20歳のエース、久保建英が溢れ出る涙を止められない。オーバーエイジとして参戦した吉田麻也や酒井宏樹も人目をはばからず涙を流し、10番を背負った堂安律もピッチに座り込んで、しばらく立ち上がれずにいた。
金メダルを目指したU-24日本代表のTokyo 2020(東京五輪)は、53年ぶりとなるメダルにも手が届かず、4位で終わった。
1次ラウンド(グループステージ)3戦全勝を飾って勢いに乗ったかと見えた日本だが、決勝トーナメントに入って失速。ニュージーランドとの準々決勝は0-0からPK戦の末にかろうじて勝利したものの、スペインとの準決勝は2試合続けて延長戦に突入し、残り5分で決勝ゴールを与えて力尽きてしまった。
精神的なダメージを抱えるなか、キャプテンの吉田はチームミーティングを開き、自身が出場して4位に終わった2012年ロンドン五輪の3位決定戦の映像を見せた。「こんな思いは二度としたくないし、みんなにもしてほしくない」と訴え、チームは再び奮い立ったはずだった。
しかし、酷暑の日本で試合間隔は中2日。二度の延長戦を含む5試合を戦い抜いたことで、肉体的にも精神的にも限界を迎えていたのだろう。メキシコとの3位決定戦は早くも13分にPKで先制を許すと、22分、58分とセットプレーから連続失点を喫してしまう。
名手ギジェルモ・オチョアの守るゴールをようやく破ったのは78分。途中出場の三笘薫が78分に豪快な突破からゴールを決めたが、一矢報いるのがやっとだった。
メダル獲得にあと一歩まで迫ったのは間違いない。だが、6試合すべてに先発出場した田中碧が「差を痛感させられた」と振り返ったように、特に準決勝で対戦したスペインのチーム力が日本よりかなり高かったのは確かだ。
メキシコ戦を終えて、吉田は「出し切りました」と語り、堂安も「持っているものはすべて出した」と振り返ったが、その言葉は素直に頷けるものだった。
振り返ってみれば、地元開催の今大会に向けて、チームは周到な準備を施してきた。
2017年12月の代表チーム立ち上げは参加国のなかで最も早かったはずであり、その後も海外遠征を繰り返し、強化を行なってきた。
2020年2月以降は日本サッカー協会が欧州に作った拠点で海外組の所属クラブと密なコミュニケーションをはかり、指揮官が希望する海外組の招集につなげた。2021年6月には早くも3人だけ認められる25歳以上の選手――オーバーエイジの融合に着手している。
大会中も千葉県に拠点を置き、吉田が「使い慣れた場所でリカバリーが行えたのは良かった」と語ったように、幕張の高円宮記念JFA夢フィールドをうまく活用して、コンディション調整に務めてきた。
また、森保一監督は活動期間を通じて、選手たちの自主性を高めるようなアプローチを行なってきた。チーム内のコミュニケーションや意見交換も活発で、「なんでも言い合い、指摘し合えるチームだった」と堂安は言う。ピッチ内では選手たちに問題解決させようとした指揮官も、練習場では選手一人ひとりとじっくり対話し、アドバイスを与えていた。こうしたアプローチがチームワークやチーム一丸となれる要因にもなっていた。
一方で、疲労の蓄積や故障者の続出、地元大会でのメダル獲得のプレッシャーは、大きな足枷となった。
チームで唯一、3度目のオリンピック出場となった吉田は「ターンオーバー(疲労を考慮してメンバーを大きく入れ替えること)をどこで入れるかがポイントになる」と大会前に語っていた。
グループステージ2連勝で迎えたフランスとの第3戦こそターンオーバーのチャンスと思われたが、森保監督は「いい状態で戦えていたので、1、2戦の流れをつなげたほうがいいだろう」と判断した。フランス戦では久保をハーフタイムに交代させ、田中と遠藤航のダブルボランチも後半途中に交代させたが、ここでしっかり休養させられなかったことが、その後のコンディションに影響した可能性は少なくない。
大会直前の負傷者続出も計画を狂わせた。チーム内得点王だった上田綺世が足の付け根付近の肉離れを起こすと、ジョーカーとして期待されていた三笘も右太ももを傷める。懸命のリハビリの甲斐もあり、ともに復帰を果たしたが、コンディション調整に苦しんだことは否めない。森保監督が語る。
「彼(三笘)が3位決定戦でのプレーのように、先発か途中出場のジョーカー的な存在か、相手の脅威となるような使い方ができれば、またひとつ違う戦い方ができたのかなと思う」
初戦前日に冨安健洋が左足首を負傷したのも痛かった。冨安の穴は板倉滉が十分すぎるほど埋めたが、“ボランチの3番手としての板倉”を失ったことで、遠藤と田中が6試合連続して先発出場せざるを得なくなったのだから。
「どことやってもやれないことないと思いますけど、今日みたいにボールを触って仕掛けても、点を取れないようでは一緒なので。結果にどんどんこだわって、難しい試合でも1点2点先に取れるように、どんな形でもいいから取らないといけないと思います」
この先に控える戦いを見据えて久保が誓えば、冨安も覚悟を明かした。
「不甲斐ないですね。本当に日本は、ここぞという勝負どころで勝てない国だということが今回また表面に出たというか。そこを変えていかないといけない。育ってきた環境もあると思うから簡単に変えられないものだとも思うんですけど、そこを変えないと勝てない。当たり前というか、普通にプレーして勝てる強い国にならないといけないと思います」
U-24日本代表の東京五輪での戦いは終わったが、A代表のワールドカップ、それぞれの所属クラブでの戦いは続いていく。この悔しさ、この現実、この世界との差とどう向き合うか。それは選手たち、指揮官のみならず、日本サッカー界全体が向き合うべきものだろう。