新井涼平:世界陸上に影響されやり投げの世界に...東京で2度目の五輪出場を目指す

東京五輪出場を目指す新井涼平

体格差で劣る日本人にとって投てき種目は不利とされてきたが、男子やり投では高い技術で世界との距離を縮めてきた。2020年東京五輪で期待されるのは、新井涼平だ。2017年以降、故障で低迷が続いているが、徐々に調子を取り戻しており、新国立競技場で大投てきを見せてほしい。

高い技術を持つ日本男子、その系譜を継ぐ

長さ2.6~2.7m、重さ800gのやりを、35m前後の助走を用いて投げ、その飛距離を競う男子やり投は、陸上競技で最も投てき用具が遠くへ飛ぶ種目だ。広大な陸上競技場のなかを飛んでいくやりが描く軌跡は雄大そのもの。「ヒトは、身体ひとつで物体をこんなにも遠くへ投げられるんだ」というその究極を、実感することができる。

体格や絶対的な筋肉量に恵まれた外国人競技者に比べると、陸上競技の投てき種目は日本人に不利な面が多いとされているが、男子やり投では、徹底したトレーニングで走力や筋力を高めたり、助走や投てき時のフォームや投げ出しの角度などを突き詰めて高い技術を身につけていったりすることで、その不利を克服して世界との距離を縮めてきた。

1984年ロサンゼルス五輪で吉田雅美が5位入賞を果たすと、その3年後の1987年にローマで行われた第2回世界選手権で溝口和洋が6位に入賞、2009年ベルリン世界選手権では、村上幸史が銅メダルを獲得している。2020年東京五輪で、これらの先達に続く活躍を期待されているのが、新井涼平(あらい・りょうへい)だ。

テレビで世界選手権を見てやり投げを始める

新井は1991年生まれで、埼玉県秩父郡長瀞町の出身。小学生のころはソフトボール、中学では野球に取り組んでいたが、補欠でベンチを温めていることが多かったという。2007年にフィールドホッケーが盛んな皆野高校に進学して、いったんはホッケー部に入部したがすぐに退部。

しかし、同年夏に行われた大阪世界選手権をたまたまテレビで見ていたときに、男子やり投を制したテオ・ピトカマキ(フィンランド)の投てきに心を奪われ、それがきっかけとなって陸上を始めた。高校3年の2009年にはインターハイ4位、国体少年A3位、日本ジュニア選手権5位と、競技を始めてわずか1年半ほどで、全国大会入賞を果たすようになった。

さらに、国士舘大学へ進学し、投てきコーチとして高い実績を持つ岡田雅次の指導を受けるようになると、新井の眠っていた才能は大きく開花していく。まず、最初のブレイクとなったのが大学2年時の2011年。日本選手権で当時の自己記録を6m近く上回る78m21を投げて4位に入賞し、注目を集めたのだ。翌2012年日本インカレを制して初の全国タイトルを獲得すると、4年時にはユニバーシアードに出場して8位入賞を果たすまでに成長した。

社会人で大きく飛躍、日本のエースに成長

次に大きく躍進を見せたのがスズキ浜松アスリートクラブ所属となった社会人1年目の2014年だった。4月の織田記念陸上で、それまでの自己記録を一気に7m以上更新する85m48のビッグスローを披露し、男子やり投でトップ選手の指標とされている80m台スロワーの仲間入りを果たすと、日本選手権を81m97で初制覇。

シニアとして初めての日本代表に選出されて出場した仁川アジア大会では銀メダルを獲得し、さらに国体では日本歴代2位の86m83をマークして同年の世界リスト6位にランクイン。世界に向けて大きな1歩を踏み出す1年となったのだ。

翌2015年シーズンは体調不良やケガでやや出遅れながらも着実に調子を上げ、初出場となった世界選手権(北京)では、世界大会における日本最高記録となる84m66の投てきを見せて、全体で2番目の記録で予選を通過。決勝では、2回目に83m07をマークして5位につけたが、3回の試技を終えた段階で8位とわずか6cmの差でトップエイト進出を逃し、9位で競技を終了した。

2016年リオ五輪でも前年に続き予選突破(決勝では11位)を達成。台頭してきた2014年時点では2009年世界選手権銅メダリストの村上、新井と同じ年で大学3年の2012年にロンドン五輪出場を果たしたディーン元気に続く“第3の男”と呼ばれていた新井だが、この3年間で「日本を代表するエース」の座を不動のものにした。

ケガとの戦い、低迷する記録

しかし、その後、新井は試練の時期を迎えることになる。2017年シーズンに向けたトレーニングを開始した新井は、「世界大会におけるメダル獲得」「90m台突入」を実現させるために投てきフォームの改良に取り組んだが、その過程で頸椎を痛めてしまったのだ。

指先や肩に痺れや神経痛が出て、十分な練習ができないままシーズンに突入。また、そのことによって、フォームにもずれが生じ、満足できる投てきができなくなってしまった。

日本選手権では4連勝を果たしたものの記録は82m13にとどまり、ロンドン世界選手権参加標準記録(83m00)を突破することはできなかった。その後、国際陸連からのインビテーションによりロンドン世界選手権出場を果たしたが、勝負をかけて戦える状態まで復調することはできず予選(77m38)で競技を終えることになった。

世界選手権以降も、なかなか状態は改善されず、冬場もほとんど練習ができない状態となってしまったが、自身の身体やコンディショニングなどを見直し、リハビリに取り組むなかで、2018年3月あたりからようやく練習ができるようになってきて、2018年シーズンを迎えることとなった。

戦える身体を作り、2020年に向かう

しかし、2018年は、故障の影響で1年近く十分なトレーニングができなかったことによる“蓄えの低下”が新井を苦しめることになった。滑り出しこそ遅れ気味だったが徐々に調子を上げ、練習では80m台の投てきができるようになって迎えていた日本選手権は、5連覇は達成できたが記録は77m88に終わってしまった。

8月の南部記念でシーズンベストを80m83まで伸ばしたが、ジャカルタ・アジア大会では75m24にとどまり7位。年次ベストを上げることもできず、初めて80m台に乗せた2014年以降、最も低い記録でシーズンを終えることになった。

アジア大会後には、「まずはケガの前の状態に戻すことが第一。戦える身体をつくっていかなければ…」とコメントしていた新井だが、1年近く故障と向き合い、乗り越えてきたなかで、故障を起こさない身体づくりのほか、徹底的な技術の見直しや改善にも取り組んできている。

それに見合う体力を取り戻すことができれば、2011年、2014年を上回るような再びの「大ブレイク」も可能といってよいだろう。2015年以降、90mスロワーがどんどん増え、2017年にはアジア記録も91m36まで更新されるなど水準の高まりが顕著となっているだけに、東京五輪の戦いも厳しくなると見られているが、29歳で自国開催の五輪を迎えることになる新井が完全復活を果たし、満員となった新国立競技場を大きくどよめかせるような投てきを見せてくれることを期待したい。

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