競技者の体格が大きく影響する投てき競技のなかで、日本人が世界に食い込める余地があるのが、やり投だ。男子ではドイツがトップに君臨し、女子ではここ数年トップが入れ替わる世界戦線のなかにどこまで割って入っていけるのか。そんな期待を持てる選手も紹介していこう。
投てき種目でもっとも飛距離が出るやり投げ
ほかの投てき種目の投てき物が最大7.62キロあるのに対し、1キロに満たないやりは、長さもあることから浮力もあり、男子では100メートル近く飛ぶ。その圧倒的な飛距離だけでなく、選手の助走、投てきフォーム、タイミングなど、シンプルがゆえに見栄えする種目だ。
ほかの投てき種目に比べて、体格や筋力をテクニックで補える面が多く、シーズンによってはアジアの競技者も上位に食い込んでいる。
一方でその軽さから風の影響も受けやすく、競技を公平に進める上でも様々な問題もあり、1986年から飛距離を抑える新規格のやりに変更。それでも、変更後の世界記録は、男子は98メートル48(ヤン・ゼレズニー;チェコ、1996年)、女子は72メートル28(バルボラ・シュポタコヴァ;チェコ、2008年)になっている。
2019年5月からオリンピック出場権争いがスタート
東京五輪への出場資格は、参加標準記録に加えてIAAF世界ランキング制度が適用される。出場者数は、男女それぞれ32枠。
「85メートル00(男子)」、「64メートル00(女子)」に設定された参加標準記録を、2019年5月1日から2020年6月29日までに突破した者が出場権を獲得し、残りは2020年7月1日発表分の世界ランキング上位者から選出される。各国・地域から出場できる最大数は3人だ。
他の投てき種目と同様に、やり投も五輪や世界選手権などの決勝は、予選通過記録を越えるか、上位12人に入ることが条件。決勝では全ての競技者が、まず3回の試技を行って上位8人を決め、さらに、その8人が記録の低い順に3回の試技を行って、全6回のベストスコアで最終的な順位を決めることになっている。
ドイツ3人衆が世界を引っ張る男子、アジア勢にも注目
やり投げ男子の世界では、ドイツ勢の圧倒的な強さを見せている。トーマス・レーラー、ヨハネス・フェッター、アンドレアス・ホフマンの3選手だ。最初に頭角を現してきたのが2016年リオ五輪チャンピオンのレーラーで、2016年に初の91メートル台となる91メートル28をマークすると、翌2017年5月にその時点で世界歴代2位となる93メートル90を投げる活躍を見せた。
するとリオ五輪4位のフェッターは、同年7月に94メートル44を投げてレーラーを抜き、世界歴代2位に収まると、その勢いのまま、2017年ロンドン世界選手権に優勝。2018年シーズンも92メートル70をマークして、世界ランク1位の座を守った。
しかし、2018年シーズンに台頭してきたのがホフマンだ。世界選手権では2015年6位、2017年8位の選手だったが、2017年世界選手権後に行われたユニバーシアードで91メートル07をマーク(2位)すると、2018年シーズンには92メートル06まで記録を伸ばし、ドイツ選手権ではレーラー、フェッターを抑えて初優勝を遂げるまでに成長したのだ。2019年に、この3者がそれぞれどんな足取りを見せるかは、大いに注目されるところだ。
実力的にはこの3人とは少し力の差は感じるが、ホフマンが91メートル07を投げた2017年ユニバーシアードで、それを超える91メートル36のアジア記録を投げ、地元優勝を果たした鄭兆村(チャイニーズタイペイ)の名も覚えておくべきだろう。これに近い投てきが大舞台でも出せればメダル争いに絡んでいくことは可能だ。
また、2018年ジャカルタ・アジア大会を88メートル06で制したニーラジ・チョプラ(インド)の動向もチェックしておきたい。1997年生まれのチョプラは、2016年U20世界選手権で86メートル48のU20世界新記録で制している選手。2018年はダイヤモンドリーグも転戦し、着実に国際舞台での足場を固めつつある。2019年にさらなる成長を遂げるようだと、東京五輪でも上位争いに加わる存在になってくるだろう。
群雄割拠、本命不在の女子
女子は、近年、圧倒的な強さを見せる選手が不在になっている。世界選手権・オリンピックで毎回のように勝者が入れ替わることが、それを証明しているといってよいだろう。
そんな中、2018年シーズンは、1982年生まれのキャサリン・ミッチェル(オーストラリア)が世界歴代7位の68メートル92の自己新記録をマークし、同年リストの1位に収まった。この記録はコモンウェルズ(英連邦大会)で出したもので、彼女にとっては初のビッグタイトル獲得となった。
世界リスト2位となったのは、67メートル90まで記録を伸ばしてきた1994年生まれのクリスティン・フッソング(ドイツ)。2018年シーズンはヨーロッパ選手権で初めてタイトルを獲得している。
