高身長に端正なマスク、そして精度の高いシュート力が魅力の比江島慎(ひえじま・まこと)は2つの大きな決断を下した。初の海外挑戦と、わずか5カ月での国内復帰。それらはFIBAワールドカップと東京五輪を見据えた時、どちらもバスケットボールの日本代表としての自身の成長のために必要な選択だった。
エリート街道を歩む「Bリーグモテ男1位」
バスケットボール日本代表の比江島慎(ひえじま・まこと)は、スター街道をまっしぐらに突き進んできた——そんな印象を受ける。
1990年8月11日に福岡県福岡市に生まれた。小学6年生にしてミニバスケットボールの大会で全国1位に立つと、福岡市立百道中学校では3年次に全国3位を経験し、京都府の洛南高校へ。この強豪校でも比江島の実力は抜きん出ており、1年次から全国高等学校総合体育大会で20得点をマークする活躍を見せる。高校バスケの花形大会である「WINTER CUP」(全国高等学校バスケットボール選手権大会)では、3年間負け知らず。男子では史上2校目となる3連覇を達成している。
青山学院大学に進学後も、関東大学リーグ3連覇、全国優勝、MVPや敢闘賞の受賞といった輝かしい成績がずらりと並ぶ。そして3年次に日本代表候補に名を連ね、4年次、ついに日本代表入りを果たした。
社会人になってからは、アイシン(現シーホース三河)加入1年目からチームの主力となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。2017-2018シーズンには、チームのBリーグ・チャンピオンシップ進出に貢献したことが評価され、レギュラーシーズンMVPの称号を手にした。
ポイントガードを務める比江島の大きな魅力は、対人プレーである1on1の強さだ。「比江島ステップ」と評される独特のステップでゴール下に切り込み、得点を重ねる。加えて、精度の高いシュート技術を備える。一度波に乗ると、相手選手が手をつけられなくなる様には「比江島タイム」という呼び名もついた。試合終盤など、ここ一番の攻撃機会でゴール下をオープンにし、比江島に1on1をさせる「アイソレーション」という戦術は何度も見られてきた光景だ。
「ブースター」と呼ばれるバスケファンからの人気も高く、2018年の「B.LEAGUE モテ男No.1決定戦!!」では2万2000票を超える投票数で1位を獲得している。190センチの長身に端正なマスク、試合中に見せる負けん気の強さと、コートを離れれば少し照れ屋な好青年というギャップが、女性を中心とした多くのファンの心をつかんでいる。
2016年秋にBリーグが誕生し、徐々に競技人気が高まるなか、ブースター以外へも認知度を広げ、「日本バスケ界の顔」として定着していくことが望まれる一人である。
ネガティブなエースの大きな挑戦
確かな実績と人気を誇る一方で、比江島は自身を「基本的にネガティブ」と分析する。人見知りでおとなしい性格のために、所属チームと違って短期間でチームメイトとの連係を図らなければならない日本代表の活動中には、苦悩することもあるという。ただし、ネガティブなままで終わらないのが、トップアスリートまで上り詰めたゆえんだ。秘めたる向上心が大きく表れたのが、2018年8月からの海外挑戦だった。
2018-2019シーズン開幕を前に、比江島は5シーズン在籍した「安住の地」である三河を離れ、海外挑戦を最大限サポートすると約束してくれたBリーグ初代王者の栃木ブレックスに移籍。すると、幸運にもオーストラリアプロバスケットボールリーグ「NBL」のブリスベン・ブレッツから獲得オファーが舞い込み、栃木でプレーすることのないまま移籍を決めた。
28歳での海外挑戦に「ラストチャンスだと思う」と奮い立った。2014年のアジア競技大会で日本男子の5大会ぶりの銅メダル獲得、2015年のアジア選手権では9大会ぶりのベスト4進出と、アジア勢との対戦では手応えをつかんでいた。一方で、リオデジャネイロ五輪の最終予選ではラトビア、チェコに完敗。世界との力の差を思い知らされ、海外のリーグで経験を積み、個のレベルアップを図る必要性に迫られていた。
不慣れな海外生活では、言葉や文化の違いに戸惑うことも多かった。しかし、オフコートではチームメイトと食事に行ったり、クリスマスパーティーにも参加したりして、内向的な性格を変えようと努力した。国内にとどまっていれば触れることのできなかった環境や人との関わり方は、変えがたい大きな収穫となったはずだ。
志半ばで国内復帰も、成長に手応え
覚悟を持った新天地での挑戦だったが、わずか5カ月という短い期間で志半ばのままチームを去ることになった。2019年1月5日、NBLでの出場はわずか3試合という状況でチームからの退団が発表されたのだ。すると同月9日、今度は栃木への電撃復帰が発表された。
そもそもオーストラリアのチームへ移籍した背景には、リーグに各チーム3人の外国人枠とは別に各チーム1人のアジア人枠が設けられており、出場機会を得やすいという算段があった。結果的に試合経験は多く積めなかった。しかし、それでも海外でプレーすることに価値を見いだし、武者修行の道を選んだことに後悔はない。
オーストラリア代表やニュージーランド代表、元NBA選手などが在籍するブリスベン・ブレッツの選手たちが持つ高さやパワー、フィジカルの強さは、Bリーグでは経験できないもの。比江島は体格のビハインドを技術で埋めるためにプレーの判断力を研ぎ澄まし、シュートの精度をさらに高めることに努めた。フィジカルばかりに頼らず、組織的なバスケを展開するチームの方針を通して、多くのものも吸収した。
海外移籍の収穫を証明して見せたのが、2018年11月、12月に行われたFIBAバスケットボールワールドカップ2019アジア地区 2次予選Window5のカタール戦とカザフスタン戦だった。
アメリカでプレーする八村塁(はちむら・るい)と渡邊雄太の主力2人を欠いたなか、比江島はカタール戦では20分のプレータイムで12得点をマーク。カザフスタン戦では25分間の出場でチーム内2位の14得点を挙げ、勝利に貢献した。カザフスタン戦の第4クォーター終盤には、ショットクロックを使い切ったうえで3ポイントを決め、勝負の分かれ目となる局面での集中力と技術を見せつけた。
求められる「日本代表エース」の自覚
カタールとカザフスタンを下し、1次予選からの連勝を6に伸ばした日本は、W杯出場圏内のグループ3位に浮上した。2019年2月下旬には日本バスケ界の運命を懸けた2連戦、アウェイでのイラン戦とカタール戦が控えている。2019年のW杯出場権に加えて、東京五輪の開催枠確保のためにも、日本が世界の舞台で戦える力を持っていることを示さなければならない。
この大一番も、昨年のWindow5と同様に八村と渡邊がチーム事情で出場できない可能性がある。となれば、比江島にはチームを牽引する働きぶりが求められる。栃木に復帰後は天皇杯終了後のレギュラーシーズンからコートに立ち、徐々にコンディションを上げ、試合勘を取り戻している。来たる日本代表での決戦に照準を合わせ、調子は上向いている。
海外挑戦も国内復帰も、簡単ではない決断を下すことができたのは、2019年のW杯と2020年の東京五輪を見据えていたからこそ。29歳という、選手キャリアのピークとも言える時期に迎える2つの国際大会に、比江島は自身のバスケットボール人生のすべてをかけて臨む。