【アスリートの原点】セルヒオ・ラモス:スペイン代表をけん引する「世界最高のセンターバック」……負けん気の強さは故郷セビージャの闘牛文化から

オーバーエイジ枠での東京五輪出場に意欲を見せる

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
故郷のクラブ、セビージャでプロデビューを果たす(左)。2005年3月からはスペイン代表としても活躍を続ける(右)

セルヒオ・ラモスのキャリアは輝かしい。サッカーの「銀河系軍団」レアル・マドリードで4度のスペインリーグ制覇に加え、スペイン代表としても2010年のワールドカップで優勝。2008年と2012年にはEURO(UEFA欧州選手権)を勝ち取っている。闘志あふれるプレーでチームを引っ張る熱きキャプテンとしての原点は、彼の故郷である「闘牛の街」セビージャにあった。

闘牛士を夢見た少年時代

サッカー・スペイン代表のセルヒオ・ラモスは万能型のDFだ。フィジカル、スピード、戦術眼、優れた守備能力だけでなく、高い得点力も併せ持ち、ピッチ内外で圧倒的な存在感を誇る。ワールドカップ(以下W杯)には2006年から4大会連続で出場している。

一方でスペインリーグ史上最多の退場回数を記録するなど、時にはその勝利へのこだわりの強さ、気性の荒さが批判の対象となることもある。2005年にレアル・マドリードに加入以来、公式戦で20回以上の退場を強いられてきた。

闘志を前面に押し出したプレースタイルの原点は、生まれ故郷のセビージャで培われたのかもしれない。セビージャはスペイン南部アンダルシア州の州都で、闘牛が有名な場所として知られる。幼い頃から闘牛を見て、セルヒオは牛と真剣勝負を繰り広げる闘牛士になることを志していたという。

1986年3月30日に生まれ、兄と妹を持つ三人きょうだいの一人として育てられた。小さい時はサッカーに全く興味がなく、闘牛の中継映像ばかり見ていたという。

しかし母親は「闘牛士になったらケガが絶えない」と心配し、息子の将来の夢に猛反対。見かねた兄のレナが「だったらサッカーでも習ってみたら? 闘牛士になるよりは危険じゃないと思うよ」と助言を送った。この言葉がセルヒオの人生を変えることとなった。現在、兄のレナはセルヒオの代理人を務めている。

6歳で地元のクラブチーム、FCカマスに入団し、すぐに頭角を現した。その2年後に同クラブと関係性が強い名門セビージャFCにステップアップを果たす。下部組織では現在もセビージャでプレーする元スペイン代表MFヘスス・ナバスや、将来を嘱望されながら22歳の若さで急死したアントニオ・プエルタとともにプレーし、彼の背番号を着用したうえでプレーして死を悼んだ。

18歳で世界的名門のレアル・マドリードに加入

2005年夏、世界的スターへと成長させる、大きな転機が訪れた。当時のスペイン人の十代の選手としては最高記録となる2700万ユーロ(約31億2000万円)の移籍金で、レアル・マドリードへの加入が決定した。世界屈指の選手が集結する「銀河系軍団」の一員となった。

クラブ外では、2005年3月の中国との親善試合において18歳11カ月24日でA代表デビューを経験し、過去55年での最年少出場記録を更新している。2006年のドイツ・ワールドカップでは右サイドバックとして3試合に出場。この大会以降、レギュラーメンバーに定着した。

プロデビューから10年ほどが経ち、2015−16シーズンから「銀河系軍団」で、2016年からはスペイン代表でキャプテンを務める。「子どもの頃からキャプテンになることを夢見ていた。今、その夢が実現した」と語り、喜びを露わにした。ピッチの内外を問わず、どんな選手に対しても臆せず意見していく姿は、間違いなくチームの中心だ。

さらに「あらゆるタイトルを勝ち取りたい」という野心から、これまで無縁だったオリンピックの舞台にも興味を示している。規定における選手年齢を超えるオーバーエイジ枠での出場に意欲的だ。2020年夏、世界最高峰のプレーとキャプテンシーを日本で見られるかもしれない。

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