「ベイカー茉秋」度重なる怪我を乗り越え、東京オリンピックで連覇を狙う

リオ五輪 柔道男子90kg級で金メダルを獲得したベイカー茉秋選手

度重なる怪我を乗り越え、東京五輪で連覇を狙う

2016年リオデジャネイロ五輪、男子柔道90 kg級で金メダルに輝いたベイカー茉秋。オリンピック以来となる2017年全日本選抜体重別選手権で右肩を脱臼し、手術を余儀なくされた。復帰後も違う箇所を痛めるなど怪我との戦いが続いているが、徐々に調子を上げているとも言われている。東京五輪金メダルの有力候補なだけに、復活が待たれるところだ。

今までの日本人にはいない“新種の選手”という評価

21歳でオンピックチャンピオンとなったベイカー茉秋。90 kg級での金メダルは、日本勢初の快挙であった。両手で相手の道着をしっかりと持つ日本伝統の組手ではなく、左の引き手を絞って腰を引く独特のスタイルで、5試合中、決勝戦を除く4試合で一本勝ち。またリードされていても、焦らない落ち着きぶりや、決勝戦では、優勢を奪ってから終盤に相手と距離を保つような戦いぶりをするなど、今までの日本人選手にはいないタイプの「新種の選手」と呼ばれた。

「新種の選手」のエピソードとして、大会当日に、朝からステーキを平らげ、「決勝前に3回吐くことで体が軽くなった」と語ったことは、有名な話となっている。

高校時代に60kgから90 kgへとウエイトアップ

柔道を始めたのは小学生のとき。中学時代は東京都大会で2位の成績を残しているが、全国的には無名の選手だった。注目を浴びるようになったのは、東海大浦安高校に進学してから。入学時の体重は60kg程度しかなかったものの、パワーがある選手で、「体重を増やし、体が大きくなれば強くなるタイプだ」という当時の恩師の言葉で、増量を決意する。

1日7食とウエイトトレーニングを取り入れ始めたが、もともと体重が増えるようなタイプではなく、当初のトレーニングでは苦戦した。それでも徐々に体が大きくなり始め、1年生の終わりには70 kgへと増加。2年生のときには81kg級に階級を上げて、インターハイ個人戦3位。90 kgに階級を上げると、公式戦46連続一本勝ちを含め、高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。ベイカーの成長は、高校2年の後半から、急激に右肩上がりを示すという珍しいケースであった。

2013年に東海大学に進学。1年生のときに、初めてのシニア国際大会となったグランドスラム・東京大会に出場し、優勝を飾った。3年生になると、4月の全日本選抜体重別選手権で初優勝を果たし、8月の世界選手権代表に選出された。その世界選手権では準々決勝で敗れるものの、敗者復活戦を勝ち上がり3位となった。4年生のときには、選抜体重別決勝で2位に終わったが、実績を考慮されてリオデジャネイロ五輪代表には選出される。また、この時期に世界ランキング1位となり、オリンピックで第1シードとなるだけでなく、特典として常に白い柔道衣を着用することとなった。

オリンピック後は怪我との戦いに悩まされている

リオデジャネイロ五輪終了後、その若さと強心臓な性格から、日本柔道を担う逸材として期待されたが、柔道家として、最も大きな夢がかなったことで、柔道への意欲が衰えてしまう。そんな折、2017年4月に行われた全日本選抜体重別選手権で、試合中に右肩を脱臼。実は、ベイカーはリオデジャネイロ五輪前から亜脱臼を繰り返しており、ついに右肩が悲鳴を上げてしまった。

手術は無事に成功したものの、術後はわずかな振動でも患部に響いて痛みがでるほどで、約3カ月間、走ることができなかった。しかし、懸命なリハビリのかいもあって、同年10月には、柔道の練習を再開するまでに。最初は中学生相手の基礎的な稽古で始めて、徐々に負荷を上げて、年末には実業団の選手と乱取りができるまでに回復した。練習ができない期間に、ベイカーは自分を見つめ直し、「やっぱり柔道が好きなんだ」と再認識したという。そのときに東京五輪で二連覇することを決意したそうだ。

怪我から復帰後、約1年半ぶりの実戦となる2018年2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会で準優勝。ベイカーらしい切り替えのうまさや、外国人にも負けないパワーを見せつけ、まずまずの復調ぶりをアピールした。ところが、優勝を期待されていた4月の全日本選抜体重別選手権の決勝で敗れ、さらには、5月のグランドスラム・フフホト大会で、肋軟骨を痛めて、準決勝以降を欠場する事態となった。

ベイカーは9月の世界柔道選手権大会に選ばれなかった。しかし、8月のアジア大会には日本代表に選出されている。アジアでも層が厚いといわれる90 kg級で優勝という結果を残すことで、世間に完全復活を知らしめるはずだった。ところが、このときも怪我に悩まされる。直前の合宿で左肩を負傷してしまったのだ。試合勘を培う上で、重要とされている実践練習が積めずに、ぶっつけで臨んだ本番で、精彩を欠いた試合をしてしまう。結果は銅メダル。金メダルにこだわっていただけに、悔しさが残る大会となった。

東京五輪に向けて、国内ライバルから遅れを取っている感があるものの、リオデジャネイロ五輪金メダリストのプライドを捨てて、一から出直す覚悟を語るなど、今、再起に向けて厳しい稽古に励んでいる。

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