コーチ、チャトチャイ・チェは、どのようにしてテコンドー金メダリストを育てたか?

コーチ、チャトチャイ・チェがOlympics.comに語った、東京2020テコンドー女子49kg級金メダリスト、パニパク・ウォンパタナッキとの信頼関係、トレーニングやメンタル攻略などのコーチングの実際を紹介する。

1 執筆者 EJ Monica Kim
Panipak Wongpattanakit and  coach Dr.Chatchai Choi

1997年生まれのパニパク・ウォンパタナッキは、テコンドーで母国タイ初のオリンピック金メダリスト。現在のコーチ、スポーツ科学の博士号を持つチャトチャイ・チェとは、彼女が13歳の時に出会った。チェは、テコンドー指導者としてこれまでチェ・ヨンソクの名で知られ、2022年に大韓民国からタイに帰化し市民権を得ている。

「2002年に釜山で開催された第14回アジア競技大会以来、私はタイのテコンドー・ナショナルチームのヘッドコーチを務めています。タイはムエタイの発祥地ですが、テコンドーも普及させようとしています。そのことから私がコーチとして招かれたのです」と、チェはOlympics.comとの独占インタビューで語った。

チェが担った役割のように、他国のコーチが指導することは前例のないことだった。

コーチを始めて2年後、チェはタイのナショナルチームを指揮してアテネ2004に臨み、女子49kg級でヤオワパ・ブーラポルチャイがタイとして初めての表彰台に上り銅メダルを獲得した。

そして、パニパクと組み、東京2020ではテコンドーでタイ初の金メダルを獲得し、タイのテコンドーに新しい時代をもたらした。

さて、コーチ、チャトチャイ・チェは、いかにしてパニパクを金メダルに導いたのか。東京2020での勝利の後、チェはどのように彼女をコーチングしているのだろうか。Olympics.comでは、現在の2人の様子をリポートする。

(GETTY IMAGES)

パニパク・ウォンパタナッキの1週間のトレーニング

パニパクは、通常、月曜日から土曜日まで30名のナショナルチームの選手と共に練習を行っている。毎週のトレーニングは次のようなスケジュールで実施される。

月曜日~金曜日

  • 午前6時~8時:ウェイトトレーニング、ストレングストレーニング
  • 午前8時:登校前にチームメイトと朝食
  • 午後4時~7時:テコンドー技術練習、キョルギ(組手)練習

土曜日

  • 午前9時~12時:トレーニングセッション

日曜日:休養日

パニパクは、バンコクトンブリー大学で行政学の学士を取得し、現在、同大学の修士課程に在籍している。

大学の講義がない日、彼女はトレーニングセンターに足を運ぶ。

13年近くパニパクをコーチングするチェは、言葉を交わすまでもなくひと目見るだけで、彼女の日々のコンディションを把握することができるようになった。

「武道の世界では、多くのコーチは厳しく支配的で、選手を限界まで追い込もうとします。しかし、私はパニパクの性格や選手としてのタイプをよく知っています」と彼は言い、「彼女は、いつでも自ら追い込むことのできるアスリートです。私はむしろ、オーバートレーニングにならないよう彼女にストップをかけたり、軽いトレーニングを勧めたりといった役割を担っています」と続けた。

(@Ramnarong Sawekwiharee Instagram)

テコンドーの「父」としてのパニパクとの絆

現在のチェの役割は、バンコクで行われたナショナルチームの合宿で初めて13歳のパニパクに出会った当時のような、単なる彼女のコーチだけではない。

その時、国を代表する50名ほどのユースアスリートの中に、タイ南部のスラートターニーから電車を乗り継いで12時間かけて首都バンコクにやって来たパニパクがいた。しかし、合宿が始まって2週間足らずで彼女は故郷に帰ってしまった。

「その時、彼女にとっては家族を離れて合宿に赴くことが難しかったのだと思います。私に何ができるだろうかと考えましたが、私にできることは何もなく、彼女を家族のもとに返すしかありませんでした」とチェは振り返る。

