バンクーバー2010オリンピックから北京2022までの4大会に出場した**小平奈緒**がまもなくラストレースを迎える。
小平はオリンピックで日本女子初のスピードスケート金メダルを日本にもたらし、平昌2018では日本代表選手団の主将を務め、ワールドカップでは世界新記録を樹立し、30勝以上の勝利を重ね、歴代のスケーターの中でもトップの成績を収めてきた。
だが、小平がスポーツ界に残した偉業はスケーターとしての優れた成績だけではない。
生まれ育った長野県を拠点に活動する36歳の小平は、ライバルとして長年競い合ったイ・サンファ(李相花/大韓民国)とスポーツを通じて親しい関係を育み、スポーツの素晴らしさを世界中に示したのである。
1986年5月に長野県で生まれた小平と、1989年2月に大韓民国のソウルで生まれたイは、互いに500mを得意とし、10年以上ともにリンクで顔を合わせてきた。
先に才能を開花させたのは、のちに大韓民国が誇るスター選手となるイである。2005年にワールドカップデビューを果たしたイは、16歳で迎えた2005年の世界距離別選手権の500mで銅メダルを獲得。翌年のトリノ2006オリンピックに出場した。
一方、イよりも2年9ヶ月早く生まれた小平は、同年10月の全日本距離別選手権の1000mで優勝し、20歳でワールドカップデビュー。同シーズンのワールドカップ長野大会では1000mで3位に入賞した。
小平のオリンピックデビューは2010年のバンクーバー大会だ。長野1998を見て「いつか自分もスピードスケート選手としてオリンピックの舞台に立ち、多くの人の心を動かせる存在になりたいと思った」という小平は、この大会の500mで12位(チームパシュートでは銀メダル)。一方、イは自身2度目のオリンピックとなったバンクーバー2010、そして続くソチ2014の500mで2連覇を達成。500mの女王としてその名を轟かせた。
ふたりが競技上でより強く交わり始めるのは2014年の終わり頃からである。11月にソウルで行われたワールドカップ第2戦1日目で、小平はワールドカップ初勝利をあげ、イは2着。しかし2日目のレースではイが同シーズン3勝目を挙げ、小平が2着となった。
リンク上で互いを刺激し合ってきたふたりは、同時にリンク外での親しい関係も育んできており、2018年の平昌オリンピックで多くの人々がその姿を目にすることになる。
感動を呼んだ小平奈緒とイ・サンファの平昌2018
2018年に開催された平昌オリンピックのスピードスケート女子500mで、地元韓国ではイの3連覇に期待が寄せられていた。
全16組中14組目で登場した小平は、36秒94でゴールラインに達してオリンピック新記録を樹立。会場がどよめく中、次の組で地元の期待を背負ったイがスタートラインに立った。スタートこそ良かったものの、自身最高の滑りとはならずタイムは37秒33。小平にわずか0.39秒及ばず、最終的に小平が日本女子初の金メダルを獲得。イの3連覇の夢は崩れ去ってしまった。
地元開催という重圧を背負い、期待している観客の前でその夢をつかむことができなかったイ・サンファ。ウィニングランで涙を流す彼女に、小平は寄り添って肩を抱くと、ふたりは互いの健闘を讃え合ったのである。
イは翌年に現役を引退。同年、日本生まれのタレント・カンナム(滑川康男)と結婚した。結婚式に合わせ小平は、イの優しい人柄に触れるビデオ・メッセージを韓国語で寄せ、ふたりの新しい門出を祝った。
また、北京2022オリンピックでは、本来の力が発揮されなかった小平の滑りをイが解説者席から涙ながらに見守り、500mで17位、1000mで10位という結果となった友人を「私たちが初めて出会った10代から今まで地道に頑張ってきたし、十分によくやった。私たちは永遠にオリンピックチャンピオンだよ。お疲れ様。本当に良くやったね」(インスタグラムより)と讃えた。
スポーツの世界において、ともに競い合うアスリートたちはときにライバルとして厳しい戦いを強いられることになり、それによって良好とはいえない関係性に陥ることもある。しかし、小平とイが示した関係は「勝ち負け」を越えて互いを思い、尊重するというスポーツが生んだ絆だった。
小平は自身のインスタグラムで未来のアスリートたちに向けて次のメッセージをつづっている。
「ぜひ互いを尊重し、違いを分かろうとし、その人が積み上げてきた努力を認め、励ましあえる仲間を見つけてください」
- 小平奈緒、インスタグラムより
それはスポーツの世界だけでなく、一般社会にも通じるメッセージだろう。
今年6月にはイが長野を訪れ、ふたりは時間を共有。イは自身のソーシャルメディアで「お互いのことに共感したり、意見を共有したりできる貴重な時間でした。彼女が滑ったリンクを訪れたことで、私の願いがひとつ叶った!! 10月の彼女の最後のレースです」とつづると、「後悔しないように自分のステージを走り抜けよう!!! 私も応援するよ!!」と、最後のレースを迎える大切な友人にエールを送った。