宇津木麗華:レジェンド指揮官の目標は12年越しの「オリンピック連覇」

現役時代はスラッガーとして活躍した宇津木麗華監督

現役時代は日本のスラッガーとして、シドニーとアテネの五輪に出場した宇津木麗華。それぞれ銀と銅のメダルに貢献した。特にシドニーでは、3試合連続ホームランと圧巻の長打力を世界に見せた。2011年~2015年に日本代表監督を務め、2回の世界選手権とアジア大会ではいずれも金メダルを獲得。一旦退任した後、2016年12月に東京五輪までの任期で日本代表の監督に復帰し、2008年の北京以来12年ぶりの五輪開催で連覇を目指す。

宇津木妙子監督を頼り、日本に帰化したスラッガー

身長171cmの宇津木麗華は、現役時代は右投げ左打ちのスラッガーとして活躍した。愛称は「にん(任)さん」。3人きょうだいの末っ子として育った彼女は、14歳までは陸上競技のやり投げをしていたが、ソフトボールへの適性を見抜いた地元チームの指導者の薦めでソフトボールへ転向した。

15歳のときに中国に遠征に来ていた日本代表の宇津木妙子と出会うと、その後も交流は続いた。10年後に宇津木妙子が監督として率いていた群馬県高崎市の実業団に招聘され、来日2年後の1990年には日本リーグ初優勝に貢献した。数々のタイトルを獲得し、94年には三冠王に輝くなど目覚ましい活躍が認められ、日本代表に選出される。

それを機に、32歳で日本国籍を取得。任彦麗(にん えんり)から宇津木麗華となった。宇津木妙子とは養子縁組をしたわけではなく、自分が日本代表選手として「宇津木」という名を世界に知らしめたいという理由から、「宇津木」姓を名乗ることを了承してもらったという。「麗」は本名から取った。

翌年のアトランタ五輪は、帰化して3年に満たないということで、出身の中国の許可が得られず、五輪出場はならなかったが、4年後のシドニー五輪は37歳にして主砲として活躍。3本のホームランで、日本が銀メダルを獲得する原動力となった。41歳でアテネ五輪に出場後、実業団の監督業に専念し、現在は指導者として活躍している。

なお、2019年にオープンする、高崎市のソフトボール球場の名称が、二人のソフトボールレジェンドにちなんで「宇津木スタジアム」と名付けられた。麗華が「宇津木」姓を名乗ったことで、ひとつの夢が実現したことになる。

ここ一番で見せる勝負師の一面

ソフトボールは14歳から中国・北京のチームで、またユースの中国代表としてプレーした。25歳のときに宇津木妙子の誘いを受け、単身で来日。妙子の埼玉の実家に身を寄せ、家族の一員として、温かく受け入れられた。それから高崎にある妙子の実業団チームの練習に通いながら、日本語を覚え、天才的なスラッガーとしての才能をより磨いた。

五輪ではシドニーとアテネの2大会に出場。シドニー五輪では3試合連続ホームランを放つ活躍を見せた。準決勝のオーストラリア戦では勝ち越しのソロホームランを、決勝では先制となるソロホームランを叩きこんでいる。その決勝のホームランには、こんなエピソードが残っている。

出場ができなかった無念のアトランタ五輪後から4年間、シドニー五輪のときは、宿敵アメリカの二刀流エース、リサ・フェルナンデスから勝利打点をあげたいと考えた麗華は、リサと対戦する試合ではあえて、ある球種に対して苦手なふりをし続けた。

シドニー五輪の決勝で、リサは麗華が“最も苦手なはずの”決め球、チェンジアップを自信たっぷりに投げ込んだ。麗華が待っていたのは、まさにその一球であった。迷いなく一振りすると、打球はセンター越えのホームランに。まさに勝負師の、執念の一発であった。

