BガールAmiの名で知られる湯浅亜実は、ブレイカーの頂点に立つ存在だ。
流れるような基礎動作とクリーンなパワームーブで、Amiは多くの観客を魅了するだけでなく、多くのブレイカーが追い求めるBC Oneのタイトルや2019年世界選手権(中国)など、ダンススポーツの最高賞も獲得している。
彼女のヒップホップそしてブレイキンとの出会いから、強力な家族のサポートまで、BガールAmiについてご紹介しよう。
ヒップホップからブレイキンの世界へ
1998年、埼玉県に生まれた湯浅は、6歳のときに姉の影響でヒップホップに出会った。キャッチーなサウンドとリズミカルなビートが気に入り、ヒップホップダンスを始めた。
しかしある日、ブレイキンを目にした湯浅は、すぐにその道を追求したいと思うようになり、トリックやパワームーブの習得に熱中した。
BガールのAmiが最初にやってみたいと思った技のひとつは、ウィンドミルだ。
「次の週、彼女はやってのけたんですよ」。湯浅を最初に指導したKatsu OneはRed Bullの取材でこう語ると、「彼女は強い精神力と気持ちの持ち主です」と付け加えた。
この若きブレイクダンサーが大会で活躍するようになるまでに、そう時間はかからなかった。
成長を支えた母の存在
上達するためには練習が必要だ。早く成長して一流のダンサーらと一緒に踊ることを夢見る若きブレイカーにとって、それはある種の犠牲を払わなければならないことを意味する。
Bボーイたちの多くは、仕事後に神奈川の溝の口駅に集まって練習しており、湯浅もそれに加わりたかったが、溝の口は自宅から2時間の距離。しかも練習は夜遅くに始まることもあり、終電を逃してしまうことも。
母親の出番だ。
「母はいつも車で練習場に連れていってくれ、そして車で一緒に戻っていました。母は仕事にも行っていたから、私が小学生や中学生の頃は、あまり寝ていなかったと思います」(Red Bullのインビューにて)
ブレイキンでブレイクするとき
長年の努力と練習が実を結び、湯浅はさまざまな国際大会で成功を収めるようになると、2018年に開催されたBC Oneワールドファイナルで、新設されたBガール部門で優勝。招待制だったこの大会で、16人のトップBガールたちがバトルを繰り広げ、Amiは初代女王の座に就いたのだった。
そして、翌2019年の第1回WDSF世界選手権で世界チャンピオンに輝き、トップダンサーとしての地位を確固たるものにした。
2021年の世界選手権は準優勝となり、2連覇を果たすことはできなかったものの、3位に入った姉のAyuとともに表彰台を飾った。
スポーツを力に
BガールのAmiにとって、ブレイキンは単なるパフォーマンスではない。
自分らしくあることに加え、多様なパワームーブやトリックを駆使して感情を表現するもの、さらには彼女を成長させてくれるものでもある。
Red Bullのインタビューで湯浅は、「以前は、すぐに緊張していました。だから、自分自身と緊張に打ち勝ち、ステージでベストを尽くすことが、私にとって最も難しいことです」と語る。
勝つことは常に重要だが、それはこのスポーツが彼女の心を奪った理由の一部に過ぎないとAmiは言う。
「バトルに勝つことはもちろん素晴らしいことですが、それと同時に、世界中の人々と出会うことが私にとってのインスピレーションになっています」と、彼女はForbesに語っている。
「さまざまなダンサーとの貴重な出会いや体験は、私にとってとても大きな意味を持つのです」。
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