十種競技は2日間で10の種目をこなすため、日本人が世界で戦うには厳しい種目とされてきたが、2人のデカスリートが登場し、世界への足場を築いてきた。ここでは、第一人者として日本をリードし続けてきた日本記録保持者の右代啓祐(うしろ・けいすけ)を紹介しよう。
日本のデカスロンの開拓者、右代啓祐
2日間にわたって陸上競技の10種目を行い、その記録を得点化して順位を競う十種競技(デカスロン)。すべての陸上運動の基盤となる「走・跳・投」の総合的な運動能力と、2日間を戦い抜くタフなメンタルが求められることから、勝者は「キング・オブ・アスリート」と呼ばれ尊敬される。陸上競技の盛んな欧米では、とても人気の高い種目だ。
長い間、日本では世界で戦うには厳しい種目とされ、どちらかというとマイナーな存在だったが、ある2人のデカスリートが登場し、壁と言われ続けてきた「8000点」という記録に挑み、切磋琢磨するなかでそれを突破し、世界への足場を築いていくなかで、次第に世間の注目を集めるようになった。
その一人、右代は1986年、北海道江別市で生まれた。父は高校時代に投てき選手、母は走高跳とハードルを専門としてリレーで日本インカレにも出場している。妹・織江はのちに2008年インターハイやり投チャンピオンに、弟・啓欣も十種競技選手として活躍することになる陸上競技一家のなかで育った。
日本人初の8000点突破、そして日本記録保持者に
江別大麻東中学校で陸上部に入った右代は、走高跳やハードル、三種競技A(当時、中学生の混成競技種目として実施。100m、砲丸投、走高跳の総合得点を競った)に取り組んだが、急な身長の伸びに伴うオスグッド病という成長痛に見舞われた影響で、全力でトレーニングに取り組むことがかなわず、3年時に北海道中学通信大会走高跳3位というのが最高成績にとどまる。
頭角を現し始めたのは札幌第一高校に進んでからで、最初、走高跳とやり投に取り組んでいたが、高校2年の冬から八種競技を始めると、3年時の島根インターハイ(2004年)で2位に入賞。“身長196cmの大型アスリート”として注目を集めるようになった。
2005年に国士舘大学に入学して、本格的にデカスリートとしてのキャリアをスタートさせると、右代は着実な成長を遂げていく。大学院2年時の2010年に7930点の学生新記録を樹立するとともに日本選手権で初優勝。スズキ浜松アスリートクラブ所属となって臨んだ社会人1年目の2011年日本選手権で、日本人初の8000点突破となる8076点(追い風参考記録)をマークして優勝を遂げる。
この大会で公認記録でも8073点を獲得し、日本記録保持者になった右代は、以来、同年のテグ世界選手権(20位)、2012年ロンドン五輪(20位)、2013年モスクワ選手権(22位)と3年連続で世界大会に出場。
日本の第一人者として世界に挑む
2014年には4月に2度目の日本新記録となる8143点をマークすると、その約1カ月後に行われた日本選手権では、同年世界11位となる8308点まで記録を更新して5連覇を達成。
秋に行われた仁川アジア大会では、国外最高記録となる8088点をマークして、日本勢としては24年ぶりとなる金メダルを獲得など活躍した。これらが評価され、日本陸連が主催する「アスレティックス・アワード」で、年間最優秀選手にも選ばれている。
2015年も日本選手権で6連覇を果たし、北京世界選手権(20位)にも出場したが、セカンドベストの8160点をマークして快調な滑り出しを見せた2016年は、日本選手権直前の棒高跳の練習でポールが折れて左手親指の付け根を骨折するとともに、左膝も裂傷するケガに見舞われ、日本選手権は途中棄権。
しかし、参加標準記録を突破していたことでリオ五輪代表に選ばれ、日本選手団の旗手も務めた(結果は20位)。2017年日本選手権は、チームの後輩であった中村明彦に敗れたが、ロンドン世界選手権には4大会連続で出場(20位)。
2017年度でスズキ浜松アスリートクラブを退部すると、2018年シーズンからは母校・国士舘大学の講師に就任し、国士舘クラブの所属で教員とアスリートを両立させながら2020年東京五輪を目指していくこととなった。2018年シーズンは3年ぶりに日本選手権のタイトルを奪還すると、同年秋に行われたアジア大会では、連覇を達成している。
日本人離れした体格を生かし、投てき種目に強み
右代の武器は、なんといっても身長196cm・体重95kgという日本人離れした体格と、他選手がなかなか得点を獲得しづらい投てき種目を強みとするパワーの持ち主であることだろう。砲丸投で15m65、円盤投で50m23、やり投では73m82の自己記録を持つ一方で、96kgの体重にもかかわらず走高跳2m06、走幅跳7m45、棒高跳も5m00を跳んでいる。
課題としていたスプリント種目も、自身の身体をいかに効率よく、コントロールしていくかを求めて、さまざまなスペシャリストから指導や助言を仰ぐなかで地道に強化を進め、現在に至っている。
十種競技は1日目に100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400mを、2日目に110mハードル、円盤投、棒高跳、やり投、1500mをそれぞれ行うが、得意種目は2日目のほうが多い。
彼を追う中村明彦との対決では、常に、1日目でリードを奪った中村を、2日目のやり投までに逆転し、最後の1500mで中村の猛追をかわして逃げ切るというのが右代の勝ちバターンとなっている。その傾向は、2018年に9126点の世界記録を樹立したケヴィン・マイヤー(フランス)と共通するものがある。
2020年の東京はデカスリートとしての集大成
十種競技で東京五輪出場を果たすために最も確実なのは、参加標準記録8350点を突破すること。これを達成するためには、自己記録でもある日本記録を更新していかなければならず、2019年に33歳となる右代にとっては、決して楽な道のりではない。
しかし、デカスリートとしてのキャリアをスタートさせた段階から、「世界大会でのメダル獲得」という高い目標を掲げて道を切り拓いてきた右代は、2018年のアジア大会後、前世界記録保持者のアシュトン・イートン(アメリカ)をはじめとして世界的なデカスリートを多数育ててきている名伯楽のハリー・マラに直談判してコーチングを依頼。12月と3月に渡米して、みっちりと彼の指導を受け、大きな刺激を受けるオフシーズンを過ごしてきた。
2019年シーズンは4月にドーハで行われるアジア選手権が初戦。そこで目標に掲げている8100点をマークすることができれば、東京五輪参加標準記録の8350点突破も現実味を帯びてくるだろう。34歳で迎える2020年東京五輪は、右代にとって、まさにデカスリートとしての集大成となる大会。日本が誇るキング・オブ・アスリートが、どんな活躍を見せるかに注目したい。