世界メンタルヘルスデー:スポーツ心理学者に学ぶメンタルヘルスケアの秘訣
今日(10月10日)は、世界メンタルヘルスデー。東京2020で大きく注目されたアスリートの心の問題について、チームUSAを支えるスポーツ心理学者が、様々な疑問や対処の秘訣を Olympics.com だけに教えてくれた独占インタビュー
夏に行われた東京2020で、シモーネ・バイルスが明らかにしたメンタルヘルスの問題は、世界中で大きな話題を呼び、アスリートのメンタルヘルスについて、これまで以上に注目されるきっかけとなった。
季節は移ろい、来冬の**北京2022**に向けて、冬のアスリートたちは着々と準備を始めている。だけれども、メンタルの準備はどうだろう?
Olympics.comでは、チームUSAで、アスリートのメンタルヘルスをサポートしているスポーツ心理学者、ピーター・ハーベルに独占インタビューを敢行。オリンピックを目指す数多くのアスリートをサポートする心理学のスペシャリストより、メンタルヘルスの重要性とその対処の秘訣を聞いた。
ホッケー選手だった過去
ハーベルのスポーツキャリアは、ホッケー選手だったオーストリアから始まる。「調子がいい時と悪い時、ものすごく大きな差があったんだ。次第に、心の状態がプレイに影響していると気付いて。そんな心理的影響について、もっと知りたいと思ったことが、スポーツ心理学者になったきっかけだね」
その志しを胸に、ボストン大学のスポーツ心理学の大学院課程へ進学するため、ハーベルは渡米する。その在学中、幸運だったことに、地元のアイスホッケーチームのインターンとして採用された。そして、当時のチームコーチが、女子アイスホッケーの全米代表コーチとして招聘されたことから、ハーベルも彼に帯同し、長野1998に向けたサポートメンバーとして関わるようになった。女子のアイスホッケーが初採用された長野大会で、アメリカの歴史的な金メダル獲得に貢献したのち、ハーベルは、米国スポーツの拠点と呼ばれるコロラドスプリングスで、アスリートをサポートする心理学者チームの一員として働くようになる。
現在、ハーベルは、チームUSAが参加するオリンピックやワールドカップに帯同するため、世界中を飛び回り、夏はプールサイドから、冬はアイスリンクの横から、トレーニングの様子を窺いながら、アスリートの体の変化や失敗した時の様子を分析している。
「オリンピックであろうと、ワールドカップや世界選手権であろうと、朝からトレーニングに参加して、選手の話を聞いたり、変化がないかをチェックしています。そして、個人競技や団体スポーツに関わらず、マインドフルネスやチームビルディングを行なったりしています」
しかしながら、彼が会話の中心になることはないと、ハーベルは強調する。
「アスリートへ話すことが目的ではない。彼らが中心となって話すことのできる環境を提供することが私の役割なのです。その点では、個人種目の選手より、チーム競技の選手と関わることの方が多いかもしれないね」
東京2020の教訓
東京2020以前と現在では、役割が変わってきているとハーベルは話す。彼が現在、取り組んでいることは、チームの目標について、分析および再評価をすること、そして最大の焦点は、アスリートの心の状態だという。
「私は、アスリートのため、メンタルがどのように体へ作用しているのかについて、彼らが自分で理解できるようにサポートしています。そうすることで、アスリートは、競技中でもメンタルコントロールができるようになります。機械的に、思考や感情を制御するのです。しかしながら、そのコントロールする力を、時に心が盗もうとするのです。その泥棒のような心は、アスリートから “大切なもの” を奪ってしまう。彼らはそれを “自信” だと言いますが、私からすれば、自信よりもっと大切なものです。“注意力と集中力” です」
東京2020の体操競技で、チームUSAが経験したことは、多くの教訓が隠されているとハーベルは説明する。
「我々が一番に分かったことは、アスリートは人間だということです。彼らは、アニメに登場するようなスーパーヒーローではない。私たちと同じ心をもった人間なのです。体を鍛えるように、心もトレーニングできます。オリンピックに出場するのなら、心も鍛えなくてはいけないと私は信じています。心をトレーニングしていれば、どんな苦境に直面しても、不安に陥ってしまうような場面を減らすことができるでしょう」