「パニパクは、母親が亡くなってからは父親ひとりの手で育てられました。私は、『お父さんと一度よく話し合ってから合宿への参加を決めなさい』と伝えました」

数日後、パニパクは、彼女の父親、シリチャイ・ウォンパタナッキに伴われてバンコクに戻ってきた。

「パニパクのお父さんが、彼女の取った行動について私にわびた時、私はこれまで以上に大きな責任を感じました。そして、私はパニパクを実の娘のようにお引き受けすることを彼に約束したのです」

「私は、パニパクのお父さんの確固たる姿勢が今日の彼女を作り上げているのだと確信しています」と、チェ自らも覚悟はできているようだ。

蹴り、柔軟性、スタミナがパニパクの3つ強さ

スポーツ科学博士のチャトチャイ・チェは、身長173cmのパニパクにとって、ロンドン2012で導入された電子防具採点システム(PSS)が有利に働くと考えた。PSSは、電子センサーを備えた防具で、適切な力で行われた蹴りや突きを感知する。

「PSSが導入される前は、よりパワフルでスピードのある選手が有利でした。パニパクは女子49kg級の選手の中でも背が高く細身であるため、その当時は不利だったかもしれません」とチェは説明する。

しかし、PSSが導入され、パニパクは持てる才能を発揮することができるようになった。パワーがなくても、特に柔軟性が高く、長い脚は相手の頭部に届きやすく、回転技が加わった場合、最高で5ポイント得ることができるため有利となる。

「パニパク蹴り」は別名「サソリ蹴り」と呼ばれ、パニパクの強さを示す得意技のひとつだ。

「サソリが尻尾を持ち上げて攻撃するかのように、パニパクは裏側から脚を回し胴部に蹴り込みます。この蹴りは、多くのテコンドー選手にとって難しい技で、通常は前から蹴る練習をすることが多いのです」

「とはいえ、選手には毎日1時間、ボールを足の裏側で蹴る練習をさせています。この練習によって、試合で相手を背後に置きながら蹴りを出し、足の裏側で相手の頭部を狙うことができるようになります。パニパクは、それが完璧にできるただひとりの選手でした」とチェは明かす。

さらに、チェが強調するのはパニパクの持つ高いスタミナだ。キョルギの試合では、予選から決勝までを1日で戦う十分なスタミナが重要となる。

「試合結果は、選手の身体能力によるところが大きく、技術よりも、決勝まで戦うスタミナの有無が影響することがあります。以前のパニパクは今より細かったのですが、ウェイトトレーニングを行うことで、よりフィットした体を手に入れることができました。蹴りも以前より力強くなったようです」と、チェは彼女の進歩に目を見張る。

敗北を受け入れるメンタリティ

アテネ2004から東京2020までの5度のオリンピックを通して、チェはメンタリティの強さが成功の鍵であることを理解した。それは、オリンピックレベルでの戦いにおいて、選手同士のパフォーマンスが拮抗している場合にはなおさらのことだ。

パニパクは、このことをリオ2016での準々決勝で痛感している。

リオ2016の前、彼女は揺るぎない強さを示していた。南京2014ユースオリンピック(女子44kg級)、2015年世界選手権(同46kg級)、2016年アジア選手権(同49kg級)では、タイトルを総なめにするほどだった。

トップを走り続けていたパニパクだが、リオ2016では大韓民国のキム・ソヒとの準々決勝で、最後の4秒で技を決められ敗戦している。

「パニパクは、リオ2016までにキムを2度の対戦で破っていました。ですので、自信満々で臨んだのです。たとえ彼女にとって初のオリンピックメダルとはいえ、キムに負けて銅メダルだったことが18歳のパニパクを大きく傷つけました。競技を辞めることさえ口にしたほどです」と、チェは当時の状況を回顧する。

「私は、まずはひと月休みなさい。家に帰って家族と過ごして、これまで一生懸命にがんばってきたことと銅メダルを獲得したことを祝いなさい、とアドバイスしました。私には、パニパクが必ずチームに戻ってくることがわかっていました」

