直線コースをいかに速く漕ぐかを競うカヌースプリントにおいて、日本の競技界の第一線で活躍してきたのが自衛隊に所属する松下桃太郎だ。競技歴は約25年。期待されながら出場を逃したリオデジャネイロ五輪の悔しさをばねに、東京五輪出場を内定させた。33歳で世界の頂点をめざすカヌーイストの源流をたどる。
カヌー選手だった父の影響で競技を始める
松下桃太郎──おとぎ話の主人公と同じ名前なのは桃の節句に生まれたから。1988年3月3日、石川県小松市で誕生した。
パドルを握り始めたのは小学3年生の時。カヌー選手だった父の影響だった。小松市木場潟カヌー競技場を拠点に活動する小松ジュニアカヌークラブでは父の秀一さんが指導を行っており、息子の桃太郎が水の流れに挑むことは必然だったのかもしれない。小学5年生くらいまでは遊びの延長でカヌーを楽しんでいたという桃太郎。リオデジャネイロ五輪カヌースラロームで銅メダルを獲得した羽根田卓也と知り合ったのも、この頃だった。
地元の小松市立松東中学校に通いながら、父の指導のもと、木場潟カヌー競技場で腕を磨く日々。高校は自身が生まれる前からカヌー部がある石川県立小松商業高等学校に進学する。そして1年次に大きな経験を積む。
2003年8月、石川県で世界ジュニアカヌー選手権大会が開かれた。500人以上が参加した大会の会場は、自身が慣れ親しんでいる木場潟カヌー競技場。日本代表として全力を尽くした高校1年生は、世界で戦う充実感を味わった。
ロンドン五輪にはシングルとペアで出場
高校時代、同世代では日本トップクラスの実力を発揮し注目を集めた松下少年は2006年、日本選手権大会で3種目制覇を果たした。高校卒業後はスポーツのスペシャリストを育成する専門学校で実力向上。最初は遊びの延長だったカヌーが、生活の中心にあった。
2008年の北京五輪はカヤックペア500メートルのアジア最終予選でウズベキスタンの後塵を拝す。オリンピック出場を逃したものの、日々の努力はやがて成績に反映された。2010年、中国の広州で開催されたアジア競技大会では大きな成果を上げている。男子カヤック200メートルのシングルを制覇、水本圭治と組んだカヤック200メートルでも金メダルを獲得し、2冠を達成した。
アジアの大会におけるカヌー種目で日本勢初の金メダルを勝ち取った松下は、2011年10月、ロンドン五輪アジア最終予選会を兼ねたアジア選手権の男子カヤックペア200メートルでは渡邊大規とともに優勝を果たし、悲願のオリンピック出場を決めた。2012年8月のロンドン五輪では、男子カヤックシングルの200メートル決勝Bで3位、男子カヤックペアの200メートル決勝Bで2位という成績を残した。
2016年のリオデジャネイロ出場は果たせなかったが、それから約4年、男子カヤックフォア500メートルでの東京五輪出場を内定させた。カヤックフォアは4人乗りの競技。水本圭治、藤嶋大規(ひろき)、宮田悠佑らと組むチームでは最年長となる。経験豊富なリーダーとして松下桃太郎が見つめる栄光への道は、決しておとぎ話ではない。
選手プロフィール
- 松下桃太郎(まつした・ももたろう)
- カヌースプリント 男子カヤック選手
- 生年月日:1988年3月3日
- 出身地:石川県小松市
- 身長/体重:168センチ/80キロ
- 出身:松東中(石川)→小松商高(石川)→日本ベースボール・セキュリティ専門学校(新潟)
- 所属:自衛隊
- オリンピックの経験:ロンドン五輪