツ・アカデミーのファッション部門の難関プログラムに何度も挑み、4度目にして入学を許された。そして自分の望むキャリアを築くことに成功し、自身のスタジオでは10年以上にわたってフィギュアスケートのトップ選手らの衣装を手がけてきた。彼女の顧客リストには、イタリア出身の**カロリーナ・コストナー、ロシア出身のクセニヤ・ストルボワ、ヒョードル・クリモフ、ミハイル・コリヤダ、アンドレイ・ラズキン、ドミトリー・アリエフ**などが名を連ねる。
フィギュアスケートという競技自体がそうであるように、彼女の成功の鍵は「努力」と「クリエイティブな才能」の組み合わせにある。フィギュアスケートのシーズンが本格化した今、彼女のチームは直接スケート場に衣装を届ける。
多くの場合、衣装は大会ギリギリのタイミングで制作することになる。「早めに依頼する選手はわずか」で、例えば、CSフィンランディア・トロフィー(2021年10月初旬/フィンランド)でコリヤダが身につけた衣装は、大会の数日前に完成した。 コリヤダの例を挙げ、彼女は創作プロセスを次のように説明する。
「通常、アスリートから伝えられたテーマをもとにいくつかのアイディアを考え、ミハイル、ミーシン(コーチを務めるアレクセイ・ミーシン)、振付師に送ります。チームワークですからね。そこから試着に入ります。私がスケート場に出向くこともありますが、選手が私のスタジオで試着した場合には、コーチに写真を送ります。写真で見ると、見落としていた部分が見えてくることもあります」
くるみ割り人形と詩人
エフスティグニエワさん曰く、このプロセスで最も重要なことはアスリートの言葉に耳を傾け、彼らが思い描く衣装のイメージを理解すること。
「多くのトップアスリートと一緒に仕事をしていますが、私が自分の直感だけを頼りに衣装を作っていたら、毎回同じようなものが出来上がってしまうかもしれません。しかし、選手らは自分の考えや理想を持って私のスタジオを訪れます。これはとてもありがたいことです」
そう話す彼女の作品を、私たちは今シーズンどこで見つけることができるのだろうか。
「先日のフィンランドの大会で、ミーシャ(コリヤダ)はショートプログラムの『くるみ割り人形』を国際的に初披露しました。ディマ(ドミトリー)・アリエフも新しい衣装で大会に挑みました。彼がフリースケーティングで演じるのは、詩人です。彼の衣装を作るために、長い時間をかけて意見を交わしました。イメージの中でキャラクター像は出来上がっていたのですが、なかなか実現しませんでした。結局、同僚のオルガが1週間という短期間で衣装を完成させました。生地が決まると、すぐに動き出しました。彼のために特別な刺繍が施されています」
選手らが寄せる信頼は厚く、「彼女の衣装が幸運をもたらす」と頼りにする選手は少なくない。CSフィンランディア・トロフィーでは、くるみ割り人形の世界観を表す軍服風の衣装、繊細な詩人のキャラクターが際立つ衣装など、見事な衣装デザインの後押しを受け、コリヤダとアリエフはそれぞれ2位と3位の成績をおさめた。
ありきたりを避ける
衣装にはそれぞれ背景となるストーリーがあり、そこには課題もある。有名なキャラクターがテーマの場合、ありきたりなデザインにならないようにする一方、そのキャラクターであることが認識されるものでなければならない。
「あるシーズン、ドミトリー・アリエフとアンドレイ・ラズキンが共に仮面舞踏会をプログラムに選び、ふたりとも同じアイディアを持ってそれぞれ私のところに来たのです。しかし、私は似たようなキャラクターにならない表現方法を見つけることができました」
スポーツ用品を手がける企業各社が水泳選手や陸上選手、スキー選手のために革新的な素材を開発している一方で、フィギュアスケートの衣装の素材に大きな変化はない。体操選手が着用するレオタードなどで一般的なバイフレックス(biflex/合成繊維)が主な素材となる。
「これはフィギュアスケート界では最も一般的なもので、私も長いこと利用している生地です。ミハイル・コリヤダの『シンドラーのリスト』の新しい衣装では、彼のベストに別の素材を使いましたが、やはりバイフレックスと組み合わせています」
衣装デザインの際、ISU(国際スケート連盟)が定める標準的な衣装の要件以外にも、注意すべき点がある。
「ペアの場合、体にぴったりフィットすることが重要です。女子の衣装は非常にタイトで、『第2の皮膚』のようなものでなければなりません。というのも、ジャンプで衣装がずれてしまう可能性があるからです」
また、演技中にしっかりとサポートが得られるよう、ペアスケーターの腰の部分には飾りを施さない。これに比べてシングル種目のスケーターはより自由度が高いが、それでも細部へのこだわりが大きな違いを生む。さらに、ファッションショーのように、フィギュアスケートにも独自のトレンドがある。
「男子では、コートやジャケットが多く用いられます。女子は、これまでスカートの丈が短いものが好まれていましたが、この傾向は反対の方向に向かっています」
カロリーナ・コストナーと着想の源
スタジオ「That's Me」では、カロリーナ・コストナーがアレクセイ・ミーシンとトレーニングをしていたときに衣装を制作。コストナーが持ってきたアイディアは、エフスティグニエワさんの頭の中に何年も前からあったもので、ファッションショーから着想を得たものだった。
「彼女は自分で描いた絵を持って私のところに来たのですが、私はそれをステージで目にしたことがありました。初めて見たときから気に入っていて、そのスタイルをフィギュアスケートに取り入れたいと考えていました。そして、すべてがそろったのです」
エフスティグニエワさんが抱く今シーズンの夢は、彼女のスタジオで作った衣装の上でオリンピックのメダルが輝くことだ。
「私にとって3度目のオリンピックになります。最初は2014年で、フェドル・クリモフ(ROC)と**クセニア・ストルボワ**(ROC)の衣装を制作しました。2度目は2018年で、アリエフとコリヤダの衣装。今シーズンはアリエフとコリヤダが北京で大きな成功を収めることを願っています」
トップ選手らに衣装を提供してきたエフスティグニエワさんだが、あらゆるクリエーターがそうであるように、創造性において浮き沈みがあることも認める。
「疲れていると、クリエイティブさが失われます。たとえるならば、すべてを話してしまった後に、何かを話さなければならないときのような感覚です。新しいアイディアをどこで見つけてくるのか。新しいことに取り組む前は少し怖いものですが、いったん動き出してしまえば意外と簡単です。自分の作品をアスリートが身につけているのを見ると、オリンピックに向けた彼らの戦いに自分が貢献していることを実感できます。とても気持ちが良いことですよ」。