八村塁:高校時代の夢を叶え、アメリカでプレー。日本代表デビュー直後に2連勝に貢献した「日本バスケの救世主」

キャリア3年目でチームを全国準優勝に導く

名門ゴンザガ大でもキープレーヤーの一人に。200センチを超える長身を生かし、ダンクシュートを決めてみせることも

「日本バスケの救世主」と称されているのが八村塁(はちむら・るい)だ、父がベナン人で、しなやかなで伸びのある筋肉と、200センチを超える長身を武器に、果敢にシュートを決めていく。高校卒業後はアメリカのゴンザガ大学でプレー。本場で腕に磨きをかけるヤングスターが、日本バスケ界の主人公となる日は近い。

高校卒業後はアメリカの強豪大学へ

田臥勇太(たぶせ・ゆうた)、渡邊雄太に次ぐ日本人NBAプレーヤーになるのは、おそらく彼だ。北米で展開する男子プロバスケットボールリーグに、近い将来、新たに日本人が挑む可能性は非常に高い。

八村塁(はちむら・るい)は宮城県の明成高等学校を卒業後の2016年、バスケットボールの腕を磨うべく、アメリカに渡った。第2言語としての英語を学ぶレッスンを3カ月ほど受講し、同年8月にゴンザガ大学への入学が決まった。

ゴンザガ大学はワシントン州に校舎を構える私立大学で、バスケットボールの名門校としても知られる。「ブルドッグス(Bulldogs)」の愛称で知られる同大バスケットボール部は全米大学体育協会(以下NCAA)トーナメントの常連校で、成長の場にふさわしい。1992年と1996年のオリンピックに出場したジョン・ヒューストン・ストックトン(アメリカ)や、リトアニア代表として活躍するドマンタス・サボニスも同大でバスケットボールの技術を上げた。

八村はその実力を認められ、ゴンザガ大学から声をかけられている。奨学金付きのオファーだった。他の大学からもいくつか誘いがあった。ただ、八村は「NBAでプレーすること、東京オリンピックで活躍すること」という目標に近づくため、バスケットボールの強豪校であるうえ、学費もサポートしてくれるゴンザガ大学を選んだ。

U-17世界選手権は1勝6敗も、夢が明確に

高校卒業直前の八村が引く手あまたの存在だったのは、2014年8月、ドバイで見せた活躍がきっかけとなっている。

高校は生まれ故郷の富山県から宮城県の私立明成高等学校に越境入学した。2年生の時にはU−17世界選手権の日本代表に選出されている。ドバイで行われたこの世界大会で、八村がプレーするU−17日本代表は本場アメリカと対戦する。結果は38−122の惨敗。ただし、八村は38得点のうち25得点と孤軍奮闘した。当時197センチの長身の少年の存在は、アメリカの関係者たちの目を引いた。ゴンザガ大学のスタッフもそのなかにいたと見ていいだろう。

アメリカが3大会連続の優勝を果たした一方、日本は1勝6敗で、16チーム中14位という成績に終わった。0勝7敗で最下位に沈んだアラブ首長国連邦にしか勝てなかった。

それでも、八村にとっては収穫のほうが多かった。大会得点王に輝いたし、世界を体感したことでバスケットボールの魅力にあらためて引き込まれた。夢も明確になった。大会後に八村は次のように話している。

「日本では経験できない大きい選手とやれるのが楽しかった。とにかく世界の選手と戦いたいので、それが毎日できるのが楽しかったです。ますますアメリカに行きたくなりました」

バスケを始めたのは友人の熱心な誘いがきっかけ

1998年2月8日、富山県で生まれた。父はベナン人で、母は日本人。しなやかなで伸びのある筋肉はアフリカで生まれ育った父譲りだ。

物心ついた時から運動は得意だった。小学生時代は野球に夢中だった。ピッチャーながら、打撃にも自信があった。大谷翔平さながらの「二刀流」で将来を嘱望されていた。陸上も得意で、小学5年生の時には100メートルを13秒台で駆け抜けて富山県大会で優勝。全国大会にも出場した。

富山市の奥田中学校に入学した際、当人は「中学でも陸上をやろうかな」と思っていた。だが、抜群の身体能力を持つ八村少年を周囲が放っておくはずがなかった。バスケットボール部の友人が毎日のように勧誘してきた。10日以上も「一緒にバスケをやろう」と声をかけ続けてくれた友人の思いに応えるべく練習に参加し、バスケットボール部に入部した。

その後は駆け足で成長していく。中学3年次には全国中学校体育大会でチームを準優勝に導き、自身は大会ベスト5に選ばれた。その後、バスケの名門である明成高に入学すると、1年生ながらエースとして活躍。中学を卒業したばかりながら、「高校バスケの祭典」とも言える全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会、通称「ウインターカップ」の優勝に大きく貢献した。2年次にも同大会で優勝し、3年次には全国高等学校総合体育大会を制覇してみせた。結局、ウインターカップでは3連覇を果たしている。

代表デビュー直後に「日本バスケの救世主」に

U-17日本代表とU-19日本代表として世界を経験した八村は、本場アメリカのゴンザガ大学で着実に成長を続けている。

ポジションはスモールフォワードかパワーフォワード。200センチを超える長身と長いリーチを生かし、果敢にシュートを放っていく。2016年11月にNCAAデビューを果たすと、ほどなくチームにとって重要な選手となった。2018年11月に行われたマウイ・インビテーショナルというトーナメントでは大会MVPに選出されている。

高さと得点力に加え、速さと強さと激しさを併せ持つ八村は、当然、2019年に中国で行われるFIBAワールドカップ(以下W杯)の出場を狙う日本代表においてもキープレーヤーとなっている。代表デビューは2018年6月。韓国との国際強化試合第1戦で起用されると、チームで2番目となる17得点を挙げ、勝利に貢献した。終盤にはダンクシュートを決めて会場を沸かせた。

直後の同年9月にはW杯で苦しむ日本代表を救ってみせた。チームはアジア1次予選で4連敗。2次予選に進むためには2連勝が必要な状態にあって、八村はオーストラリア戦とチャイニーズ・タイペイ戦の2連勝の立役者となった。オーストラリア戦ではチームの79得点中24得点を挙げる圧巻の働きだった。

この2試合で八村は「日本バスケの救世主」と呼ばれるようになった。ゴンザガ大で確実に進化を続ける八村はNBA入りがほぼ確実視されている。本場アメリカでも高い評価を受ける「日本バスケの救世主」は、いずれ「日本バスケの主役」を演じるはずだ。

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