「雪原のマラソン」と言われるパラクロスカントリーで、これまでにパラリンピックに6度出場し、金メダル3つ、銀メダル1つ、銅メダル1つを獲得し、日本の「レジェンド」として知られている新田佳浩。平昌大会以降、引退を考えたこともあったというが、41歳で迎えたこの北京大会を集大成として位置づけ、若い世代にバトンを繋ぐため大会に挑む。
旗手、主将、金メダル
岡山県出身の新田のパラリンピックデビューは、高校3年の17歳で迎えた長野1998。以来、20年以上にわたり第一線で活躍し、日本パラクロスカントリーを盛り上げてきた。
長野大会では最高成績が8位に終わるが、自身2度目のパラリンピックとなったソルトレークシティ2002の男子5kmクラシカルで銅メダルを獲得。続くトリノ2006では、日本選手団の旗手という大役を務めた。さらに4年後のバンクーバー2010では主将として日本選手団を率いて出場し、10kmクラシカルおよびスプリントクラシカルで見事、金メダルを獲得してみせた。
だが、33歳で迎えたソチ2014での最高成績は4位。年齢を考えると、引退を決断したとしてもおかしくなかったが、ソチでの悔しさをバネに技術を磨いて挑んだ平昌2018で、10kmクラシカルで自身3つ目の金メダル、さらにスプリントクラシカルで銀メダルに輝いた。
新田のこうした活躍は日本チームの精神的な支柱であると、バンクーバー2010銀メダリストの太田渉子さんはNHKのインタビューで分析する。
祖父に捧げる金
新田は3歳のときに祖父が運転していた農業機械の事故で左腕肘下を失った。父親の勧めでスキーを始め、中学生のころは健常者の大会に出ていたが、スカウトを受けてパラスポーツの道へ。17歳で迎えた長野1998でパラリンピックデビューを果たした。
新田は影響を受けた人物として祖父と子どもたちを挙げているが、祖父は新田の競技に対する原動力ともなった人物で、「ケガの責任を感じている祖父に金メダルをかけたい」という思いで競技に励んでいたことを自身のブログでつづっている。
そして目標の通りバンクーバー2010で金メダルを獲得した新田は、祖父に金メダルをかけた。
若き世代へ
新田は平昌での引退も考えたというが、若手が育っていないことを感じ、日本パラクロスカントリーを次世代に繋ぐべく、競技を続けてきた。
新田の思いは若手選手に伝わっており、今回の大会で日本代表選手団の旗手を務めた川除大輝(かわよけ・たいき)は、新田から影響を受けた選手のひとり。かつて新田から「不可能は可能」と書かれた色紙を受け取ったという川除は、初めて参加した平昌大会で、「目の前で新田さんが金銀メダルを取られたので4年後はそれをめざして努力していきたいです」と語るなど、新田の背中を追いかけてここまでやってきた。
新田は集大成と位置付けた北京パラリンピックで、日本パラクロスカントリーの未来を、エースとしての活躍が期待される川除に託すことになる。
新田佳浩、北京2022スケジュール
クロスカントリー2種目にエントリーしている新田の初戦は7日の長距離クラシカルで、9日のスプリントフリーは予選から準決勝、決勝までが1日で行われる。
- 3月7日 10:00〜 パラクロスカントリー男子長距離クラシカル(座位)
- 3月9日 10:45~ パラクロスカントリー男子スプリントフリー(座位)