指揮官として国内リーグで6度、世界選手権連覇の実績

2003年には宇津木妙子から、実業団の監督を引き継ぐこととなったが、麗華は現役の日本代表選手であり、所属実業団の主力としても活躍していたため、最初は選手兼任の監督であった。翌年、アテネ五輪後現役を引退すると、実業団で監督業に専念し、上野由岐子をはじめとした日本代表選手を多く抱える強豪チームを、2016年までに日本リーグで6回の優勝に導いた。

日本代表監督として采配した2012年の世界選手権は北京五輪から4年後、ロンドン五輪直前にカナダ・ホワイトホースで行われた。決勝戦は宿敵アメリカだったが、無得点のまま試合はタイブレーカー(延長戦)に突入。10回表、宇津木麗華監督は、フルカウントから強気にもスクイズのサインを出し、勝ち越しの1点をものにした。その裏を上野が押さえて、2-1で勝ち切ると、日本に42年ぶりの世界選手権金メダルをもたらした。


五輪で戦う意味、価値を再認識する中、金メダルを狙う

東京五輪のソフトボールは、6チームで予選、総当たりで戦い、決勝トーナメンに進む。今回、ソフトボールは大会前半に行われる。7月24日の開会式に先立ち、22日に開幕、28日にはメダルが確定する。まずは日本の球技陣の切込み隊長として金メダルを獲得し、ほかの日本代表にも刺激を与えたいところだ。

日本が金メダルを獲得するために、東京五輪までに準備しておかなければならないことは山積みだ。宇津木麗華は、日本代表監督の仕事に専念するために、就任が決まると所属の実業団を辞め、後進に託した。代表選手は合宿に召集されると、基本的な練習を自主練も含め、1日みっちり3部練習を行うほど、細かいところからしっかり取り組み、経験豊富な先輩たちから学ぶという、ソフトボール漬けの毎日を送った。

東京五輪での復活が決まったため、各国のソフトボール代表にも予算がついて強化が再開され、一度は引退したアメリカのエースも復帰するなど、各国のチーム事情も変わってきている。日本はスカウティングや戦力分析をしつつ、五輪経験者が上野と山田しかいない日本チームに、五輪ならではの注目の高さからくる重圧などに振り回されないよう、メンタル面での対策も行っているという。

上野だけに頼らず、二刀流の藤田倭をもうひとつの大きな柱に成長させ、加えてほかの若手投手にも任せる試合、場面を増やすこと。2018年に行われた世界選手権は、地元開催で東京五輪に向けメディアの注目度の高い大会ゆえに、決勝に残るのは最低限の目標になり、結果的に上野への負担が大きくなってしまった。

日本の打線は長打力のある選手も育っており、スラッガーの山本優、勝負強いバッテングの藤田倭を軸に、世界最高峰の技術と経験を持つ実力者・山田恵里がチームを牽引していく。宇津木麗華の、ち密にして大胆な采配、論理的かつ勝負師的な戦術など、魅せるソフトボールで観客を引き込んでいく。

ただ、金メダルを取ればよいのではなく、選手一人一人がこの大会を通して人としても成長してほしい。一度は五輪から除外された期間の苦しさを経験しているからこそ、改めて五輪で戦う意味、価値を再認識することができた。

五輪後の生き方などについても宇津木麗華は選手たちに語り、気づきを促している。シドニー五輪後、日本で一気にソフトボールへの注目度があがり、北京五輪では金メダルチームとして脚光を浴びた。東京五輪後、いつまでも語り継がれるような、心に残る感動的なソフトボールを見せることが、宇津木麗華の監督としてのミッションだ。

◆監督としての直近の参加大会、結果

2012年 世界選手権(カナダ):金メダル ※42年ぶり金メダル

2014年 世界選手権(オランダ):金メダル ※連覇

2014年 アジア大会(韓国):金メダル

2018年 世界選手権(日本):銀メダル

2018年 アジア大会(インドネシア):金メダル

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