チェが確信したように、パニパクはひと月も経たないうちにチームに戻った。

彼女がチームに戻った後、タイのナショナルチームは、サッカー、水泳、映画鑑賞など、テコンドー以外にさまざまな活動を楽しみ、チームの中の会話も弾んだ。

「私は、勝つことだけがスポーツの全てではないとチームに話しました。アスリートである限り、私たちは勝つことも負けることも当たり前のように経験します。負けたことにいつまでも落ち込んでいてはいけません。何が理由で負けたのかを振り返り、次の試合のためにどんな準備をしたらよいのかを思案することが大切なのです」

4年後、パニパクは、テコンドーで母国にとって初めてのオリンピック金メダルを持ち帰ることになる。

「タイのテコンドーにとって、2021年7月24日は歴史的な1日となりました。この国で21年間暮らしていますが、私にとってもあの日のことは忘れられないでしょう」とチェは話した。

タイの女性アスリートにとって初めてとなるオリンピック金メダルを獲得した後、さらに前進することを見据え活動を開始した。

「パニパクは、2021年7月24日のチャンピオンかもしれませんが、翌日からはまた新たな戦いが私たちを待っているのです」と、「タイガー」とニックネームで呼ばれるチェは気を引き締めた。

「けがをすることなくトレーニングを続けられることが何よりも重要です。私は、熱心に打ち込むアスリート全てを指導できるコーチを目指しています。チャンピオンやスーパースターだけを育てたいわけではありません」

(チャトチャイ・チェとのインタビューより)

パリ2024の目標は2個目の金メダル?

「もし彼女がパリ2024で連覇できたら素晴らしいことです。しかし、メダルは与えられるものではありません。16人の強豪アスリートが同じ目標を持って世界から集まってくるのです」

「パニパクは、チャンピオンとして他のアスリート以上にストレスやプレッシャーを受ける立場にあるかもしれません。勝ち続ける限り、たとえば『若い選手に負けたらどうしよう』といった心配が出てくることもあるでしょう」

「私は、彼女に大きな夢を描いてほしいと励まし続けています。もう一度、パリの表彰台に立つことができれば、タイのテコンドー選手として初めて3個のメダルを獲得するという偉業を達成することになるのです」

もしパニパクが来年、テコンドー会場のグラン・パレでメダルに輝けば、テコンドー選手としてだけでなく、タイのスポーツ史上で初めて、3度のオリンピックメダリストが誕生することになる。

パニパクの日常:気晴らしにソーシャルメディア

テコンドーの素質以上に、パニパクは自己管理の能力が長けているとチェは強調する。

「女子49kg級のアスリートは、いつも厳しいダイエットを強いられます。したがって、アスリートの多くは、競技が終わるとファーストフードなどを食べすぎる傾向にあり、3~4kgぐらいは簡単に体重が増えます。しかし、パニパクはけっしてそのような健康的でない食事を口にすることはありません」

「ある日、私はその理由を彼女に尋ねてみました。すると彼女は『アスリートとして生きると決めたのですから、そのためにすべきことはできるだけ自分で徹底したいのです』と答えました。彼女以上のお手本はおそらく他には見当たらないでしょう」

このような自己管理に厳しい世界チャンピオンにとって、テコンドー以外に日常生活の中でどういった楽しみがあるのだろうか?

パニパクがリラックスする方法は、ソーシャルメディアを使って気晴らしを行うことだ。すでに、彼女のTikTokには140万人のフォロワーがいるという。

「以前の彼女はとても恥ずかしがり屋でしたね。でも今では、何を食べて、どんなトレーニングを行っているのかを多くのファンにソーシャルメディアを通じてシェアするようになりました。こうした彼女のファンやサポーターとの交流は、スポーツに献身的な彼女に多くのエネルギーを与えてくれているのでしょう」と、チェは最後にOlympics.comに語った。

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