高校時代無名の福士加代子と一山麻緒を育てた名将・永山忠幸監督【師と弟子の五輪】

指導者として5度目のオリンピックに臨む

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
マラソン代表最終選考会/監督と握手する一山 [時事]

女子陸上実業団の強豪・ワコールを率いる永山忠幸監督。アテネ五輪からリオデジャネイロ五輪まで、4大会連続のオリンピック出場を果たしている福士加代子、Tokyo 2020(東京五輪)の女子マラソン日本代表に内定した一山麻緒を育てた指導者の手腕とは。(トップ画像は時事)

ワコール監督就任、同年に自らスカウトした福士加代子が入社

1959年11月29日生まれ、熊本県出身。東京農業大学在学時に4年連続で東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場した永山忠幸が、ワコールの監督に就任したのは2000年。アテネ五輪(2004年)で金メダルを獲得する野口みずきらを育てた藤田信之の後任として指揮することになった。この年、ワコールへ入社したのが福士加代子だ。

青森県出身の福士が陸上競技を始めたのは、青森県立五所川原工業高等学校に入学してから。高校時代の福士は、決して際立った選手ではなかった。中学時代はソフトボール部に所属しており、高校3年生の時にはインターハイ(全国高等学校総合体育大会)へ出場するも、3000メートルで12位。だが、永山は福士をスカウトすることに決めた。

永山の指導により、福士は頭角を現す。2002年に3000mで8分44秒40を記録。この記録は2020年、田中希実(豊田自動織機TC)が更新するまで、日本記録だった。同年、5000mでも日本記録を更新。福士は2005年に同種目で14分53秒22を記録しているが、この記録は2021年1月時点でも日本記録となっている。

福士はアテネ五輪の日本代表として女子1万mに出場。北京五輪とロンドン五輪では5000mと1万mの2種目に出場しているが、マラソン日本代表となることが悲願だった。初マラソンは2008年1月の大阪国際女子マラソン。このレースで福士は序盤から独走を見せるも、30キロ過ぎから失速。意地の完走を果たすも記録は2時間40分54秒、最後は脱水症状を起こして4度も転倒、脳貧血を起こしていた。

二度目のマラソンは、2011年10月に行われたシカゴマラソン(アメリカ合衆国イリノイ州)。2時間24分38秒で3位入賞を果たし、ロンドン五輪を射程圏内に捉えたが、選考会となる翌年の大阪国際女子でも25キロ過ぎから失速。再びマラソン日本代表の座を逃すこととなった。

スタミナ不足による失速。永山の考えた対策は“食トレ”だった。従来の練習方法を見直すとともに、内臓を強化するように努めた。「練習より食べることの方がきつかった」とは、福士の弁。2016年の大阪国際女子に出場を決めた福士は、管理栄養士の指導を仰ぎつつ、食事の量を3倍に増やしたという。この時、永山やスタッフも同じ量を食べることで、結束を強めた。2016年の大阪国際女子、福士は日本陸連設定の派遣基準記録を上回る日本歴代10位(当時7位)の2時間22分17秒で優勝。永山はついに、愛弟子をマラソン日本代表とすることに成功した。

一山麻緒の鬼鬼メニュー、ヒントは名伯楽・小出義雄の言葉

永山の指導は、自身が海外で学んだトレーニング法がベースとなっている。そしてもう1つ、永山に大きな影響を与えたのが、名伯楽・小出義雄の言葉だ。女子マラソンのオリンピックメダリスト、有森裕子(バルセロナ五輪銀、アトランタ五輪銅)や高橋尚子(シドニー五輪金)を育てた小出は生前、「世界一になりたいなら、世界一の練習をさせなさい」と語っていた。

この言葉通りの「鬼鬼メニュー」により、東京五輪の女子マラソン日本代表に内定したのが“ラストシンデレラ”一山麻緒だった。鹿児島県出身の一山も福士と同様、必ずしも高校時代から目立つ選手ではなかった。出水中央高等学校女子駅伝部で黒田安名監督の下、着実に実力を付けていたものの、3年時のインターハイは1500m、3000mともに予選敗退。それでも永山は一山の熱意を買い、2016年からワコール女子陸上競技部のメンバーに加えた。

永山は一山に厳しいトレーニングを課す。その量は福士の1.2倍の強度だという。一山がこのハードトレーニングを「鬼鬼メニュー」と呼んだ。一山が内定を勝ち取る2020年3月の名古屋ウィメンズマラソン直前には、アルバカーキ(米国ニューメキシコ州)で高地トレーニングを実施。心肺機能を鍛えられた一山は、名古屋ウィメンズで日本歴代4位、女子単独アジア最高記録となる2時間20分29秒で優勝。永山は2大会連続で、愛弟子をオリンピックのマラソン日本代表へと送り出すこととなった。

ワコールの監督に就任して21年となる永山。就任当時は40代だったが、いまや還暦を越える年齢となっている。そうした永山に変化をもたらしたのが、一山だった。以前は食事や服装など、練習以外の生活面も厳しく管理してきたが、ファッションやグルメに好奇心旺盛な一山の個性を尊重。“鬼”だけでなく、選手の個性と向き合うようになっている。指導者としても変化、成長を遂げた永山にとっての悲願は、愛弟子のメダル獲得だ。指導者として迎える5度目のオリンピック。選手と二人三脚で表彰台を目指す。

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