そのフッソングを退けて、9月初旬のコンチネンタルカップを制したのが、2017年ロンドン世界選手権銅メダリストで、2018年5月に自身の持つアジア記録を67メートル69に更新した呂會會(中国)。しかし、その呂も8月末のアジア大会では、前アジア記録保持者の劉詩穎(中国)に敗れている。
上位陣がこれだけ混沌として、記録の水準が上がらないようであれば、世界記録保持者のバルボラ・シュポタコバ(チェコ)による2017年世界選手権の再現が、東京でも見られる可能性も出てくる。
シュポタコバは、26歳で迎えた2007年大阪世界選手権で初めて金メダルを獲得。翌年には北京五輪を制したほか、72メートル28の世界記録も樹立、2012年ロンドン五輪では連覇を達成した選手。
2013年の出産を経て2014年に復帰し、3回目の出場となった2016年リオ五輪では銅メダルを獲得すると、翌年のロンドン世界選手権で、ロンドン五輪以来となる世界大会金メダルを手に入れてみせたのだ。2018年は競技会には出場していないが、39歳で迎えることになる東京五輪でも円熟味のかかった投てきを見られることを期待したい。
投てき競技で不利な日本人でも「世界で戦える種目」
確かに欧州や米国勢が中心の種目だが、日本人はかねてから五輪出場を重ねており、世界でも戦えることを示してきた種目だ。
日本記録は、男子は溝口和洋が1989年にマークした87メートル60(最初は、当時の世界記録を2センチ上回る87メートル68と発表されたが、再計測によって87メートル60に修正。このため「幻の世界記録」とも称されている)、女子は海老原有希が2015年にマークした63メートル80となっている。
男子では2009年ベルリン世界選手権で村上幸史が、五輪・世界選手権を通してこの種目初のメダルとなる銅メダルを獲得したほか、女子でも海老原が2011年テグ世界選手権で日本女子投てき種目初の決勝進出を果たすなどの実績を残しており、体格や筋力差で日本人には不利とされる投てきのなかでは「世界で戦える種目」と位置づけられてきた。
新井涼平(スズキ浜松AC)
現在の日本勢での有力選手としては、新井涼平が期待の星だ。日本歴代2位となる86メートル83(2014年)の自己記録を持ち、2015年世界選手権、2016年リオ五輪でともに決勝進出を果たして、9位・11位の成績を残した。2017年春先に頚椎を痛め、以降、技術の狂いも生じて不振に苦しんできた。2019年シーズンでどこまで調子を取り戻していくかが大きなカギとなってくるだろう。
斉藤真里菜(スズキ浜松AC)
女子では、長年女子やり投げ界を牽引する存在だった海老原が2017年に第一線を引退。その海老原に代わる存在として注目されるのが、斉藤真里菜。2017年に日本歴代2位の62メートル37まで記録を伸ばしてユニバーシアードで銀メダルを獲得した。社会人1年目となった2018年シーズンに日本選手権初優勝、アジア大会では4位の成績を残している。
さらには、2011年テグ世界選手権、2017年ロンドン世界選手権に出場しているベテランの宮下梨沙、そして、2015年世界ユース選手権女子やり投で金メダルを獲得し、2016年には当時日本歴代2位の61メートル38をマークしている若手ホープの北口榛花も学生生活最後の2019年シーズンに復調されることが期待されており、日本女子も活況になってきている。
標準記録突破はもとより、2019年はアジア選手権や世界選手権、あるいはポイント獲得率の高い競技会などで着実に成果を残していくことによって、IAAFワールドランキング制による出場も、十分に射程圏内にあるといえる状況だ。
やり投あれこれ:飛びすぎても困る? 飛びすぎない規格へ
近代オリンピックでは、男子は1908年のロンドン大会から、女子は1932年のロサンゼルス大会から実施されているやり投げ。実は採用当初、より飛距離の伸ばすために中央部分に革製の投げ紐がつけられ、そこに指をひっかけて投げていた。だが、19世紀に入って投げ紐が禁止され、さらに、やりの重量やサイズなどが次第に現行のルールが確立することとなった。
やりの重さと長さは、男子が800gで2.6~2.7メートル、女子は600gで2.2~2.3メートルと決められた。わずかな違いで飛距離が大きく変わってくるため、形状や重心の位置などの仕様についても細かく規定されている。
ほかの投てき種目よりも重量が軽く、空中を飛んでいる時間が長いことなどから、風の影響を受けやすいことも特徴。その時々で記録の変動も大きいことから、よく「やりは水物」とも評される。
それでも用具の改良や種目全体の技術レベル向上などにより、20世紀半ばごろから大きく記録が向上し、男子では1984年に104メートル80までに到達していた。飛距離が伸びるほど競技場のフィールド確保が難しくなる。
このため、国際陸連はフィールド内で競技できるよう、やりの重心位置を4センチ前にずらして飛距離を抑える規格変更に踏み切った。1986年以降は、この新規格で実施され、女子についても1999年に同様の規格変更が行われ、現在に至っている。