父が営む乗馬クラブで育った少年は、高校時代から3連覇を果たすなど、早くから活躍を続けてきた。海外留学を経て、2016年にはリオ五輪に出場。40歳を過ぎた今、福島大輔は2020年のオリンピックに対して、並々ならぬ思いを抱いている。障害馬術の本質を知り尽くしたベテランは、東京五輪という千載一遇の大舞台で「馬と人の心が一つになった時に得られる達成感」を抱くことができるのか。
欧州への短期留学を経て、明治大学の馬術部へ
福島大輔は1977年9月20日、千葉県佐倉市に生まれた。10歳のころ、父親が経営する佐倉ライディングクラブで乗馬を始め、競走馬の育成にも携わってきた。それだけ恵まれた環境で育った福島にとって、馬は犬や猫といったペットのように身近な存在だったという。
実は乗馬を始めたばかりのころは「友だちと遊ぶため」に同クラブに通っていたが、小学校を卒業するころから本格的に競技に打ち込み始めると、めきめきと才能を開花させた。高校1年時から3年時までで国民体育大会の3連覇を達成。17歳の時には、全日本障害飛越選手権(以下、全日本選手権)を最年少で優勝する偉業を成し遂げた。高校3年時には、全日本ジュニア障害馬術大会ヤングライダー選手権で予選全種目と決勝を完全制覇して頂点に立つなど、十代のころから目立った存在だった。
その後は馬術の本場であるヨーロッパへの短期留学を経て、明治大学の馬術部で腕を磨いた。世界学生馬術選手権大会で個人総合優勝に輝くなど、順調に結果を積み重ねた。卒業後は日本中央競馬会(JRA)に勤務するかたわら、ベルギーで修業を積んだ。帰国後は実家の佐倉ライディングクラブに戻り、2016年には36歳でリオデジャネイロ五輪の障害飛越に出場。個人では1次予選敗退の悔しさを味わったものの、団体では13位という成績を残している。
全日本選手権でも衰えぬ実力を証明
常に馬が近くにいる環境で育った福島は「いつだって馬が一番の先生」だと話したことがある。車と同じように、技術の成長に合わせて能力の高い馬に乗り換えることで、乗り手の選手も育てられるのだという。いわく馬術の魅力は「馬と人の心が一つになった時に得られる達成感」。福島はとにかく真っすぐに正面から馬と向き合い、寄り添い続けてきた。
2018年9月に41歳となった。ベテランとなった現在も、その実力は健在だ。2016年、2017年と全日本選手権で2連覇を達成。海外遠征のハードスケジュールや調整時間の不足の影響を受けながら、2018年の同大会でもきっちりと準優勝の成績を残している。2018年8月にインドネシアで行われたアジア競技大会では、障害馬術の団体銀メダルの獲得に貢献した。2020年の東京五輪時には42歳となるが、「自国開催なので、なんとしても出たい」と強い意気込みを見せている。
福島の出場を狙う障害馬術は、1964年の東京五輪でも会場となった馬事公苑で開催される。8月4日(月)と7日(金)は予選、5日(火)と8日(土)には同決勝が行われる。小さなころから馬が身近な存在だった男は、あらゆる障害を越え、千載一遇のチャンスをつかもうとしている。