初のオリンピックメダルで母国の歴史に名を刻んだアスリートたち/パリ2024

2024年夏に開催されたパリオリンピックでは、難民選手団のほか4カ国の選手が母国に初のオリンピックメダルをもたらした。また、初の金メダルに沸いた国もある。地図を片手にそれぞれの国を巡ってみよう。

1 執筆者 Virgílio Franceschi Neto
Bronze Medalist David de Pina of Team Cape Verde celebrates on the podium during the Boxing Men's 51kg medal ceremony after the Boxing Men's 51kg Final match on day thirteen of the Olympic Games Paris 2024 at Roland Garros on August 08, 2024 in Paris, France.
(2024 Getty Images)

オリンピックに代表団を派遣している国内オリンピック委員会(NOC)は、世界中に206。これらの選手団の規模や出場する競技の数はさまざまだ。ほんの一握りの選手が名を連ねる国もあれば、何百人もの選手を引き連れて参加する国もある。当然ながら、それぞれの国土面積や人口も大きく異なる。広大で人口密度の高い国もあれば、開会式が開催されるスタジアムの収容人数よりも人口が少ない国もある。

そのような違いの中で、オリンピックデビュー、初メダル、初の金メダルという出来事は各大会で常に見られる。

東ティモールは、2000年のシドニー大会で4人の選手が独立参加選手団として出場し、4年後の2004年のアテネ大会で初めて国旗を掲げた。チリのスポーツファンが初の金メダルに沸いたのはアテネ大会で、テニス男子ダブルスで、ニコラス・マスーフェルナンド・ゴンサレスがその感動をもたらした。

東京2020では、人口わずか3万5,000人の世界最古の共和国のひとつであるサンマリノ選手団が3つのメダルを獲得した。同国初のオリンピックメダルである。

パリ2024は91の国内オリンピック委員会の選手が表彰台に立った。その中には初のメダル獲得となった国もあれば、オリンピックメダルの喜びはすでに経験しているものの、金メダルを味わったことがなかった国もある。その国々とはどこだろうか。Olympics.comとともに、パリで初のオリンピックメダルを獲得した国々を巡ってみよう。

まずは、小さな島々が浮かぶカリブ海から旅を始めよう。ここには、国土面積も人口も非常に小さい国が存在する。そのうちの2カ国は、パリ2024で初のオリンピックメダルを獲得した。

ドミニカ国、テア・ラフォンド

国土面積750km²、人口7万3,000人ほどのこの島は、パリ大会に4人の選手を派遣した。そのうちのひとりがテア・ラフォンドだ。女子三段跳で15m02の跳躍で優勝した30歳のラフォンドは、満員のスタッド・ド・フランスで表彰台の一番高いところから、ドミニカの国旗が掲揚されるのを目にし、国歌が流されるのを耳にした。

ラフォンドは、「この国旗を背負うことは名誉であり、ドミニカ人であることは誇りです。7万人しかいない国の代表として、ここにいること、そして初めてのメダル、金メダルを獲得することは名誉なことです。とても感謝しています」とOlympics.comに語った。

セントルシア、ジュリアン・アルフレッド

ドミニカ国の南に位置するセントルシアは、国土面積は539km²とドミニカ国よりも小さいものの、人口は倍以上のおよそ18万人にのぼる。セントルシア代表団も4人の選手を派遣し、その半数が陸上競技に出場した。その中のひとり、23歳のジュリアン・アルフレッドは8月3日、女子100mで10秒72というタイムを叩き出し、セントルシア初のオリンピック金メダリストになった。その3日後の8月6日、今度は女子200mで銀メダルに輝いた。

アルフレッドは「私は常に、そして永遠に誇りあるセントルシア人です。国を代表し、自分の国の存在を多くの人に伝えることは喜びです。いつも信じられない気持ちです」とOlympics.comに語った。

カーボベルデ、 ダビド・デ・ピナ

パリで初のオリンピックメダルを獲得した国々を巡る世界ツアーはカリブ海を出て大西洋を渡り、アフリカに向かう。

その国はアフリカ西海岸の北に位置し、10の島々からなる諸島カーボベルデだ。国土面積は4,000km²を上回り、人口は約56万人。ポルトガル語を公用語とする。

1975年に独立したカーボベルデは、1996年のアトランタ大会でオリンピックデビューを果たし、パリ大会では過去最大(7人)の選手団を派遣した。

2度目のオリンピック出場となった28歳のダビド・デ・ピナは、ボクシング男子51kg級で同国初のオリンピックメダルとなる銅メダルを獲得し、スポーツ界で同国の存在をアピールした。「28年の人生の中で、誰も成し遂げていないことを達成し、アフリカの歴史に残ることができてとても嬉しい。ポルトガル語圏の(アフリカの)国では、史上3つ目のメダル獲得だ。この快挙にとても満足しています」とOlympics.comに語った。