また、大きな大会に向けては、身体のトレーニング量と同じくらい、心のトレーニングが重要だと続ける。
「現在のトレーニング環境では、体を鍛えるための設備は十分に整っています。ですから、たいていのアスリートは身体のトレーニングを適切に行なうことができます。だけれども、心のトレーニングについては、明らかに不十分です。メンタルトレーニングのクオリティが、主要大会での結果に大きく影響します」
冬季アスリートのメンタルヘルス
東京2020が閉幕して、息をつく間もなく北京2022が近づいてきている。ハーベルは、夏季と冬季のスポーツではアスリートのメンタルに影響を与える要因が異なると語勢を強めた。
「冬のスポーツは天候に左右されやすい。すなわち、不確実性のレベルがいっそう高まるのです。しかも、一部の種目はとても危険です。集中力の維持が、特に重要になります」
また、選手が抱えるメンタルヘルスの問題は、個人スポーツやチーム競技に関わらず、類似していると話す。
「個人スポーツの選手はやりやすいですよ。なぜなら、うまくいかない時、誰の所為にもできないですから。なので、責任感が強くなる。しかし、個人スポーツの選手といっても、コーチやスタッフと共に行動するチームの一員です。どうやってチーム全体を動かしていくのかを考えておかないと、いい結果にはつながりません」
偉大なロールモデル
ハーベルは、**ラファエル・ナダル**の例が大好きだ。
「何年もの間、この場所でプレーしてきているが、いつだって疑いの気持ちしかない」
アスリートのメンタルトレーニングの際、ハーベルがよく取り上げる全仏オープンでのナダルのコメントだ。こんな発言をしていながら、ナダルは全仏を過去13度も制している。
「この言葉を取り上げると、トレーニングに参加したアスリートは安堵するのです。『ひとりじゃないんだ。きっと、自分にもできる。思考を変えるのではなく、注意力にフォーカスしよう』って視点を変えるようになる。思考や感情ではなく、注意力こそがパフォーマンスに最も影響すると理解するのです」
「ナダルはとても正直で、裏表もなく、自分が傷つきやすいことも隠したりしない。しかも、疑ってしまう気持ちをオープンに話すことに対して、ためらいがない。彼は、メンタルがどのように作用するのかを理解しています。ナダルのような成功しているプレーヤーでも、メンタルと戦っているのだと、アスリートたちは共感することができるのです」
北京大会に向けて、メンタルヘルスの問題に直面する最大の山場が、オリンピック本番ではない選手も数多くいることだろう。まさにこれから、オリンピックの選考に向けて、チームメイトがライバルになるからだ。
「オリンピックの選考会は、まさにゼロサムゲームです。全員がオリンピックに行けるわけではない。ある選手にとっては、胸が張り裂けてしまうような結果が待っているかもしれない。それも全て、その大会をどのように位置付けているかに因ります。そして、最大の敵は、自分自身です。アスリートはベストを発揮できるように、全力を注ぎます。そのためにも、我々サポーター側は、ベストの環境を提供する必要があります。そして、ライバルの存在のおかげで、次のレベルへ進むことができる。そんな選考会を作り上げる必要があります」
「不確実性を引き連れて」
当然ながら、メンタルヘルスはアスリートだけの問題ではない。北京2022を観戦する全ての人に対して、多くのメッセージが届けられるとハーベルは確信している。
「スポーツに魅力を感じる最大の理由は、誰も予測できない不確実な結果が待っているからです。だから、私たちはアスリートの熱い戦いに釘付けになってしまう。すでに、アスリートが私たちに教えてくれています。何が起こるか分からない不確実なことを、私たちの誰もが経験済みだってね」
「確実なものを切望したり、次に何が起こるか知りたい時もありますが、一寸先は闇で、何が起こるかなんて誰にも分からないのが現実です。こんな不確実性の中で、私たちは今も十分たくましく生きているのです。だから、確実性を求めるより、いっそ、不確実性を引き連れて楽しんだ方が、少しは気持ちも楽になりませんか?」