責任を感じる姉に寄り添う妹・美帆、髙木姉妹の絆と#StrongerTogether

女子団体追い抜きでの2大会連続の金メダルという夢が、あと残り100mを切ったところで銀メダルへと変わってしまった……。レース直後は「涙の銀メダル」となったが、日本のオリンピック史に残る「最高の銀メダル」として、私たちの心に記憶されることになるのではないだろうか。

1 執筆者 Chiaki Nishimura
女子団体追い抜き(チームパシュート)で銀メダルを獲得した日本代表。左から佐藤綾乃、高木美帆、高木菜那=2022年2月15日、北京2022
(2022 Getty Images)

会場は「アイスリボン」の愛称で知られる国家速滑館。**北京オリンピック**のスピードスケートで、数々のオリンピック記録が生まれている場所だ。

そして、日本のオリンピック史に残るであろう「最高の銀メダル」のストーリーが紡がれた場所でもある。

北京オリンピックの大会11日目、2月15日に行われた女子団体追い抜き(チームパシュート)決勝。

2連覇をかけて臨んだ日本女子のメンバーは、髙木美帆髙木菜那の髙木姉妹、そして佐藤綾乃。息の合った隊列で序盤からわずかにリードした日本は、0.39秒差で迎えた残り1周の最後のコーナーで、最後尾を滑っていた髙木菜那が転倒。惜しくも金メダル、そして2連覇を逃してしまった。

レース直後から溢れる涙を抑えきれなかった髙木菜那。そばにそっと歩み寄って肩を優しく抱いたのは、日本のエースで妹の髙木美帆だった。

リンクを降りて号泣する姉に、何を語るでもなく寄り添うと、レース直後のセレモニーでは、涙を流す姉をしっかりと抱きしめた。

「かける言葉は見つからなくて、そばに行くことしかできなかったですけど、起きてしまったことをどうすることもできないもどかしさと、それを背負う必要はないと思っていても、本人はそうはいかないというのも、長く過ごしていると感じる部分はある。そういう複雑な気持ちで、寄ることしかできなかったです」と、美帆はレース後の記者会見で語った。

(Richard Heathcote/Getty Images)

平昌2018の女子団体追い抜きに続き、姉妹で一緒につかんだ2つ目のオリンピックメダル。だが、ここに至るまでの姉妹関係がすべて平穏だったわけではない。

先にオリンピックデビューを果たしたのは、2010年当時15歳だった妹の美帆だ。バンクーバー2010への出場が決まり、妹が脚光を浴びる様子を目の当たりにした2歳上の菜那は、妹に対する嫉妬心が渦巻いたという。

ところが4年後のソチ2014では、逆に菜那だけが代表入りを果たす。菜那が歯を食いしばって目の前のことにひとつひとつ取り組んだように、今度は美帆が、悔しい気持ちを胸に練習を重ねた。そして平昌2018には姉妹そろって出場。女子団体追い抜きで、姉妹の胸には金メダルが輝いた。

あれから4年間、血と汗がにじむような努力の末に手にした北京大会での銀メダル。本人たちが期待した色ではなかったかもしれない。しかし、レース後に髙木美帆と佐藤綾乃、そしてチームが髙木菜那に寄り添う姿を見て、姉妹そして選手らの絆の強さとスポーツの美しさを多くの人が感じ取ったことだろう。

レース後に行われた記者会見で、3人はそれぞれ次のことを語った。

髙木美帆「4年前から主力メンバーが前線で戦い続けられているというのは、自分たちの強さの証でもあると感じています」

髙木菜那「この3人でしかできないチームパシュートをこの4年間貫き通せたことは、私たちの誇っていいところかなと思います」

佐藤綾乃「このメンバーじゃないと、ここまで強くなることができなかったので、すべてが私の誇りです」

さらに佐藤綾乃は、自身のツイッターでこうつづった。

「色々な思いはありますが、最高の銀メダルでした」

女子団体追い抜きの日本チームは2022年2月15日、北京オリンピックで「最高の銀メダル」を日本にもたらしたのである。

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