渡邊雄太:206センチの高身長で父母は元選手。「バスケの申し子」は日本人2人目のNBAプレーヤーとして躍動する

高校卒業後から本場アメリカで成長

長身を生かしたシュート力やリバウンドが特長。W杯や東京五輪を狙う日本代表においても不可欠な存在だ

渡邊雄太とバスケとの出合いは必然だった。父母から受け継ぐ遺伝子と、日本人離れした体格。高校卒業後からはバスケの本場アメリカに飛び込んだように、向上心とメンタルの強さもうかがえる。史上2人目の日本人NBAプレーヤーとなり、日本バスケ界の未来を切り拓く。

幼稚園のころから「NBAの選手になりたい」

渡邊雄太のスケールは、これまで日本バスケットボール界が築いてきた歴史をはるかに凌駕する。身長206センチ、体重89キロ。外国人選手と比べても全く引けを取らない立派な体格と、日本人らしい生真面目な性格で、世界最高峰のプロバスケットボールリーグ「NBA」の舞台までたどり着いた。

バスケ一家で生まれ育ち、バスケとの出合いは必然だった。父の英幸さんは実業団の熊谷組、母の久美さん(旧姓は久保田)はシャンソン化粧品、姉の夕貴さんもバスケットボール女子日本リーグWリーグのアイシン・エィ・ダブリュに所属した経歴を持つ。父母ともに選手として第一線から退いた後も週末にクラブチームでプレーを続けており、渡邊は乳児期から体育館に連れられていた。1歳を過ぎたころから自然とボールを転がして遊ぶようになり、幼稚園のころには母が指導するチームに参加して、すでに「NBAの選手になりたい」と口にしていたという。

高松市立牟礼中学校では、2年生次に香川県選抜メンバーに選出された。そのころは父から厳しい指導を受ける日々を重ねた。近所に設置したゴールで1日1000本のシュート成功が課せられ、4時間以上かけて取り組んだ。

香川県の名門、尽誠学園高校に入学後は、180センチから192センチまで背が伸びた。それでも高校3年間、「高さ」という武器におごることなく努力を怠らず、部活一筋の毎日を送った。全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では2年連続で準優勝の成績を収め、大会のベスト5に選出されている。

ジョージ・ワシントン大ではキャプテンも

高校3年次には、大きな決断を下している。国内の大学への進学ではなく、バスケが盛んなアメリカへの留学を決意したのだ。高校を卒業するとすぐにアメリカへ渡り、大学進学の準備をするプレップスクールを経て、ジョージ・ワシントン大学への入学が決定した。

戦いの場を本場アメリカに移しても、渡邊の才能が埋もれてしまうことはなかった。プレップスクールでの活躍からすでに、多くの大学の関心を集めた。2014年、1年生ながらNCAA(全米大学体育協会)デビューを果たすと、そこから連続出場を続けて瞬く間にチームの主軸となった。語学の勉強にも熱心で、周囲からの信頼も集め、4年次にはチームのキャプテンの一人にも選出された。

最終学年のシーズンは、1試合自己最多得点記録を何度も更新し、大学最後のホームゲームとなったフォーダム大学戦では31得点をマーク。同シーズンの得点、リバウンド、ブロック数はチーム1位で、アトランティック10カンファレンス所属リーグのディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。大学スポーツが盛んなアメリカ国内で、渡邊は十分に知られた存在となっていた。

14年ぶり2人目の日本人NBA選手に

大学卒業時はドラフト指名を受けることができなかったが、NBAの登竜門とされるサマーリーグにブルックリン・ネッツの一員として参加し、Gリーグのメンフィス・ハッスル、NBAのグリズリーズと契約を結んだ。契約内容上、主に所属するのは下部のメンフィス・ハッスルとなるが、45日間までの上限ありでNBA登録ができる。

そして2018年10月27日、2018−2019シーズンのNBA開幕から5試合目のフェニックス・サンズ戦でその瞬間が訪れた。25点の大差がついた第4クォーターで途中出場。2004年にサンズでプレーした田臥勇太(たぶせ・ゆうた)以来、日本選手では14年ぶり2人目のNBA出場を果たしたのだ。残り時間4分31秒でコートに立ち、ついに夢を叶えた渡邊はフリースローによる2得点と2リバウンドを記録し、117-96の勝利に貢献した。

渡邊は守備力が高く、相手チームのエースとのマッチアップを任されることも多い。だが大学では、得意とする守備だけでなく、外国人選手との身体能力差を補うためにスリーポイントシュートの精度を上げることに努めた。今では攻守にレベルの高いオールラウンダーとして、スモールフォワードやシューティングガードを務める。

他の日本人選手との違いを最も感じさせるのが、ダンクシュートだ。国内リーグで日本人選手がダンクシュートをする機会はめずらしいが、アメリカではチャンスがあればダンクを仕掛けるのが当たり前となっている。そんな環境に身を置いてきたからこそ、日本代表合宿中にもダンクシュートで次々とネットを揺らし他の選手を驚かせた。NBAのプレシーズンマッチでも、アメリカ人選手に引けを取らない豪快なダンクシュートを決めている。「アメリカ仕様」の技術とプレースタイルで、世界最高峰のリーグでのさらなる成功をめざしている。

日本代表の中心としてW杯とオリンピックへ

渡邊が日本代表候補に初めて選出されたのは、高校2年生に進級したばかりの2011年4月、当時の最年少記録だった。高校3年次にはU-18日本代表のキャプテンを務め、ウランバートルで開催された第22回FIBAアジアU-18選手権でチームをベスト4に導いている。留学のためアメリカへ渡った後も、学業を優先しながら可能な限り代表活動に参加し、2016年にはリオデジャネイロ五輪の世界最終予選を戦った。

2019年に行われるFIBAワールドカップ(以下W杯)のアジア予選を戦う日本代表においては、チーム事情により2018年11月から12月の2連戦を欠場した。2019年2月に控える予選の残り2試合も不在となる見通しだと言われている。

だが、W杯や東京五輪の出場権を獲得すれば、渡邊はチームの中心になることが期待される立場だ。所属チームと同様にシュートを果敢に狙うスモールフォワードを渡邊に任せ、彼のリバウンドやシュート力を生かす方針が日本の戦術の一つとして練られている。これだけの実力と経験を持った選手は、今までの日本バスケ界にはいなかった。新たな歴史を刻むためには、「バスケの申し子」の力が必要だ。

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