2019年5月、大迫傑(すぐる)は東京五輪代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップでラストスパートを仕掛けられず、オリンピック出場を決められなかった。2度目の正直となった東京マラソンで自らの日本記録を更新して、男子代表最後の切符を手に入れた。42.195キロのレースに情熱を注ぐランナーの少年時代を振り返る。
野球少年が町田市こどもマラソン大会で優勝
2018年10月のシカゴマラソンで2時間5分50秒という日本新記録を打ち立てた大迫傑は1991年5月23日、東京都町田市で産声をあげた。3人兄弟で、兄と弟がいる。
名前には両親の思いが込められている。母が「『すぐる』という呼び名が可愛い」と感じ、父も「傑」という文字の持つ「抜群に優れた」という印象にひかれたのが由来だ。
小学生時代に打ち込んだスポーツは野球だった。地元の金井小学校に通いながら、藤の台少年野球部でバットを振った。主にセカンドのポジションを守った。水泳も習い、体を動かす楽しさを感じるようになっていった。
野球少年が進路変更を考えるきっかけとなったのは、マラソン大会だった。小学生時代、地元で人気の町田市こどもマラソン大会で優勝を果たす。3、4年生は2000メートル、5、6年生は3000メートルを走る空間で、先頭で駆け抜ける喜びに魅了された。
「陸上をやりたい」という気持ちにふたをすることはできなかった。進学した金井中学校には陸上部がなかったが、クラブチームに入ったり、他校の練習に参加させてもらったりと、「走ることを極めたい」という思いを胸に競技に打ち込んだ。
両親の協力もあり、中学2年次、金井中に正式に陸上部が立ち上がった。舞台が整い、成果を出すまでにそれほどの時間は要さなかった。3年次に出場した全日本中学校陸上競技選手権大会の3000メートルで3位入賞。同種目では当時の東京都中学校最高記録である8分41秒59というタイムをたたき出している。
越境入学した高校を駅伝初優勝に導く
陸上を本格的に初めて3年ほどで頭角を現した少年は、中学卒業後、陸上の名門校に越境入学する。長野県の佐久長聖(さくちょうせい)高等学校の門をくぐった。
大迫は充実した環境で才能をさらに伸ばしていく。高校2年次には5000メートルで同世代ではトップレベルの13分台を記録。全国高校駅伝では2年生ながらアンカーの大役を果たし、佐久長聖高の初優勝に大きく貢献した。3年次の全国高校駅伝でチームは4位に終わったものの、自身は1区で区間賞を勝ち取っている。
2010年に早稲田大学に進学すると、「大迫傑」の名前は世界でも知られるようになった。同大競争部に入部直後の世界ジュニア陸上競技選手権大会では10000メートルで8位の成績を残す。翌2011年にはユニバーシアード競技大会の同種目で優勝を果たした。箱根駅伝でも1年次からエースとして活躍するランナーは、当然のごとく将来を嘱望されていた。
プロ転向後の2018年にはマラソンの日本新記録を更新。東京五輪のマラソン代表筆頭候補と考えられていた。だが2019年5月、オリンピック代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップでは、いわく「完全に力負けです。最後には脚が残っていませんでした」という走りで3位に終わり、内定を決めることができなかった。
「傑」という文字が印象づける「抜群に優れた」能力を世界に知らしめるにはまず、東京五輪という大舞台に立たなければならない。男子マラソン代表の枠は残り一つだけ。日本記録保持者はラストスパートをかけた大迫は、2020年3月1日の東京マラソンで、2時間5分29秒の新たな日本記録を自ら打ち立てた。翌週のびわ湖毎日マラソンでもその記録を破る者は現れず、男子代表最後の切符を手に入れた。
選手プロフィール
- 大迫 傑(おおさこ・すぐる)
- 陸上競技選手 5000メートル、1万メートル、マラソン
- 生年月日:1991年5月23日
- 出身地:東京都町田市
- 身長/体重:170センチ/52キロ
- 出身校:金井中(東京)→佐久長聖高(長野)→早稲田大学
- 所属:Nike(ナイキ)
- オリンピックの経験:リオデジャネイロ五輪(5000メートル、1万メートル)
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