週のうちの数日、昼食時にネイサン・チェンは、そのユニークな形状から「The Whale(クジラ)」と呼ばれるイェール大学のスケートリンクに向かいスケートを滑る時間を楽しんでいる。
彼はよく新しい振り付けを試すが、他にスケーターたちがいても気にしないと言う。オリンピック金メダリストはスケート愛好家たちと氷を共有し滑ることを楽しんでいる。「今の私にとってスケートをすることは、とても私的でくつろげる時間なのです」と彼は言う。「その時間は私だけのものなのですから」
男子フィギュアスケートのオリンピックメダリスト、24歳のチェンは、昨年の北京2022冬季オリンピックでの勝利に向けて、イェール大学のリンク(あるいはコーチ、ラファエル・アルトゥニアンのいる南カリフォルニアのリンク)で練習のために非常に多くの時間も費やしてきた。
しかし、今の彼にとって、それは過去に留めておこうとしている時間でもある。
「毎日、困難を克服し挑戦を成し遂げるための原動力は内面から湧き上がってこなければならないのです」と、チェンは競技に復帰するために何が必要かをOlympics.comに語った。「それはあなたが本当に情熱を持って、あなたを本当に駆り立てるものでなければならないのです。それは外部からもたらされるものではありません」
「現在、私は学問に没頭しているので、それについてあまり深く考えてはいないですね」と、残り1学期となった大学で統計学とデータ科学を専攻するチェンは言う。
「もし私が再びそれ(内的な原動力)を感じることができたなら、私は喜んであの世界に戻りたいと思います」と彼は話した。しかし、その後、彼は次のように付け加えた。「でも、私は今の自分が置かれた場所にとても満足しているのです」
ネイサン・チェン:カムバックに必要なこと
2023年11月10日の朝、チェンはニューヨーク・マンハッタンのチェルシーで開かれたオメガのイベントの輝く赤いステージの上で、レジェンドオリンピアン、アリソン・フェリックス、100mおよび200mの現世界チャンピオン、ノア・ライルズ、そしてパラリンピックのスター選手、オクサナ・マスターズらと並んで座っていた。
彼らは、オリンピアンになるための原動力について議論していた。「それはあなた自身のアイデンティティにならなければなりません」と、チェンは数百人の観客に語った。「あなたが下した全ての決定があなた自身なのです」
それは2度のオリンピアン(チェンは平昌2018で5位入賞)がよく知るコミットメントであり、もし彼がミラノ・コルティナ2026オリンピックに挑戦することを選んだ場合には必ず実行することだろう。しかし、「私には今のところ、今後、多くの時間をトレーニングに割き、また挑戦するといった計画はありません」と、チェンはイベントの後、舞台裏で話した。
「あなた自身が、『これが私です。これが私のアイデンティティです。これが私の情熱なのです…』と言えるようになれば結果は見えてくると思います」と彼は付け加えた。「もし私がメダルや外からの評価だけにこだわっていたなら成功しなかったと思います。それが動機である限り、私はさまざまな困難を乗り越えることができなかったと思います」
チェンにとって、これまでの大きな困難のひとつは、彼の競技キャリアの中で長年抱えてきたけが、特に北京2022前に負傷した股関節の傷害のことである。
「私は手術を受けていませんが、今は本当に痛みがないのでうれしいです」と、チェンは左脚の股関節について語った。「今の私は手術をしなければならないとは思いませんが、もし私が本当にカムバックすることになったら、その時は考えたいと思います」
「私は今、とても幸せです」
チェンは、北京2020で金メダルを獲得したことは「長い間夢見ていたこと」だと言う。しかし同時に「正直に言って、私の人生を大きく変えたわけではない」とも言っている。
「それは私が新しい光の中に足を踏み入れ、次に何をするべきかを考える機会にはなりました」と彼は話す。
「実際に今は素晴らしい場所にいます。私はとても幸せです」
現在のチェンには、学部の最後の1学期が残っている中、医学部への進学要件を満たすために必要な計画がある(彼は来年6月に始まるプログラムにすでに合格している)。
チェンの関心事は、かつては4回転ルッツやレベル4ステップシークェンスなどだったが、今では心臓病学の実験室での作業に没頭し、論文を提出し、科学会議で発表することだ。
「私たちはCHIP(クローン性造血)と呼ばれる現象を研究しています」と、チェンは彼の研究について説明した。「CHIPは特に骨髄にある幹細胞に関連しており、私たちはこれらの変異体を追跡し、深層学習(人間の脳神経をモデルにした学習手法)を使用してバリアントを特定し、たとえば「心不全の影響は何か?」のような疑問をより深く理解するために分析しているのです」
スケートから研究への予想外の展開の中で共通していることは、チームワークの側面だった。チェンは氷上で周りの人々と一緒になって目標を目指し努力してきたが、これは実験室でも同じだった。
「私はこのチームと一緒に取り組むことができて本当に幸運です」とチェンは話した。「私たちの主任研究者は、臨床と研究の両方を行うことのできる素晴らしい腫瘍循環器学者です。こんな科学の二面性に関わり、彼女の研究がどのように患者の治療に活かされるのかを見ることは本当に素晴らしいことです」
ネイサン・チェン:宇野昌磨とイリア・マリニンについて
とはいえチェンは、「ほろ苦い」感情を持ちながら、今シーズンのグランプリシリーズを見てきたと言う。「外から見ることができるのは本当に楽しいことですが、『私もそこにいることができたんだ…』なんて思うと、ちょっとほろ苦さがありますね」
チェンは、ニューヨークでのイベントやスケートショーなどをいくつかこなしつつ、今も彼が競技を行っていた時と同じように創造的な取り組みを楽しんでいる。最近では友人と一緒にメロディック・ハウスミュージック(ハウスミュージックのひとつ)を使った振り付けを制作している。
「私は自分の新しい振り付けを作るためにリンクに行きます」と彼は言う。「私は氷の上にいるのが好きです。新しい音楽に合わせてスケートするのが好きなんです」
彼は、ライバルの宇野昌磨が過去2シーズンで2度の世界タイトルを獲得し、10代のイリア・マリニンが背後に迫ってきているのを見てきた。
「それは経験豊富な選手と新進気鋭との戦いです」と彼は言う。「それがどのようになっていくのかを見るのが今から楽しみです」
その間、チェンはまたイェール大学のスケートリンク「The Whale」で昼食時のスケートを楽しんでいることだろう。
「私がリンクにいるのは、それは私がリンクにいたいからです」とチェンは振り返る。「それは私がそこにいたいからであって、トレーニングに時間を費やしたいためではありません。私はそこにいるのがただ好きだということだけです」