1994年リレハンメル大会。金メダルを目前とした日本は残るエース原田がいつも通り跳ぶだけだった。しかしジャンプは失敗しドイツに逆転負けを喫する。4年後、1998年の長野大会。原田の一回目のジャンプは失敗。さらに悪天候により競技が一時中断。この窮地を救ったのは代表選考から漏れた日本人選手25名。チームリーダーはリハメルンで原田とともに戦った西方が務めた。テストジャンパーは誰も転倒することなく、競技は続行。二回目のジャンプで原田は機械による測定可能値を超える137mの最長不倒の大ジャンプで日本の勝利に貢献した。