アルバニア、チェルメン・ワリエフ

さらに北へ向かい、地中海を抜けてアルバニアに向かう。

バルカン半島に位置する人口250万人のこの国は、オリンピックでメダルを獲得していない数少ないヨーロッパ諸国のひとつだったが、8月10日、歴史は新たな展開を見せた。チェルメン・ワリエフがレスリング男子フリースタイル74kg級で銅メダルを獲得したのである。

「歴史的な最初のメダルを獲得することができて、感無量です。これが伝統となり、アルバニアチームがこれから続くすべての大会でメダルを手に帰国することを願っています」と自身のソーシャルメディアに綴った。

そして大会最終日となった翌11日、今度はレスリング男子フリースタイル65kg級のイスラム・ドゥダエフが銅メダルで表彰台に立った。

難民選手団、シンディ・ヌガンバ

難民選手団はボクシング女子75kg級でシンディ・ヌガンバを擁し、ヌガンバは難民選手団で初めてメダルを獲得した選手となった。カメルーンで生まれた彼女は、幼い頃にフランスに移住し、その後、英国へ。彼女はスポーツに安全な逃げ場を見つけ、ボクシング界のスターとなった。

性的指向により母国カメルーンを代表することができなかった彼女は、2016年のリオ大会で初めて設立された難民選手団に受け入れられた。

2024年パリ大会では、女子75kg級の準決勝でパナマのアテイナ・バイロンに敗れ銅メダルを獲得した。

ヌガンバ試合後、「難民選手として初めてメダルを獲得できたことは、私にとって大きな意味があります。世界中の難民に伝えたい。努力を続け、自分を信じ続けてください。何だって成し遂げられます」と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に語った。

グアテマラ初の金メダル、アドリアナ・ルアノオリバ

ここまでで初めてオリンピックメダルを獲得した国々を巡ってきたが、今度は「初の金メダル」に沸いた国を紹介したい。

再びアメリカ大陸に戻ってみよう。その国は中央アメリカに位置する人口およそ1,735万人のグアテマラだ。1968年のメキシコ大会以来、オリンピックに参加しており、豊かなスポーツ文化を有している。最初のメダルは2012年ロンドン大会で、男子20km競歩のエリックベルナベ・バロンドが銀メダルを母国に持ち帰った。

そして2024年のパリ大会で、初のオリンピック金メダルがもたらされた。その「同国初」を成し遂げたのは射撃女子トラップ個人で優勝した29歳のアドリアナ・ルアノオリバである。元体操選手の彼女は、8年前の2016年にリオ大会でボランティアとして大会に関わり、自分がその舞台に立ちたいと考えたときに射撃にチャンスを見出したのである。

代表選手となっただけでなく、歴史にも名を刻んだ彼女は、メダルセレモニーの後、「これが現実のこととは信じられません。本当に嬉しいです。ここに来るのは簡単なことではありませんでした。グアテマラと父に感謝したいです」とOlympics.comに語った。

ボツワナ初の金、レツィレ・テボゴ

最後にもうひとつ、初の金メダルを獲得した国を見てみよう。アフリカ大陸の南部に位置する人口およそ267万人のボツワナだ。

さまざまな野生動物と果てしなく広がるサバンナで知られるこの国にとって、最初のメダルは2012年のロンドン大会の陸上男子800mでナイジェル・アモスが獲得した銀メダルでそれが唯一ものだった。しかし、8月8日に行われた陸上男子200mでレツィレ・テボゴが金メダルに輝き、彼は同国の歴史に名を刻んだ。

金メダル獲得後、テボゴは「アフリカ大陸にとって、これは非常に大きな意味を持ちます。スプリンターが誕生する場所としてアフリカが見なされるようになったからです」と誇らしげに語った。

2日後の8月10日、彼は男子4×400mリレーでボツワナの銀メダル獲得に貢献。同国3個目のメダルとなった。

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