日本サッカー協会(JFA)は12月12日、日本女子代表・なでしこジャパンについて、ニルス・ニールセン氏が新監督に就任すると発表した。16日に初来日を果たし、18日には就任会見も実施。なでしこジャパンは史上初となる外国籍監督のもと、新たなフェーズを迎えることになる。
なでしこジャパンの監督就任について「歴代の監督が作り上げた基盤の上に、私がさらに積み上げられることは監督冥利に尽きる」と語り、大きなモチベーションをのぞかせたニールセン新監督。JFAがなでしこジャパンの未来を託した新たな指揮官は、どういったキャリアを歩んできたのだろうか。
■デンマーク女子代表を欧州準優勝に導く
ニールセン監督は1971年11月3日生まれ。就任時点では53歳だ。デンマーク出身だが、生まれは本土からほど遠いグリーンランド。北大西洋に浮かぶ氷に覆われた島に生まれ、小さな村で5年を過ごしたのち、デンマーク本土に渡った。
選手としてプレーしたのは20歳前後まで。怪我の影響により現役引退を余儀なくされたが、すぐに指導者としてのキャリアを歩み始めたという。もともと、選手時代から指導者の講習を受けていたようで、指導者への転身は自然な選択だったのだろう。
大学生としてスポーツ生理学を学ぶかたわら、コペンハーゲンの男子のユースチームで指導者としてキャリアをスタートさせた。20歳の時点で、すでにUEFA(欧州サッカー連盟)のAライセンスを取得していたという。その後はデンマークの名門、FCコペンハーゲンを含め、複数のクラブでユース年代を指揮。2006年から2008年まではU-15からU-18までのデンマーク代表監督も務めた。
現在、鈴木唯人が所属しているブレンビーIFで下部組織の監督、U-21デンマーク代表暫定監督などを歴任し、2013年に転機を迎える。これまでは男子のユース年代で名声を高めてきたが、この年にデンマーク女子代表監督に抜擢。以降、女子サッカー界を渡り歩くことになる。
デンマーク女子代表監督を務めたのは2017年までの約4年間。指揮した試合は57試合に渡り、戦績は27勝12分け18敗。中には日本との試合も2試合含まれている。初対戦は2014年3月のアルガルベカップ。佐々木則夫JFA女子委員長が指揮していたチームに0-1で敗れた。翌年にもアルガルベカップで対戦し、この時は2-1でリベンジを果たしている。
デンマーク女子代表監督時代の最大のハイライトは2017年の女子EURO(欧州選手権)だろう。大会直前のテストマッチでは2連敗。それでも本大会に入るとグループステージを2勝1敗で切り抜け、準々決勝では当時世界ランキング2位のドイツ代表を2-1で撃破。準決勝ではオーストリア代表をPK戦の末に破り、初の決勝進出を決めた。決勝ではホスト国のオランダ代表に2-4で敗れたが、デンマーク史上最高成績となる準優勝に導いた。この功績から、2017年FIFA最優秀女子監督賞で2位に選出されている。
■マンチェスター・シティで日本人をリクルート
デンマーク女子代表監督を退任した後は、U-20中国女子代表アシスタントコーチを挟んで2018年にスイス女子代表監督に就任した。スイス代表では39試合を戦い18勝9分け12敗。在任期間に出場した主要な国際大会は2022年の女子EUROのみで、1分け2敗でグループステージ敗退となった。しかし、ワールドカップ予選ではグループ2位からプレーオフを経て出場権を獲得。2022年限りで契約満了にともない退任したため、2023年の本大会で指揮を執ることはなかったが、スイス代表はベスト16まで進んだ。
次なるステップとして選んだのは、マンチェスター・シティの女子テクニカルダイレクター。2023年5月、同クラブで初めて置かれたポストに就任し、女子チームの編成などに携わった。テクニカルダイレクターとして監督や長谷川唯を含むキープレーヤーの契約延長に関わり、2023/24シーズンに優勝チームと勝点で並び、惜しくも2位となったチームを支えた。
現場への復帰を望み、2024年夏にわずか1年強でテクニカルダイレクターを退任。ニールセン氏の退任後、マンチェスター・シティは清水梨紗、藤野あおば、山下杏也加と日本人3選手を新たに獲得したが、その移籍にも関わっていたという。
女子サッカー界への造詣が深く、ダイレクター目線も持ち合わせるニールセン氏。すでに日本人選手と接点を持ち、なでしこジャパンのサッカーに接したことがあることもアドバンテージだろう。「日本が世界のトップに返り咲くことを目指す。そのためのタレントも揃っている」。力強く語った指揮官のもと、なでしこジャパンは次のワールドカップ、そしてオリンピックへ、新たなスタートを切った。