「今できること今しかできないこと今だからできること、しっかりじっくり考えて、私なりにこの道を進んでいきたいと思います」。コロナ禍で迎えた2020年5月の誕生日に、スピードスケートの**高木美帆**はこんな言葉を自身のインスタグラムに残した。
コロナ禍による葛藤はもちろん高木の中にもあったに違いないが、世界と戦えない状況に焦ったり嘆いたりするのではなく、置かれた環境下で自分ができる戦いに挑んだ高木。彼女の決意の強さは、同年12月の全日本スピードスケート選手権に現れ、500m、1000m、1500m、3000m、5000mの5種目に出場し、すべてでトップの座を手にした。
今季ワールドカップ、北京オリンピックスピードスケート日本代表選手選考競技会(12月29〜31日)でも好調な滑りを見せ、日本選手団の主将として**北京2022冬季オリンピック**に挑む高木美帆とはーー。
15歳のオリンピアン
高木が初めてオリンピックに出場したのは、15歳のときだ。当時サッカーにも励んでいたという高木は、国内選考会に彗星の如く現れると、中学生ながらバンクーバー2010の代表メンバーに選出された。バンクーバー大会は1500mで23位、1000mでは棄権選手を除いて最下位となるなど、成績は振るわなかったものの、「スーパー中学生」として全国にその名を知らしめ、のちの「トップスケーター」として世界を目の当たりにした瞬間だった。
ところが、4年後のソチオリンピックでは代表選考で落選。この経験が彼女を本気にさせ、平昌大会での成功へとつながっていく。
まだ手にしていない個人の「金」
不発に終わったバンクーバー2010、その舞台に立つことが許されなかったソチ2014の雪辱を果たすかのように、2018年に行われた平昌オリンピックで、高木は団体追い抜き(パシュート)で金メダル、1500mで銀メダル、1000mで銅メダルと、3色すべてを首にかけた。
個人でのオリンピック金メダルにはまだ手が届いていないが、その栄誉に限りなく近づいていると言っても過言ではない。というのも、今シーズンのワールドカップ4戦の1500mでは、最初の3戦で優勝、第4戦で2位。1000m、3000mでも好成績を残しており、スピードスケート界において全種目で表彰台を狙えるオールラウンダーとしての地位を確立している。
さらに高木は2019年のワールドカップ・ソルトレークシティ大会の1500mで1分50秒の壁を破り、1分49秒83のタイムで世界新記録を樹立している。
自らが変わるということ
「世界が変わることを変えられないのであれば、それを嘆くのではなく、自ら変われるように挑戦していきたい」
冒頭で紹介したインスタグラムの投稿では、このようにもつづっている高木。彼女を支える家族や周囲への感謝と、コロナ禍によって困難に直面する人々への励ましのメッセージと共に添えられたこの言葉には、本人の芯の強さと、人々に元気を与えようとする気負いさえ感じられる。
初めてオリンピックに出場してから、まもなく12年。さまざまな挑戦を成し遂げてきた高木だが、その姿勢は12年を経ても変わることはない。度々「攻める気持ち」の大切さを口にしており、冬季スポーツの日本の歴史が高木に用意した主将としての**北京オリンピック**という舞台で、彼女が求め続けている「攻めの滑り」を私たちは目にすることになるだろう。