夏に開催された東京2020パラリンピックで大躍進を遂げたブラジル勢は、北京2022冬季パラリンピックでもその成功の再現を狙う。
ブラジルにとって冬季オリンピックでのメダル獲得への道のりはまだ長いように思われるが、パラリンピックへの期待はこれまで以上に高まっている。その理由は、クリスティアン・ウェステマイア・リベラにある。
2022年1月にノルウェーのリレハンメルで開催されたパラスノースポーツ世界選手権のクロスカントリースキー男子スプリントにおいて、リベラが銀メダルを獲得し、冬季競技における世界選手権レベルの大会でブラジル勢として初めて表彰台に立ったのである。
「決勝に進出したいとは思っていましたが、2位になるとは思っていませんでした。とてもレベルが高い戦いでした」
Olympics.comにこう語ったリベラは、同大会の予選のレースをリードすると、決勝の前にトップ8に入ったレースのビデオを分析。「自分が本当に速かったことがわかり、それがスプリントに対する大きな自信になりました」と、満足のいくレースができたことに胸を張った。彼は平昌2018の15kmレースでは6位に入賞し、今シーズンはヨーロッパカップで優勝している。
「北京でも全力を尽くしたいと思います。(世界選手権と同様に)接戦になると思うので、メダルを獲得できるかはわかりませんが、どんなメダルでも重要な意味を持ちます」と語った。
「息子のために祈りなさい」
リベラは、アマゾンの一部でボリビアと国境を接するブラジル北部のロンドニア州の出身だ。だが、ブラジルの反対側で運命が彼を待ち受けていた。
「生まれてすぐに、先天性多発性関節拘縮症という病気であることがわかったんです。医師らは母に『信仰心はありますか?』と尋ね、あるならば『息子のために祈りなさい』と言ったんです。あと2時間しか生きられないのだから、と。母にとって衝撃でした」
リベラは生き延びることができたが、適切な治療を受けなければ命の保証はないと、医師らは家族に告げた。その医療とは、ブラジル南東部のサンパウロでしか受けられないものだった。
母親のソランジュ・リベラさんは、他の子どもと夫を残し、生後3ヶ月の息子を連れて3,000キロの旅に出るという決断を下した。ロンドニアからサンパウロまでは、リスボンからブダペストまでと同じ距離である。
ふたりは、サンパウロから車で1時間のところにあるジュンディアイという街の親戚の家に滞在した。「手術が必要で、治療もすべて現地で行われたため、ほぼ毎日、2つの都市を行き来していました」と、リベラは語る。
数年後、家族で一緒に暮らせるようになったが、リベラは現在までに21回の手術を経験している。
雪でつながる家族
適切な医療を受けたことで、リベラはスポーツに出会うことができた。陸上競技、水泳、車いすテニス、ボッチャ、さらにはブラジルの文化的武術であるカポエイラなどのスポーツに出会ったのである。
ブラジル・スノースポーツ連盟がジュンディアイで2015年にあるプレゼンテーションを行った。それは、クロスカントリースキーの選手が夏に使用するローラースキーについてである。このイベントに参加した13歳のリベラは、すでにこのときにアスリートになることを決めたのだと言う。
「誰もそれについて知らなかったし、僕は好奇心旺盛なので、(プレゼンに)行ってみたら、とても気に入ったんです」
翌2016年末、リベラはスウェーデンで初めて雪を見て、ブラジル代表として冬季パラリンピックに出場することを夢見るようになる。そして2年後の平昌2018では、15kmの種目でベスト6に入る活躍を見せた。
リベラ一家の中でクロスカントリースキーに惚れ込んでいるのは彼だけでなはい。妹で17歳の**エドゥアルダ・リベラ**は、北京2022でオリンピック・デビューを果たし、個人スプリント、10kmクラシック、チームスプリントに出場した。
Olympics.comが1月末にリベラにインタビューした際、まさか妹がオリンピック出場するとは思ってもいなかった。リベラは、「彼女(エドゥアルダ)はあとちょっとのところで出場権を逃しましたが、次回は間違いなく出場するでしょう」と語ったが、オリンピック開会式の数日前に交通事故に遭ったブルーナ・モウラに代わって、エドゥアルダはオリンピックに招集されたのである。
妹のデビューを目前に控えたインスタグラムの投稿で、クリスティアンは「君の成長と進化を見ることは、僕の最大の喜びのひとつだし、これからもそうだろう」と、妹にエールを送った。
クリスティアン・リベラは、北京大会で18km、10km、スプリントの座位3種目に出場する。ブラジル勢はクロスカントリースキーに5選手、スノーボードに1選手の合計6人のアスリートを冬季パラリンピックに派遣している。