長迫吉拓(ながさこ・よしたく)は、日本のBMXレーシングをけん引するトップレーサーの1人だ。2011年から全日本BMX選手権5連覇を達成。2016年には日本代表としてリオデジャネイロ五輪に出場し、2018年のアジア競技大会では、日本人として初めてBMX種目の金メダルを獲得した。また2019-2020シーズンのUCI(国際自転車競技連合)トラックワールドカップ第5戦では、男子チームスプリントの一員として日本の金メダル獲得に貢献。“二刀流”でも注目される長迫が競技を始めたキッカケは、父の“脱サラ”だった。
長迫バラ園の前にBMXコース…4歳で競技人生スタート
1993年9月16日生まれ。岡山県笠岡市で育った長迫とBMXの出会いは4歳までさかのぼる。当時、長迫の父・有二さんは勤めていた会社を辞め、「長迫バラ園」を開園。長迫バラ園の前には「かさおか太陽の広場 BMXコース」が広がっていた。補助輪なしで自転車に乗れるようになっていた長迫が、自転車でBMXコースを走ることは当然の流れだった。普通の自転車から専用自転車に乗り換え、5歳から地元のレースに出場。バラ園の敷地内にコースを自作し、2004年、9歳の時には世界選手権の年齢別日本代表に選出された。
しかし中学時代は目立った成績を残せない。そうした中、2008年の北京五輪でBMXレーシングが正式種目に採用される。オリンピックという目標ができたことに加え、体格も良くなり、自分の走りに自信を持てるようになった。2011年、17歳の時にアジア選手権ジュニア部門で優勝。同年の全日本選手権大会エリート・ジュニア混合も優勝するなど、競技者として自信を深めていく。
18歳でスイスに渡り、プロの道へ
BMXに専念すると決めた長迫は高校を中退。18歳でヨーロッパに渡った。負傷もあり、ロンドン五輪出場はならなかったが、スイスのUCI本部に併設されているワールドサイクリングセンター(WCC)を拠点に、トレーニングに励むこととなる。また同時に、スポンサー探しにも力を入れた。
バラ園を営む父のサポートや自らのアルバイトにより、渡欧は実現したものの、世界各国で開催される大会への遠征費捻出には、どうしてもスポンサーが必要だった。自ら売り込んだり、企画書やプロフィール資料を作成したり。現在は大手企業からのサポートを受けているが、当時はBMXという競技自体の知名度が低いこともあり、門前払いということも少なくなかったと振り返る。
自ら競技に専念できる環境を整えた長迫は、2011年から全日本自転車競技選手権BMXレースで5連覇を達成。2016年、念願のリオデジャネイロ五輪に出場する。しかし結果は準々決勝敗退と、満足できるものではなかった。
2020年6月、Tokyo 2020(東京五輪)のBMXレーシング日本代表に内定。故郷・岡山で行われた記者会見の席、長迫は「東京五輪が現役最後の大会だと思う。集大成のつもりで挑む」と、リオデジャネイロ五輪の悔しさをバネに、東京での飛躍を誓った。
選手プロフィール
- 長迫吉拓(ながさこ・よしたく)
- BMXプロライダー
- 生年月日:1993年9月16日
- 出身地:岡山県笠岡市
- 身長/体重:172センチ/64キロ
- 出身校:大島小(岡山)→大島中(岡山)
- 所属:Dream Seeker
- オリンピックの経験:リオデジャネイロ五輪 男子BMXレーシング 8位
- ツイッター(Twitter):Nagasako (@YOSHITAKING993)
- インスタグラム(Instagram):Yoshi Nagasako 長迫 吉拓 (@yoshi993nagasako)