「背泳ぎ王子」こと入江陵介の最大のライバルとしても知られるのが、アメリカのライアン・マーフィーだ。190センチを超える長身を生かしたダイナミックな泳ぎで現在の競泳界をリードする。持ち前の運動神経でも唯一なかなか攻略できなかった水泳という競技に心を奪われた少年が、リオデジャネイロ五輪で3冠を達成するまでのストーリーを紹介する。
毎回課題が見つかる競泳のとりこに
ライアン・マーフィーは1995年7月2日にフロリダ州北東部のジャクソンビルで生まれた。3歳上の姉シャノンと、2歳上の兄パトリックが水泳を習っていたことがきっかけとなり、4歳のころから自身もプールに通うようになった。つまりこれまで20年以上、人生のうちの大半の時間を水泳と向き合ってきた。
ただし、12歳のころまでは競泳一本に絞ることなく、サッカー、野球、アメリカンフットボールと、とにかくさまざまな競技に親しんだ。どのスポーツも運動神経抜群のライアン少年にとっては楽しく、簡単にこなせるものだったが、唯一毎回課題が見つかるのが水泳だった。リカバリー、栄養管理、睡眠の質、持久力……こだわればこだわるほど、引っかかる要素が増えてくる。泳ぐたびに「もっとパフォーマンスを改善したい」というモチベーションが高まっていく。マーフィー自身、ある取材で「もはや中毒だったね、よりベストな自分をめざしたくていつも奮闘していたよ」と話したことがある。
すっかり水泳の魅力にのめり込んだライアン少年は、めきめきと才能を開花させた。8歳の時にはかわいらしいイラストともに、両親に向けた手紙にある誓いを記している。
「ぼくの水泳人生がずっとつづきますように。大きくなったらオリンピック選手になれますように。せかいきろくを出せますように。せかいでさいこうのスイマーになれますように」
兄いわく、ライアンは13歳の時に18歳の選手に圧勝するほどの才能を持っていたという。実際、フロリダ州の大会でも年上の選手たちを次々と撃破。2011年にはペルーのリマで行われた世界ジュニア水泳選手権の200メートル背泳ぎで3位に入り、国際大会初のメダルを獲得した。
大学時代に一気にブレイク、リオでの快進撃へ
翌2012年、16歳のライアンは100メートルと200メートルの背泳ぎでロンドン五輪出場をめざしたものの、惜しくも出場権は獲得できなかった
2013年に地元の高校を卒業したのち、カリフォルニア大学バークレー校に進学。アメリカの大学スポーツの名門「カリフォルニアゴールデンベアーズ」の一員となった。2014年には全米大学体育協会(NCAA)ディビジョン1水泳選手権において、100メートルと200メートルの背泳ぎで優勝という華々しい結果を残す。以後2017年までの4年間表彰台の頂点に君臨し続け、同世代における圧倒的な存在となった。
そしてサクセスストーリーは2016年のリオデジャネイロ五輪での栄光へとつながっていく。100メートルと200メートル背泳ぎを制覇。4×100メートルリレーでコーディ・ミラー、マイケル・フェルプス、ネイサン・エイドリアンとともに世界一となり、初出場のオリンピックで3つの金メダルを獲得してみせた。
狙うは25歳で迎える東京の舞台での連覇。「せかいきろくを出せますように。せかいでさいこうのスイマーになれますように」。幼いころに両親に誓った夢を、ライアン・マーフィーはずっと追い続けている。