7歳で卓球を始め、現役生活は23年。
石川佳純が自身のウェブサイトで「やり切った」とつづり、競技の世界から引退した。
14歳だった2007年5月の世界選手権に、石川は史上最年少の日本代表メンバーとして女子ダブルスに出場すると、2年後の横浜開催の世界選手権では女子シングルスに出場。当時世界ランキング99位ながらも、女子シングルス2回戦で同10位の選手を相手に粘り強く戦い抜き、ゲームカウント0-3で迎えた第4ゲームであと2点で負けという場面から怒涛の巻き返しを図り、4ゲームを連取して勝利するという大逆転劇を演じてみせた。
以来、石川は日本代表としてトップレベルで活躍を続けてきた。
オリンピック3大会に出場し、2012年のロンドン大会では日本卓球界初の銀メダルを獲得(女子団体)。続くリオ2016、東京2020でも大黒柱としてチームを支え、3大会連続のメダル獲得を達成した。
ロンドン2012、日本卓球界悲願のメダル
「かすみん」の愛称で親しまれる石川は、日本における近年の卓球人気の火付け役となった福原愛さんが2018年に引退して以降、その人気を絶やすどころかむしろ加速させ、「卓球黄金世代」と呼ばれる2000年生まれの伊藤美誠、平野美宇、早田ひなへとバトンをしっかりと繋ぐ役割を果たした。
そんな石川にとって最初のオリンピックとなったのは、2012年に開催されたロンドン大会だ。
前年の全日本選手権・準決勝で優勝候補だった福原愛さんを下し、高校生ながら初優勝。同年の世界選手権を経てロンドン2012への出場を決めると、女子シングルスでは日本選手として男女通じて初めて準決勝に進出。メダルには届かなかったものの、次期エースらしいパフォーマンスで日本女子卓球界のさらなる発展を予感させた。
多くの人が感じた予感を、当時19歳だった石川はすぐに形にする。
女子シングルス準決勝の3日後に始まった女子団体戦に、8歳上の平野早矢香さん、4歳上の福原さんとともに参戦。シンガポール代表チームと対戦した準決勝で、1番手(シングルス)の福原さんに続き、2番手(シングルス)、3番手(ダブルス)として出場して2勝をあげる活躍を見せ、3-0で日本チームは準決勝進出。日本史上初のメダルが確定した。
決勝では強豪・中華人民共和国代表チームに敗れるものの、日本卓球界悲願のメダルを獲得し、表彰台で爽やかな笑顔を弾けさせた。
リオ2016、シングルスまさかの初戦敗退と団体銅
ロンドン2012の翌年以降、石川は全日本選手権で3連覇を達成(2013年〜2015年)。その勢いのままリオ2016オリンピックでは、福原さんとともにシングルスに出場した。
23歳になっていた石川は、世界ランキングでも当時4位と勢いに乗る中、同50位の相手と対戦した初戦でまさかの敗退。石川の笑顔が消えた。
大会後のインタビューでは「苦しいオリンピックだった」と振り返った石川だが、シングルスでの悔しさを胸に挑んだ女子団体戦では、出場した5戦全戦で勝利。3位決定戦のシンガポール代表戦では、第1試合を福原さんが落としたものの、第2試合を石川がしっかりとおさえ、最終的に3-1で日本代表は2大会連続のメダルを獲得。チームの銅メダル獲得に貢献した。
中でも石川の人柄を表すハプニングが女子団体・準決勝ドイツ代表戦の第5試合で発生。ラケットを握っていた福原さんの勝利を祈る石川は、応援に力が入るあまり、その声が福原さんに対する「アドバイス」と勘違いされ、退場を命じられたのである。
福原さんはメダリスト記者会見で、このエピソードを笑顔まじりに語り、応援が力になったとして感謝。石川の行動はファンの心をわし掴みにした。
東京2020、日本選手団の副主将に抜擢
日本卓球界を中心となって盛り上げる石川だったが、リオ2016後の全日本選手権では、4連覇のかかった決勝で7歳下の平野美宇に敗北。以来、黄金世代の勢いに押されて思うような結果は残せず、全日本女王の座は遠のいていった。
そして熾烈な東京オリンピック女子シングルス日本代表争いに突入していく。
黄金世代の躍進が目立つ中、先に代表に内定していた伊藤に続く2人目の枠をかけて、石川は平野美宇と激突。代表争いは1年に及び、最終的に石川が直接対決を制してシングルス出場権を獲得した。その決定が間違いではないことを示すかのように2021年の全日本選手権では6年ぶり5度目の優勝を達成した。
こうして迎えた3度目のオリンピックが母国開催の東京2020。日本卓球チームを長年支えてきた石川は、日本選手団の副主将に抜擢された。
ロンドン2012、リオ2016で手にできなかった女子シングルスでのメダルを狙うも、石川は準々決勝敗退という結果に泣いた。しかし、日本選手団の副主将として、さらには卓球女子のチームキャプテンとして、泣いているわけにはいかない。
気持ちを切り替えて臨んだ女子団体では、決勝で中華人民共和国に0-3に敗れたものの、3大会連続のメダルを手にし、試合後には「10年間トップレベルで続けてこられた。少しは自分を褒めてもいいのかな」と語った。
東京オリンピック以降は、全国のファンに感謝を伝えるための「石川佳純サンクスツアー」を開催し、卓球の魅力を発信している石川。コートから離れたとしても、卓球界のアイコンとしてその面白さを多くのファンに伝え続けていくことだろう。