オリンピックにおいて、最も人気のある競技の一つと言えるのがサッカーだろう。国際サッカー連盟(以下FIFA)の加盟国が200を超えているとおり、サッカーは地球規模で親しまれている。オリンピックにおけるサッカーの歴史とともに、ワールドカップとは別の大舞台でプレーした名プレーヤーたちの存在を振り返る。また、2020年東京五輪に向けた国内外の注目選手もピックアップした。
ネイマールがサッカー王国に初の金メダルをもたらす
近代オリンピックの第1回大会は、1896年にアテネで開催された。このアテネ五輪では陸上、水泳、テニス、体操、レスリング、自転車、フェンシング、射撃の8競技、合計43種目が行われており、当時サッカーはそのなかに含まれていなかった。
サッカーがオリンピックの競技になったのは、1900年の第2回パリ五輪からだ。このパリ五輪以降、1932年のロサンゼルス五輪を除くすべての大会でサッカーは実施されており、その歴史はオリンピックと並ぶ世界的なスポーツの祭典、FIFAワールドカップよりも古いものとなっている。ワールドカップの第1回大会は1930年に開催された。
1980年のモスクワ五輪まではオリンピック憲章の規定によりアマチュア選手のみの出場に限られていたが、1984年のロサンゼルス五輪からはプロ選手の出場が認められた。同大会にはドゥンガ(ブラジル)やフランコ・バレージ(イタリア)、ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア)といった世界的名手も参加し、一気に注目度が高まった。
1992年のバルセロナ五輪からは出場資格が23歳以下の選手に限定され、現行の規定が導入されている。日本にとって28年ぶりのオリンピック出場となり、メンバーに前園真聖や中田英寿などが名を連ねた1996年アトランタ五輪以降は、23歳以下のチームに「オーバーエイジ」という24歳以上の選手を3名加えることが可能となり、競技レベルの向上が図られた。
オーバーエイジ枠と言えば、ネイマール(ブラジル)の活躍が記憶に新しい。2016年リオデジャネイロ五輪、当時24歳で自身2度目のオリンピック出場を果たした彼は、キャプテンとしてチームをけん引。母国開催の舞台でブラジルに同国サッカー界初となるオリンピック金メダルをもたらした。
近年の優勝チームをさかのぼると、2012年のロンドン五輪ではメキシコが、2008年の北京五輪と2004年のアテネ五輪ではアルゼンチンがそれぞれ表彰台の最上段に立っている。アジア勢の優勝はまだ一度も成し遂げられていない。
2020年の東京五輪には、各大陸の予選を勝ち抜いた15チームに開催国の日本を加えた16チームが参加。7月24日(金)に開催される開会式に先駆けて、サッカー男子は7月23日(木)に決戦の火ぶたが切られ、8月8日(土)に決勝が行われる予定となっている。
2008年北京五輪で躍動したリオネル・メッシ
先にドゥンガやストイコビッチ、そしてネイマールらの名前を挙げたが、オリンピックには他にもサッカー界におけるビッグネームが多数出場してきた。
1992年のバルセロナ五輪では地元スペインが金メダルを獲得しており、その中心を担ったのが現マンチェスター・シティ監督のジョゼップ・グラルディオラだった。その4年後、1996年のアトランタ五輪では、ロナウド、ロベルト・カルロス、リバウドを擁したブラジルが銅メダルを手にしている。2000年のシドニー五輪には、スペイン代表としてシャビが出場。カルレス・プジョルらとともに銀メダルを手にした。同大会の優勝候補にはアンドレア・ピルロやジェンナーロ・ガットゥーゾ、ジャンルカ・ザンブロッタらを擁したイタリア代表の名も上がっていたが、金メダルを獲得したのは、Jリーグでも活躍したパトリック・エムボマを軸とするカメルーンだった。
先述のとおり、2004年のアテネ五輪と2008年の北京五輪ではアルゼンチンが連覇を果たした。北京ではリオネル・メッシが躍動。当時21歳になったばかりのメッシは、このタイトル獲得をステップの一つにし、着実に世界ナンバーワン選手への階段を駆け上がっていく。ちなみに、アテネ、北京の両オリンピックに出場したのはハビエル・マスチェラーノだけ。スペインの名門バルセロナでもプレーしたマスチェラーノは、アルゼンチンのサッカー選手として2大会連続で金メダルを獲得した唯一の選手として、その名を歴史に刻んでいる。
キリアン・ムバッペは東京五輪でも存在感を発揮できるか
2020年の東京五輪に向けて、今最も注目すべきはキリアン・ムバッペ(フランス)だろう。1998年12月20日生まれの東京五輪世代で、2018年にロシアで開催されたワールドカップでは当時19歳の若さでフランスの世界一に大きく貢献した。母国の名門クラブ、パリ・サンジェルマンでもスピードと決定力を併せ持つアタッカーとして活躍を続ける。
ムバッペは、フランスのメディアに対し、2018年のワールドカップ、2016年のU-19欧州選手権を制した自身の次なる目標を明かしている。見据えるのは2020年に行われる2つの大会だ。
「僕はすべてを勝ち取りたいと思っている。2020年、フランスは欧州選手権で勝たなければいけない。そしてもう一つ、僕はオリンピックの舞台で戦いたいんだ」
ムバッペが東京五輪に出場するためには、2019年6月に開催されるU-21欧州選手権でフランスをベスト4まで導かなければならない。フランスはリオデジャネイロ五輪への出場権を逃していることもあり、チームのけん引役としてムバッペにかかる期待は大きなものがある。
東京五輪の日本代表は堂安律や冨安健洋が主軸となる見込み
日本人にとってオリンピックのサッカーは古くから親しまれてきた競技の一つである。
初出場となった1926年のベルリン五輪では優勝候補の筆頭だったスウェーデンを撃破し、1968年のメキシコ五輪では得点王に輝いた釜本邦茂に導かれて銅メダルを獲得。1996年アトランタ五輪ではブラジルを破り、今なお「マイアミの軌跡」としてその勝利が語り継がれている。2012年のロンドン五輪では4位入賞を果たした。
開催国として出場する2020年東京五輪では表彰台の一番上をめざしており、森保一監督は2019年以降の抱負をこう明言する。
「我々東京オリンピック世代の代表は、本番である東京2020オリンピックで金メダルを取るために活動して準備しています」
その主軸となるのは、すでに日本代表にも抜てきされ、オランダリーグで活躍している堂安律だろう。正確な左足のキックと切れ味鋭いドリブルは、チームの攻撃に欠かせない武器となる。
堂安同様、森保ジャパンで存在感を示しつつある冨安健洋(とみやす・たけひろ)も注目選手の一人だ。ベルギーリーグを主戦場とし、190センチちかい長身を生かした空中戦の強さに加え、センターバックとボランチをハイレベルにこなす戦術理解度の高さが持ち味である。
そして、久保建英(たけふさ)からも目が離せない。バルセロナの下部組織で育った逸材で、2018年6月に17歳になったばかり。イギリス紙『ガーディアン』が発表した2018年版の「世界で最も才能のある若手選手60名」にも連ねる。メンバー入りの際は「飛び級」での招集となるが、若くして経験豊富な彼が、2020年の日本の切り札になる可能性も十分にある。